ガードの向こうは京成堀切駅です。振り返ります。
高架脇に商店街の街灯がありました。「堀切一番街」と書かれています。あのカーブの向こうが中心地のようです。行ってみます。
カーブを曲がると、もう1本の街灯がありました。
その先は三差路です。
住宅街です。えっ!?
戻りました。こちらの街灯と向こうの街灯が見えます。京成電車の高架も見えます。つまり、この2本の間が「堀切一番街」のようです。
勝手にニューヨークの「五番街」を連想してしまっていました。
ガードの向こうは京成堀切駅です。振り返ります。
高架脇に商店街の街灯がありました。「堀切一番街」と書かれています。あのカーブの向こうが中心地のようです。行ってみます。
カーブを曲がると、もう1本の街灯がありました。
その先は三差路です。
住宅街です。えっ!?
戻りました。こちらの街灯と向こうの街灯が見えます。京成電車の高架も見えます。つまり、この2本の間が「堀切一番街」のようです。
勝手にニューヨークの「五番街」を連想してしまっていました。
電車がやって来ました。
京成お花茶屋駅です。
駅の入り口と並行に商店街が在りました。「お花茶屋駅前商店会」です。商店街の店主は会を作ってイベントを行ったり、飾り付けをしたり、賑わいを演出して共存共栄を図るケースが多いです。「スナックちえ」と「洗光舎」と「ヘアーサロン ヤマダ」と「アジアン料理まんぷく」の看板があります。
狭い路地を入って行きます。いきなりシャッター街です。「風月堂」は有名な菓子店です。夜の商売ではありません。撤退したようです。
賑やかな飾り付けに目を奪われましたが、手前の家は「入居者募集」です。
賑やかな店はネパールの国旗です。「アジアン料理まんぷく」です。入り口の看板にあった店です。その向こうに「スナックちえ」が見えます。
すぐに「洗光舎クリーニング本店」が在りました。隣が「ヘアーサロンヤマダ」です。どれも入り口の看板にあった店です。突き当たりは三差路です。
左右は住宅街です。
振り返ります。商店街はここまでのようです。たったこれだけです。呆気ない「商店会」です。まさか、看板に書かれている店が商店会の全てとは思いませんでした。かつては駅前の好立地で賑わい商店街だったのでしょうね。
頑張ってほしいです。
千住宿場通り商店街の看板に触発されて現場を訪ねています。
例によって解説を添付します。
江戸日本橋(えどにほんばし)
東京都中央区日本橋一丁目
--------------------------------
日本橋は、長さ約二八間(約五十メートル「江戸名所図会」 )で、橋の上は人々が絶え間なく往来、橋の下は、一日中船が出入りするなど、喧噪に満ちていました。
本図は両岸に立ち並ぶ蔵が透視遠近法で描かれています。
画面手前に日本橋を描き、奥に一石橋、その上に江戸城、そして左前方に富士を描いています。
欄干には擬宝珠が付けられています。
橋の上には、大きな荷物を満載した大八車、天秤棒、材木など様々なものがあります。
人々は、荷物をかついで忙しげに歩き、荷物を下ろしたりするなど、一日が今始まったかのようです。
--------------------------------------
千住界隈の葛飾北斎が「富岳三十六景」を描いた場所には説明板が有りましたが、他の場所には何もありません。とても探し辛いです。が、ここは簡単に分かりました。
日本の道路の起点です。
橋の下は日本橋川です。
昭和39年の東京オリンピック開催に際して、急ピッチで先進国の体裁を整えようとした政府は、新幹線とともに高速道路を造りました。誰も住んでいないので立ち退きの必要が無く工事の進捗の邪魔にならない場所として、東京の河川・運河の上に建造しました。
頭上が重苦しいです。
葛飾北斎が見た日本橋の風景とは違って、空も富士もお城も見えません。この左右にいっぱい蔵が並んでいたのですね。
富士山はあの方向です。