綱敷天満宮にある「月賦販売発祥記念の碑」の前にある石灯篭に名前があった「小谷屋」を訪ねました。漆器の販売の際に「割賦販売」を始めたのがその起こりです。
綺麗に手入れされたように見える庭です。
老舗の風格です。
小谷屋も自前の船舶を持って大商いをしていました。
屋敷に併設して蔵が在ります。
大きな屋敷です。
この小谷屋が、もう営業していないそうです。
綱敷天満宮にある「月賦販売発祥記念の碑」の前にある石灯篭に名前があった「小谷屋」を訪ねました。漆器の販売の際に「割賦販売」を始めたのがその起こりです。
綺麗に手入れされたように見える庭です。
老舗の風格です。
小谷屋も自前の船舶を持って大商いをしていました。
屋敷に併設して蔵が在ります。
大きな屋敷です。
この小谷屋が、もう営業していないそうです。
拝殿の向かいに絵馬堂があります。
絵馬堂の前には菅原道真公ゆかりの碑があります。
「筆塚」
「鶯」
「牛」 です。これら碑の大きさはこの地域が裕福だったことを表しています。
絵馬堂を覗きます。潮風の影響でしょうか、劣化が激しいです。
単に古いだけのことでしょうか?
私は、この絵馬堂の隣に在る保育園のOBです。従ってここでよく遊んでいました。その時から不気味な絵でしたが、子供ってすぐに慣れます。平気で遊んでいました。
一方、菅原道真公とこの天満宮の関係についてはな~んにも知りませんでした。
知ったのは成人してからだったと思います。何んにも知らずに遊んでいました。
境内には色々な石碑がありますが、こんな新しい物もあります。
「第二次世界大戦において北辺の地に南海の果てにまた大陸の異郷に戦い散った戦友は護国の英霊となり(桜井校区二百七十八柱)(このうちの一人が私の伯父です)呼べども応えず帰ってこない 多くの亡き戦友や同胞の冥福を祈り有史以来かつてない言語に絶するこのような悲惨な戦争は二度と繰り返してはならぬことを後世に伝えると共に恒久の平和を祈念し私たちの悲願をこめここにこの碑を建立する 昭和五十四年早春建立」
「朝毎に志島の宮にぬかづきてやすらかな世をひたに祈りし」
そして、「月賦販売発祥記念の碑」もあります。
この地域が裕福だった証です。
ここに「小谷屋」の名前があります。
・・・あそこへ行ってみよう。
海岸から松原が続きます。
ここは瀬戸内海国立公園の一角です。大袈裟に言えば「白砂青松の松原」です。私は国立公園での生まれ育ちです。
自動車は進入禁止です。
人々の足で踏み固められた砂は固くなってはいますが、「道」を外れると砂に足を取られます。
所々に箒の跡があります。
こういうことです。住民が整備しています。
その松原に参道があります。
参道を行きます。
「日清戦役記念碑」があります。東京ではよく「日露戦争」物を見ますが、日清戦争に関する物は珍しいです。
参道の左右には句碑が並んでいます。
境内の各所に同じような句碑があります。ここに祀られている人の影響です。
そして「史跡 衣干岩」への道標です。
拝殿が現れました。
「綱敷天満宮」です。
菅原道真公が遭難してこの浜に流れ着いた時、貧乏漁師村は座布団すら有りません。そこで漁で使っている綱を円く敷いて接待した、との故事により「綱敷天満宮」と名付けられました。
学問の神様らしく、合格祈願の絵馬が奉納されています。東京の亀戸や湯島、または道真公がここから流されていった太宰府と比べると、とっても少ない絵馬ですが、少子化のせいです。近隣市町村の受験生が天神様に祈願する気持ちに変わりはありません。
しばらく境内を散策します。