夕方の迎賓館前です。
この門がヨーロッパの城みたいで素敵です。
近寄って見上げます。
ちょっと離れて見詰めます。
港区の丘の上の夕方です。
赤坂御用地の西側の急坂です。南元町派出所が在りました。
ちょっと好いので自転車を停めました。自転車は一旦停まると漕ぎ出しに力が要ります。ましてや急坂の途中です。でも、停まりました。好いです。
振り返る坂下のカーブの正面の森は赤坂御用地です。
行く先の前方は学習院初等科です。
私の後ろ、派出所の正面は西日を受けた迎賓館南西門です。
早春の空に雲が浮かびます。
千住宿場町商店街の看板に触発されて現場を訪ねています。
例によってPCで見付けた説明を転写します。
深川万年橋下(ふかがわまんねんばしした)
東京都江東区清澄二丁目
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万年橋です。
万年橋は、江戸深川を流れる小名木川が隅田川に合流する地点にかかる橋をいいます。
隅田川に浮かぶ船の中から、万年橋を見上げたような構図が印象的です。
また、その両岸をつなぐ太鼓橋の弧と橋桁が目を引きます。
橋の手前の船の舳先が示す方向に目をやると、橋桁の向こうに富士が見えます。
橋の上には多くに人で賑わっています。
対照的に一人の釣り人が描かれています。
さて、これは水上からしか見る事ができませんね。それができるのが、趣味のカヌーです。古い写真を探したらありました!小名木川に在る扇橋水門です。江東ゼロメートル地帯を洪水から守ります。
水門の向こうに橋が見えます。あれが万年橋です。
我々には「萬年橋」の表記の方が馴染んでいます。北斎が描いた橋より平板ですが、ここから描いた景色ですね。
橋を潜ったらもう隅田川です。左端方向が富士山です。
隅田川から振り返って見る萬年橋です。
今度は陸から。萬年橋上からも見ます。富士山の方向には「清洲橋」が在ります。北斎が描いた当時は無かったのでしょうね。現代の隅田川は産業の発展の為に交通網を整備して橋を多く架けていますが、当時は江戸城防衛の観点から橋は少なかったようです。
さて、萬年橋にはこんな案内板があります。
歩道のカラー煉瓦は「蛙」です。何よりここは松尾芭蕉の住んだ場所です。
橋を越えると在ります。
芭蕉の旧居跡です。
葛飾北斎と松尾芭蕉は近しいイメージがあります。どちらも趣味人で芸術家だからでしょう。 北斎が富岳三十六景を描き始めたのは芭蕉没後137年経ってからのことです(北斎は芭蕉没後66年の生まれです)。・・・江戸文化の奥深さを感じさせます。
余談ですが、ここの周辺情報はこちら。