新庚申塚の踏み切りです。あの踏み切りを渡りましょう。
早稲田行きの電車がやって来ました。
電車が過ぎたら渡りましょう。
踏み切りを渡ろうとしたら、三ノ輪橋行きの電車がやって来ました。
踏み切りと電車が近いです。
遮断機が上がりました。
渡ろうとしたら、急ぐお母さんが脇をすり抜けて渡って行きました。
踏み切りの中で、電車が通り過ぎた線路を眺めます。
急がない私は、踏み切りを渡ったら、さて、何処へ行こう・・・
新庚申塚の踏み切りです。あの踏み切りを渡りましょう。
早稲田行きの電車がやって来ました。
電車が過ぎたら渡りましょう。
踏み切りを渡ろうとしたら、三ノ輪橋行きの電車がやって来ました。
踏み切りと電車が近いです。
遮断機が上がりました。
渡ろうとしたら、急ぐお母さんが脇をすり抜けて渡って行きました。
踏み切りの中で、電車が通り過ぎた線路を眺めます。
急がない私は、踏み切りを渡ったら、さて、何処へ行こう・・・
まだ記憶に新しいと思っていますが、同様の事故が続いたこともあって、皆さんはもう忘れてしまったかしら?自転車に乗った母子が青信号の横断歩道を渡っていた時に、自動車を制御できなくなった老人が突っ込んで来て死亡させた現場です。献花台は撤去されていますが、今でも花や飲料水が手向けられており、立ち止まって手を合わせてから通り過ぎる人が多くいます。先日この場所で加害者の老人立ち会いのもと行われた実況検分のニュースを見ました。あのとき加害者はどうして、献花をしないばかりか、手を合わせなかったのでしょう?茫然自失状態には見えませんでした。
自分が気付かなくても家族や周囲の人が配慮しないのだろうか?と思った時、はたと思い当たりました。超エリート官僚だった加害者は、何処かを訪問する時は、秘書とかの周囲の人が全て用意してくれてそれを訪問先で実行すればよかったのです。挨拶の原稿を作ってくれたし、手土産を持たせてくれたし、現場では立つ位置も決めてくれました。そんな生活に慣れてしまった加害者は、周囲の人が用意しなければもう何もできない老人になってしまったのでしょう。
そういえば、退院後初めて出頭したとき彼は「手を貸してくれ」といって小さなスロープを上がっていました。その映像を見たとき、誰しもに訪れる歳を重ねることの憐れさを誘われたのですが、今振り返って思うに、彼は「手を貸してくれ」以外、謝罪の言葉も何にもなかったのです。おそらく現役時代やってもらっていた介助の行為を当然の事として要求したのでしょう。これら二つの映像には自分の事しか考えられない典型的な老人の姿がありましたが、彼を極度にそうさせた背景は、習い性になってしまった「全て周囲がフォローくれる」生活習慣です。非常に稀有な人生の最終形です。
さて、自分は大丈夫か?
この季節、多くの方が紫陽花を投稿しています。東京での紫陽花観賞の名所の一つに白山神社があります。参道には涼しげな提灯が並んでいました。祭りの間、参道や境内の各所に出されるものです。
手水舎周辺の紫陽花です。紫陽花は水の近くが似合います。
境内の紫陽花を観賞します。
おやっ!?
これって、提灯を片付けている? ひょっとして、あじさい祭りは終わり!? 終わりの日に訪問した?偶然とはいえ・・・
せっかく来たので、最盛期を過ぎたけど、紫陽花を撮っておきましょう。
ガラケーなので皆さんのように綺麗に撮れないけど・・・
今年のあじさい祭りは終わりましたとさ。