~マルコの回復~
鈴川キリスト教会顧問牧師 川崎 廣
使徒15:36-41
私たちの人生には、いろいろなことが起こります。うまく行くこともありますが失敗することもあります。人生に決定的な汚点を残すような、大きなことをしてしまうことがあります。もしその様なことが起こったら、二度と回復する見込みがないのでしょうか。ある人々は、その様な中で絶望して、自暴自棄のような生活に堕ちていったり、あるいは自殺を試みたりさえするのです。
しかし、主イエス様は、この様な私たちに希望を与えて下さいます。私たちが自分の非を認めて、悔い改めて、主イエス様を救い主として信じ受け入れるときに、どのような状況の中からも回復して下さいます。
初代の教会に活躍した青年マルコは、まさにこのことを体験した人物でした。マルコは最初の宣教師として、バルナバやパウロと共に伝道旅行に出かけましたが、その途中で、エルサレムに引き返してしまったのです。第二回目の伝道旅行でマルコを同行させるかどうかで、バルナバとパウロの間で、激しい議論がありました。バルナバは、パウロと別行動を取ることになってもマルコの回復のために労していったのです。
一人の人物の回復には、主による罪の赦しと、回復を支えるバルナバのような支援者による建て上げが、すばらしい結果をもたらします。
私たちは、自分の回復のために主がなして下さった救いのみわざを感謝し、私たちの成長のために労して下さった方々の配慮に感謝しましょう。また、私たち周囲の人々のために、バルナバのような存在として仕えることの出来る者となりたいと思います。
分かち合いのために
1、パウロとバルナバは何のためにどのような計画を立てましたか。 (36節)
2、二人の間にどのような議論がありましたか。 (37,38節)
3、結局二人はどのような行動をとることになりましたか。 (39-41節)
4、あなたはパウロのようなタイプですか。バルナバのようなタイプでしょうか。人をお世話して、その人が育って行くのを喜びとすることが出来ますか。互いに分かち合いましょう。
今週の聖句
だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。 (第二コリント 5:17)
鈴川キリスト教会顧問牧師 川崎 廣
使徒15:36-41
私たちの人生には、いろいろなことが起こります。うまく行くこともありますが失敗することもあります。人生に決定的な汚点を残すような、大きなことをしてしまうことがあります。もしその様なことが起こったら、二度と回復する見込みがないのでしょうか。ある人々は、その様な中で絶望して、自暴自棄のような生活に堕ちていったり、あるいは自殺を試みたりさえするのです。
しかし、主イエス様は、この様な私たちに希望を与えて下さいます。私たちが自分の非を認めて、悔い改めて、主イエス様を救い主として信じ受け入れるときに、どのような状況の中からも回復して下さいます。
初代の教会に活躍した青年マルコは、まさにこのことを体験した人物でした。マルコは最初の宣教師として、バルナバやパウロと共に伝道旅行に出かけましたが、その途中で、エルサレムに引き返してしまったのです。第二回目の伝道旅行でマルコを同行させるかどうかで、バルナバとパウロの間で、激しい議論がありました。バルナバは、パウロと別行動を取ることになってもマルコの回復のために労していったのです。
一人の人物の回復には、主による罪の赦しと、回復を支えるバルナバのような支援者による建て上げが、すばらしい結果をもたらします。
私たちは、自分の回復のために主がなして下さった救いのみわざを感謝し、私たちの成長のために労して下さった方々の配慮に感謝しましょう。また、私たち周囲の人々のために、バルナバのような存在として仕えることの出来る者となりたいと思います。
分かち合いのために
1、パウロとバルナバは何のためにどのような計画を立てましたか。 (36節)
2、二人の間にどのような議論がありましたか。 (37,38節)
3、結局二人はどのような行動をとることになりましたか。 (39-41節)
4、あなたはパウロのようなタイプですか。バルナバのようなタイプでしょうか。人をお世話して、その人が育って行くのを喜びとすることが出来ますか。互いに分かち合いましょう。
今週の聖句
だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。 (第二コリント 5:17)