ヘブル人への手紙12:4〜11
信仰の歩みの実践について、罪との戦いという面から、信仰生活における血を流すほどの戦いは、神の懲らしめ、神の訓練であることを語っています。
1, 神の勧めのことば(4-6)
子どもに対するように語られた勧めのことばを思い起こす。(箴言3:11,12)
・「わが子よ。主の懲らしめを軽んじてはならない」信仰者は、外的な事情や状況がどう
であれ、またどんな時でも、神の摂理の御手があることを忘れないで、さまざまな苦し
い経験に出会う時には、主の訓練、主の懲らしめを思い起こす必要があります。
・「主に責められて弱り果ててはならない。」苦しい経験に見舞われ、意気消沈し、
主は自分たちを見捨ててしまったのではないかなどと考えないで、第一コリント10:13
のみことばを思い起こすべきです。
・「主はその愛する者を懲らしめ、受け入れるすべての子に、むちを加えられるからであ
る」困難や苦しい経験に遭う時に、それを愛の神のむちと考える。むちはことごとく神
の愛から出たものであり、益を考えてなされるものであるということを知る時、自己憐
憫や不平、怒り、反抗、あきらめ等は消え去り、懲らしめはむしろ私たちが神の子とし
て神に愛されていることの証拠となります。
2, 霊の父(7-9)
・「神はあなたがたを子として扱っておられるのです。」私たちは、神の子たる身分を与えられて、神の家族の一員とされています。
・「父が懲らしめることをしない子がいるでしょうか。もしあなたがたが、だれでも受ける懲らしめを受けていないとすれば、私生児であって、ほんとうの子ではないのです」
愛する我が子のためには、父親は自分を犠牲にしても、この成長と成熟を切望します。
時にはむちを振るい、懲らしめを与えることもあるでしょう。
・「私たちはすべての霊の父に服従して生きるべきではないでしょうか」この世界の背後に父なる神がおられると知れば、苦難に遭った時にも、それに耐えやすくなり、苦難を父なる神の訓練と思って耐え忍ぶことが出来るようになります。
3, 訓練の根は苦いが、その実は甘い(10,11)
(1) 「霊の父、は私たちの益のため、私たちをご自分の聖さにあずからせようとして、懲らしめる」神の懲らしめ、神の訓練は、みな「私たちの益のため」です。このようにして私たちは、神の聖さにあずかるのです。
(2) 「すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるものですが、後になると、これによって・・平安な義の実を結ばせます」平安な義とは、心の平安と道徳的な正しさのことです。
(3) 「訓練された人々」を生み出す。神の懲らしめはキリストの教会に訓練された信徒を備えてくれます。訓練の根は苦いかもしれないが、その実は甘く、多く、またすばらしいのです。
「神の訓練」
鈴川キリスト教会牧師
川崎 廣
信仰の歩みの実践について、罪との戦いという面から、信仰生活における血を流すほどの戦いは、神の懲らしめ、神の訓練であることを語っています。
1, 神の勧めのことば(4-6)
子どもに対するように語られた勧めのことばを思い起こす。(箴言3:11,12)
・「わが子よ。主の懲らしめを軽んじてはならない」信仰者は、外的な事情や状況がどう
であれ、またどんな時でも、神の摂理の御手があることを忘れないで、さまざまな苦し
い経験に出会う時には、主の訓練、主の懲らしめを思い起こす必要があります。
・「主に責められて弱り果ててはならない。」苦しい経験に見舞われ、意気消沈し、
主は自分たちを見捨ててしまったのではないかなどと考えないで、第一コリント10:13
のみことばを思い起こすべきです。
・「主はその愛する者を懲らしめ、受け入れるすべての子に、むちを加えられるからであ
る」困難や苦しい経験に遭う時に、それを愛の神のむちと考える。むちはことごとく神
の愛から出たものであり、益を考えてなされるものであるということを知る時、自己憐
憫や不平、怒り、反抗、あきらめ等は消え去り、懲らしめはむしろ私たちが神の子とし
て神に愛されていることの証拠となります。
2, 霊の父(7-9)
・「神はあなたがたを子として扱っておられるのです。」私たちは、神の子たる身分を与えられて、神の家族の一員とされています。
・「父が懲らしめることをしない子がいるでしょうか。もしあなたがたが、だれでも受ける懲らしめを受けていないとすれば、私生児であって、ほんとうの子ではないのです」
愛する我が子のためには、父親は自分を犠牲にしても、この成長と成熟を切望します。
時にはむちを振るい、懲らしめを与えることもあるでしょう。
・「私たちはすべての霊の父に服従して生きるべきではないでしょうか」この世界の背後に父なる神がおられると知れば、苦難に遭った時にも、それに耐えやすくなり、苦難を父なる神の訓練と思って耐え忍ぶことが出来るようになります。
3, 訓練の根は苦いが、その実は甘い(10,11)
(1) 「霊の父、は私たちの益のため、私たちをご自分の聖さにあずからせようとして、懲らしめる」神の懲らしめ、神の訓練は、みな「私たちの益のため」です。このようにして私たちは、神の聖さにあずかるのです。
(2) 「すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるものですが、後になると、これによって・・平安な義の実を結ばせます」平安な義とは、心の平安と道徳的な正しさのことです。
(3) 「訓練された人々」を生み出す。神の懲らしめはキリストの教会に訓練された信徒を備えてくれます。訓練の根は苦いかもしれないが、その実は甘く、多く、またすばらしいのです。