荒川三歩

東京下町を自転車で散策しています。

「桜井の史跡と伝説」-46/雉之尾古墳群

2019年06月03日 | 散文

生家の本棚にこんな冊子がありました。著者は未だに不明です。
この冊子に書かれた現場を訪ねています。


46.雉之尾古墳群

雉之尾は、唐子山々頂から海岸に向かった丘陵列の一つで、古国分にあり、海抜約50mであった。


昭和38年の発掘により、県下最古の前方後円墳が発見されたが、昭和40年の発掘により、県下唯一の前方後円墳であることが判明した。


この古墳は自然丘ではなく、大量の盛土で造られた造り古墳で、全長30.5m、副葬品は、銅鏡、鉄剣などで、石室はなく木棺直葬であった。


丘陵上には、20余基の古墳があったが、昭和35年頃からの土砂採取で次々と消失し、現在は丘陵そのものがなくなった。


附近からは、大量の鉄器、やりがんな、鉄鏃、鉄剣、刀子などが出土しているが、特に短甲と6本の釣り針が注目される。

〈筆者:結局決め手が無くて場所が特定できませんが、唐子山の麓のこの辺です。・・・多分〉

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「桜井の史跡と伝説」―45の補足

2019年06月03日 | 散文

<筆者>
この家の小父さんに教えてもらいました。


庭先まで入って来た珍入者に対して親切に対応して頂きました。
何と、この家の所在地が現在も「お屋敷」と呼ばれているのです。福島正則が住んでいたと言われる場所です。

庭にある石の一部は畑から掘り出したものです。


あの畑から出たそうです。


家の坂下にも掘り出した石を使った場所があります。






その下には、小さな池が南北に並んでいます。


追ってみます。


ほぼ一直線に並んでいます。


これは「お屋敷」の堀の跡です。




一直線の堀跡を振り返ります。
葦が繁った場所が現在の池です。


ここで直角に曲がっています。
お屋敷を護った堀の跡です。
あの山が唐子山で、あそこにお城がありました。


並んだ池の脇には古国分集会所があります。

石積みも池も「お屋敷」の名残なのです。

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