荒川三歩

東京下町を自転車で散策しています。

両国界隈の隅田川テラス絵

2021年02月12日 | 散文

隅田川の鉄橋を総武線が行きます。

 

隅田川テラスの壁に浮世絵が飾られています。これは両国橋の絵です。

 

両国側です。

 

右側は日本橋方面の風景です。

 

壁画を追います。隅田川と両国の賑わいです。「東都名所両国繁栄河関之画」です。

 

「東都名所四季之内 両国夜陰光景」との文字があります。

 

移動して鉄橋に来ました。

 

対岸の花街「柳橋」の夕刻です。陽が傾いています。

 

「東都両国橋渡初之図」と読めます。

 

これは歌川広重の絵です。「大川とも呼ばれた隅田川に架かる両国橋を、西側から描いた図。両国橋西詰は、火事の延焼を防ぐために火避け地として空き地になっていたが、いつの間にか見世物小屋などが立ち並び、多くの人々が集まるようになった。手前に並ぶのは、両国界隈で遊ぶ人たち目当ての水茶屋である。

また東岸をよく見ると、上流からの川の流れを弱めるために打たれた、たくさんの黒い杭が打たれている。『百本杭』と呼ばれて親しまれていたものである。」

 

壁画に西日が当たります。「東都名所両国回向院境内全図」です。回向院の境内は相撲や見世物などが開催されていました。今でいうテーマパークです。

 

鉄橋を振り返ります。電車が行きます。鉄橋に映る西陽が冬らしからぬ眩しさです。上空に明るさが残っていて、水面が影っていきます。

早春の隅田川です。「春の麗の隅田川」には早いです。

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「富嶽三十六景」の現場を訪ねて/御厨河岸より両国橋夕陽見

2021年02月12日 | 散文

宿場通り商店街の看板に触発されて現場を訪ねています。

 

PCで調べていたら次のような解説がありました。借用します。

 

御厩河岸より両国橋夕陽見

(おんまやがしよりりょうごくばしのせきようをみる)

東京都墨田区本所一丁目

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暮れなずむ隅田川・御厩河岸の渡し場。(台東区蔵前二丁目辺りの隅田川岸に幕府の御厩があったので、この辺りを御厩河岸といいました。)

渡し船の手前に、美しい藍の線で大きな荒波が描かれています。

対岸の両国橋のたもとに富士の姿、沈む夕陽の逆光でシルエットとして表現、

日が沈んで次第に色が失われていく時間が表現されています。

渡し船に乗っている商売人などの人々は、この美しい光景をほとんど見ること

なく押し黙り、一日の終わりを表しています。

渡し船の船頭の禿頭を回転軸に、舟の孤と両国橋の孤が対象となっています。

船頭の視線の先には、富士が見えます。

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御厩河岸より両国橋夕陽見2.jpg

御厩河岸より両国橋夕陽見1.jpg

さて、先ずは厩橋を目指してやって来ました。

 

隅田川テラスに降ります。頭上は首都高速向島線です。

 

あの橋は両国橋ではなく、蔵前橋です。ここからは蔵前橋が邪魔になって両国橋が見えません。北斎が描いた時には蔵前橋が無かったと思います。

 

テラスを上がって場所を確認します。

 

北斎が描いた場所はライオン株式会社の本社ビルの東側奥辺りだと思います。

 

後ろが厩橋です。ここからでは両国橋が見えないので、描いた場所とは違いますが、蔵前橋の向こうに移動しす。

 

蔵前橋の下流に来ました。隅田川テラスから両国橋を見ます。

 

橋が見えますが、あれはJR総武線の鉄橋です。鉄橋が邪魔をして両国橋が見えません。勿論、北斎が見たときは在りませんでした。こうなったら、北斎が見た場所から随分下流になりますが、あの鉄橋の向こうへ行きます。

 

後日やって来ました。鉄橋の向こうに在るのが両国橋です。他の橋のようにアーチが無いので分かり辛いです。

 

橋を潜ると、まともに夕陽が射します。絵の時間帯は陽が落ちて富士山がシルエットになっています。ちょっと時間が早かったです。何より、橋が良く見えません。

まあ、雰囲気は感じられます。太陽がある方向が富士山です。

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