荒川三歩

東京下町を自転車で散策しています。

頓田川の河口風景/2019年

2019年06月14日 | 散文

 

頓田川河口にやって来ました。

 

帰郷すると何度も見に来ます。今日は砂州に下りられそうです。行ってみます。

 

南の景色です。故郷の景色は変わりません。奥に四国山脈、中央に世田山、手前右手の円い山が唐子山です。

 

沖には兵市島です。その向こうに霞んだ四国山脈です。

 

ちょっと目を左に移動させます。故郷の景色はありがたいです。比企島が霞んでいます。

 

北を見ます。しまなみ海道を成す大島を始めとする瀬戸内の島々です。

 

更に左には日本食研の工場と、左遠くに近見山です。

 

上流を見ます。川辺のマンションです。

 

更に左に霞む霊仙山と、手前に唐子山です。故郷の景色は変わりません。

 

波打際を見ます。

 

静かに満ちます。

 

静かに寄せます。

 

 

随分時が経過しました。帰ります。

 

ここは「遊泳禁止」です。

 

防波堤に上がります。

 

帰り際、もう一度振り返ります。

 

 

 

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捕まえました。

2019年06月14日 | 散文

 

ガラケーでは写りません。

 

捕まえました。手の中で光る蛍です。

 

 

 

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因島水軍城へ行った。

2019年06月14日 | 散文

 

鞆の浦の帰り、しまなみ海道を途中下車して因島村上水軍城へ行きました。

あんなに高い場所に在ります。

 

でも、もう来ることは無いので見ておこう、と決心しました。

 

城門を潜ります。

 

息切れしながら急坂を上がりました。

 

村上水軍(海賊)は三流あって、ここ「因島」と急流の海峡名になった「来島」、そして「能島」です。

パンフレットを読みます。 「因島村上家は、中世瀬戸内海の中心にあって11万4千5百石余を領有した海の大名であり数百年に渡って瀬戸内海の制海を握り、幾多の合戦に参加した他、遣明船の使節などの警護を行っていました。

 

特に因島村上氏6代当主村上新蔵人吉充は、弘治元年(1555)、毛利氏と陶氏が戦った厳島合戦で毛利氏に加勢し勝利をもたらしました。また、天正四年(1576)7月の木津川口海戦では、毛利警護船団の一翼を担い、織田信長率いる織田水軍を壊滅させ、毛利氏の勝利に大きく貢献しました。」

 

帰りの下山時に、こんなルートがありました。

 

この古い墓石群がそうです。

 

 

 

 

改葬の結果、誰の墓石か分からないそうです。

 

 

しまなみ海道を戻って、今日のドライブを終えました。楽しかったです。

 

連れて行ってくれた友人に御礼申し上げます。

 

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