生家の本棚にこんな冊子がありました。著者は未だに不明です。
この冊子に書かれた現場を訪ねています。
48.鳥越の古墳
昭和45年2月上旬に、国分より古国分に越える鳥越坂の唐子山西麓をブルドーザーが山土採取中に壺に入った古銭や古鏡を掘出した。
(注記)
1.古天神の旧社地
国分寺領坪付に穴掘里十九坪一町内四段天神江寄進、甘坪七段内三反天神猿楽田、この坪付の末尾に以上田畠三十五段三百歩内七天神江寄進開山寺より、とあります。
天平の国分寺創設以前から鎮座していた旧い神社は、現在古国分にあり、この宮はかつて、いつかの時に、この鳥越のいずれかにあった、との古伝承が桜井の古老の間に、今日まで根づよく残っている。
2.兄弟云々の銘文ある宝筐印塔の塔身も唐子西山麓より採取されたといわれている。
生家の本棚にこんな冊子がありました。著者は未だに不明です。
この冊子に書かれた現場を訪ねています。
47.姫路山遺跡
唐子浜に近い雉之尾の峰に続く南東の丘陵を姫路山遺跡という。
現在は、みかん山となっている。
大正初期に雑木林を柿畑に開墾、現在まで多くの遺物を出土している。
特に古墳初期のものに秀れたものが多い。
中でも、上下各四個の自然石を配した合口廱棺や、古墳前期の土師器の高杯などは他に例をみない。短甲、櫛、鉄剣なども
珍しく、硬玉製の管玉は大型で数も多く、山頂付近の一辺18mの方墳から出た青銅
鏡は、直径16cmの大型のものであった。
〈筆者:記述内容とバス停の地名からこの辺りだと推測。そもそも出土品を見たことも聞いたことも無い。忘れ去られた遺跡です。〉