荒川三歩

東京下町を自転車で散策しています。

今治藩主の墓を訪ねて三度(みたび)霊厳寺

2019年06月23日 | 散文

 

帰京したら真っ先に行かなければなりません。深川の霊厳寺です。

 

入ってすぐの左手の木漏れ日の下が、今治城の学芸員に教わった場所です。

 

ここはよく目に付くので知っています。

 

関東大震災殉難横死諸霊追悼の場所です。

 

石仏と共に墓石もあります。

 

ここは関東大震災だけでなく、東京大空襲でも大きな被害を受けました。その時に被災したり倒壊したりした墓石、或は墓じまいをした墓石等もあるようです。

 

その集合体の脇に大きな石があります。

 

これらは、近くで行われた地下鉄大江戸線の建設工事の際に、大名家の墓石の一部と思われる部材がいくつか発見され、霊厳寺がこれらを引き取って境内の隅に安置したそうです。一番手前の墓石が、偶然とは言えない不思議さで、7代今治城藩主松平(久松家は一時期松平家の養子でした)定剛の墓石の一部がありました。

 

戒名です。

 

そして裏に、「豫州今治藩主 松平壱岐守源定剛」と書かれています。

 

奥にも無造作に他家のものであろう墓石が置かれています。

 

 

ところが、この今治藩主の墓石は丁寧に扱われているように思います。

 

墓石は直接置かないで、枕木のような部材の上に載せられています。

 

他の墓石は土に直接置かれたり、今治藩主の墓石の敷石になっています。

 

これは人の配慮が働いたものと考えられます。その理由は分かりませんが、特別な扱いのように見えます。

 

改めて墓地へお参りします。

 

故郷古国分の寺山山頂で初代及び3代4代の今治藩主の墓を訪問したとき、2代及びその他の墓は何処にあるのだろう、と疑問を持ったのがきっかけでした。その墓は、生家にあった「桜井の史跡と伝説」なる粗末な冊子によって、ここ霊厳寺にあると知って訪問したものの特定できず諦めていたら、今治の桧垣さんからこの墓を教えて頂きました。この2代の墓に、関東大震災の復興の過程で宏大な墓所を整理縮小する為、上記以外の歴代藩主が合葬されています。

更に、桧垣さんのアドバイスで今治城の学芸員を訪ね、今回7代藩主の墓石が確認出来た次第です。

色々な方のお陰をもちまして、故郷を離れて暮らす私の小さな目標が達成できました。本当にありがとうございました。

 

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帰京しました。

2019年06月23日 | 散文

 

雲海の上は快適です。

 

着陸体制に入ります。今日は揺れます。旋回しながら高度を下げていきます。

 

房総半島が見えてきました。

 

何処だろう?

 

曇り空の関東地方です。前から気になっています。あの池の真ん中に島が在る風景は何処だろう?

 

ぐんぐん高度を下げて行きます。

 

東京湾に出ました。

 

海です。

 

もうすぐ着陸します。

 

着いてみたら結構晴れています。

 

また高速道路を見上げながらの生活が始まります。

 

 

 

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