荒川三歩

東京下町を自転車で散策しています。

小村井香取神社の梅

2021年02月22日 | 散文

白梅が見ごろでした。

 

梅まつりが始まっています。

 

木々の咲き具合に個性がありますが、見ごろです。

 

黙って観梅します。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここは徳川将軍家の観梅の場所でした。

 

広くない場所なので、密集の華やかさがあります。

 

 

 

今では下町の庶民に人気の観梅の場所です。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「富岳三十六景」の現場を訪ねて/本所立川

2021年02月21日 | 散文

北斎の描いた現場を訪ねています。

 

PCで探した説明を転写します。理解が深まると思います。

本所立川 

本所立川4.jpg

本所立川 (ほんじょたてがわ)

東京都墨田区緑四丁目

------------------------------------------

立川は運河の堅川のことです。この運河が隅田川に交わるあたりには、材木問屋の材木置き場が多くありました。

製材された丈の高い材木の間から小さく遠慮したような感じで富士が見えます。

一方、木片を投げている人、それを受取ろうと構える人、鋸を挽く職人などの表情は
生き生きと描かれています。

小さく見える富士以外、殆どは直線で構成されています。

材木置き場の看板に「西村置場」、材木に「永寿堂仕入」「新板三拾六不二仕入」と
書き込み、版元と本シリーズの宣伝をしています。

------------------------------------

本所立川2.jpg

本所立川1.jpg

 

墨田区緑4丁目にやって来ました。

 

他に場所を特定できる情報はありません。

 

竪川(北斎は『立川』と書いています) にやって来ました。界隈には竪川と横川があります。江戸城から見て、縦に流れる川と横に流れる川です。

 

この辺りだと思います。

 

材木問屋の面影は皆無です。

 

マンションが中心の住宅街です。

 

竪川へ行きます。中空を走るのは首都高速小松川線です。

 

東京に高速道路を造る時、立ち退きが不要で工事がはかどり易い運河の上に造りました。向こうが隅田川です。その向こうに江戸城が在ります。つまり、縦川です。

 

この水運を使って材木を運搬しました。

 

この道を行くと「木場」です。

絵の面影は全くありません。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

葛飾北斎の墓にお参りする。

2021年02月21日 | 散文

「富嶽三十六景」の現場を訪ねています。となると、お参りしなければなりません。元浅草の誓教寺にやって来ました。

 

あそこです。祠になっています。

 

 

お参りします。

 

墓石脇にはパンフレット等が置かれています。観光案内所みたいです。

 

一つ頂戴しました。

 

角度を変えます。

 

下戸で蕎麦好きで引っ越し魔だったそうです。

 

流石は世界の北斎です。英文の案内もあります。1969年のものです。随分古い案内板です。昔から外国人が訪ねてきたのでしょうね。

 

境内には「生誕二百年記念碑」と銅像もあります。

 

 

貴方に描いて頂いたお陰で、名画の現場巡りなんて暇つぶしができています。けっこう楽しいです。

ありがとうございます。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「富岳三十六景」の現場を訪ねて/江戸駿河町三井見世略図

2021年02月20日 | 散文

例によって、千住職場通り商店街の看板に触発されて現場を訪ねています。

 

そして例によって説明を転写します。

江都駿河町三井見世略図5.jpg

江都駿河町三井見世略図(えどするがちょうみついみせりゃくず)

東京都中央区日本橋室町二丁目

-------------------------------

「三井見世」とは、江戸屈指の呉服屋越後屋のことです。     

 両側を三井が占める駿河町の通りからは、この図のように富士が正面に見通せました。

看板にありますように、越後屋は現金掛け値なしで大評判となり、一日千両もの商いで江戸名所の一つとなりました。

この大店を下から見上げるような構図で大屋根を強調、動きの素早い瓦職人と空を飛翔する凧の動きが絶妙です。

富士の三角形、屋根の傾斜も三角形と北斎らしいバランスとなっています。

めでたい寿の字の凧は、三井のお正月の売り出し広告なのでしょう。

---------------------------------------

         

 

江都駿河町三井見世略図3.jpg

江都駿河町三井見世略図1.jpg

ここもすぐに分かりました。この正面に富士山が見通せたのですね。富士山から一方通行の路です。

 

浮世絵では左右が越後屋ですが、今は左側が三越で、

 

右側が三井住友信託銀行です。

まあ、越後屋も含めて全部三井家のものですけど・・・。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

IKEBUSの後ろ姿

2021年02月20日 | 散文

交差点を右折しようとしている真っ赤なバスが居ました。追いつけません。取り急ぎ後ろ姿を撮りました。

 

日陰から日なたに出たと思ったら、前に真っ黄色のバスが居ました。

初春らしい色合いです。一度乗りたいです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

千住神社には色々在るー2

2021年02月20日 | 散文

拝殿へ向かう途中に見処が一杯あって足を取られています。右手に恵比寿の文字が見えました。「千住七福神」の1社です。

 

こちらです。

 

周辺には末社が沢山ありました。

 

 

 

・・・住居近くの「宇迦神社」へ時々行きます。小説「坂の上の雲」でコサック騎馬団と戦った軍馬盛敬号の石碑がある神社です。「宇迦」とは「食(うけ)」だったのですね。やっと意味が分かりました。

 

さて、いよいよお参りできます。

 

拝殿から振り返ります。ここに来るまでに、右にフラフラ左にフラフラしました。沢山の見処がありました。

 

帰ろうとすると、まだありました。

 

子供を抱える狛犬です。

 

これは、、、先日「富嶽三十六景」の現場を探しに行った原宿の「隠田神社」で、初めて見た狛犬と一緒です。ここにも子育ての狛犬がありました!不思議な縁です。初めて見たと思ったらすぐに2例目に遭遇です。

 

さあ、帰ります。と思ったら、御神木がありました。

 

しめ縄が渡されています。

 

どうやら潜るみたいです。本殿に向かって潜ります。・・・これって、お参りする前に潜るもんですかね?

見るもの、する事が一杯あります。盛り沢山で一度では消化できません。こんな神社でした。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

千住神社には色々在るー1

2021年02月19日 | 散文

千住宮元町の八幡神社に書かれていた「千住神社」にやって来ました。すぐ近くです。

 

 

ここでもいきなり「八幡太郎源義家」に出くわしました。先ほどの八幡神社でも出逢ったし、先日の青山の龍厳寺では義家が腰掛けた石にも出逢いました。奥州征伐を行ったこともあって、関東は義家の縁が多いです。頼朝・義経のひいひい爺ちゃんですね。

 

説明板がありました。

 

こちらに源義家の記載があります。

 

こんな説明板もあります。ここは大きな森だったようです。

 

さて、お参りしましょう、と自転車を押しかけたら、

 

こんな物がありました。何これ!?古墓?

 

覗き込みます。暗くてよく見えませんが、浅そうです。

 

「防空壕」です。私が育った田舎には、山の崖に大きな横穴を掘った防空壕が在りました。中は、爆風や焼夷弾の火炎を避ける為にL字に掘っていました。こちらは簡易型ですね。この神社は空襲で焼けたようですが、無事に避難できたのでしょうか?

 

こんな場所に在ります。

 

さて、お参りしましょう。

 

こんな説明板があります。「不屈」ですか?

 

この木です。

 

焦げ跡を刻んだのは、金網で保護されているこの部分ですね。でも、どうして切り取るのでしょうか?これが樹木の治療方法なのでしょうか?

 

参道の鳥居下に戻ります。

 

すぐに、こんな記念碑に出逢いました。

 

関東の神社で時々出逢う「富士塚」です。

 

 

塚には沢山の登山記念碑が建てられています。

 

 

 

こちらには富士山の溶岩で囲った「御大典記念改修」碑があります。富士塚を大切にしています。上部に狐が居ます。

 

こちらには「猿田彦大神」が祀られています。

・・・なかなかお参りできません。この話続きます。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「富嶽三十六景」の現場を訪ねて/従千住花街眺望ノ不二

2021年02月19日 | 散文

千住の「宿場町通り商店街」の看板に触発されてその現場を訪ねます。

 

「解説」を転写します。

従千住花街眺望の不二

従千住花街眺望ノ不二 4.jpg

従千住花街眺望ノ不二(せんじゅかがいよりちょうぼうのふじ)

東京都足立区千住宮元町三丁目

----------------------------------------

千住の花街(岡場所:飯盛り女の名目で許された遊女を置いた宿)からから富士を望んでいます。

近景に右方向へ進む、赤い袋に入れた鉄砲組の後に毛槍の大名行列描かれています。


真ん中に稲刈りも終わった田圃、画面奥の塀に隣接する花街と富士を描いた遠景。

畦道がこの三つを結んでいます。

畦道の真ん中でひと時の休息をとる二人の農婦が面白そうに行列を眺めています。

富士もすっかり雪で覆われ、初冬の景色となっていま

-------------------------------------------

従千住花街眺望ノ不二 2.jpg

従千住花街眺望ノ不二 1.jpg

 

さて、葛飾北斎画「武州千住」の現場にあった地図を頼りにやって来ました。ここは松尾芭蕉が奥の細道に起った矢立初めの地です。ここから見たの?

 

ここは「奥の細道」の紹介場所です。

 

あ、あそこに有りました。

 

「隅田川関谷の里」の現場にもあった説明板です。

 

ここから見たの?目の前の隅田川が描かれていません。写実主義の北斎だから、必ず目前の隅田川を描く筈です。

 

富士山はあちらでしょうか?

 

もう一度説明板を見ます。よく見ると赤い破線で囲まれた場所があって、描かれた場所が示されています。ここ違うの?なんでここに説明板を置くの?紛らわしい・・・

 

千住大橋を越えて移動します。

 

<場所ー1>

前回、上記の後南千住駅の南側の場所を報告しましたが、案内板の場所を再確認して正確な場所を探しました。やって来たのは三ノ輪2丁目に在る明治通りと土手通りの交差点です。説明板の赤い破線で囲われた左上の交差点です。左右が明治通りで、前後のスカイツリーに向かう道路が土手通りです。2つの通りに挟まれた三角形の場所が目的の場所です。ここから探します。

 

明治通りを東に行きます。南千住の端です。ここから実際の富士山の方向と絵にある富士山の方向を合致させます。この地図でいうと、もっと左です。

 

この辺りです。富士山はあの方向です。

 

ここは「泪橋」の交差点です。この向こうの田園風景を北斎は描きました。「泪橋」といえば、旦下段平がこの橋の下にボクシングジムを造りました。劇画「あしたのジョー」の舞台です。北斎が描いた場所の現在はどんな場所になっているでしょうか?

 

「あしたジョー」の舞台とは通称「山谷」です。日雇い労働者やホームレスと、彼らを支援するキリスト教徒や医療を提供する篤志家医師の街です。

 

複数の路地からスカイツリーが覗いています。

 

時々賛美歌の合唱が聞こえます。

 

ここが山谷のシンボルです。

 

「山谷労働者福祉会館」兼「日本キリスト教団 日本堤伝導センター」です。

 

アーケードが無くなって、雨や寒さに堪えられなくて、路上生活者が居なくなった街です。

北斎が描いた田園風景の今です。

 

<場所ー2>

ここで新たな疑問が生じました。冒頭の「解説」の住所は「東京都足立区千住宮元町三丁目」となっています。「説明板」と「解説」の場所が違うのです。で、宮元町三丁目にやって来ました。三丁目は狭い範囲です。そこには神社が在りました。

 

前面道路は「新日光街道・国道4号線」です。芭蕉が生きていた時代の「旧日光街道」は、ちょっと東の、冒頭の看板があった宿場町通り商店街です。この界隈は田園だったと思います。

 

あの方向が富士山の位置ですが、この近くに「花街」が在ったのかは不明です。

 

探索はここまでですが、初めての神社なので訪問します。

 

八幡神社です。

 

拝殿へ行きます。

 

手水舎です。

 

お参りします。まあ、簡素な神社です。

 

「千住七福神」の1社で「毘沙門天」を祀っていました。

 

 

説明板を読みます。八幡太郎源義家ゆかりですか!? 

 

冬枯れの境内です。

 

桜が咲いていました!河津桜でしょうか?

 

無人の神社です。

折角来たのでここに書かれている「千住神社」へも行ってみます。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「青山龍厳寺」は大変由緒ある寺でした。

2021年02月18日 | 散文

葛飾北斎の富嶽三十六景の現場にやって来ました。門が閉まっていたので外から写真を撮っていたら、庭で作業をしていた男性が現れました。北斎が富嶽三十六景を描いた場所を教えて頂き、その後、「大したものはないけど」と言いながら、とても由緒あるものが保存されている話を聞きました。「もし許されるなら拝見したい」と申し出ると、「門脇の戸を開けてお入り下さい」と招き入れて頂きました。

 

先ず案内されたのが、浅野家の墓所です。そう、あの播州赤穂の浅野内匠頭の実家、広島浅野家です。ここが菩提寺なのです。

 

三基の立派な墓です。

 

へええ!

 

入門前に富嶽三十六景の現場を見に来たと言っていたので、あちらが富士山です。と指差して教えてくれます。鬱蒼としたお墓の向こうは青山のビル街です。

 

その後案内されたのが、広い庭の柿の木の手前の石碑です。

 

松尾芭蕉の句碑だそうです。「どういう謂われのものなんですか?」と聞くと、 「松尾芭蕉がここで詠んだのです」 「えっ!?」絶句しました。そして、「どういうことですか?上部が欠けているのは何故ですか?なんて書かれていたのですか?」と畳みかけます。「何度聞ても忘れてしまって・・・、ちょっと待って下さい」と住居へ行って誰かを呼ぼうとしています。「いや、突然やって来て失礼な話ですでので・・・」と言うそばから女性が現れました。

「石碑の上部の大半が無くなっているのは焼夷弾が直撃したからです。この庭には沢山の不発弾が埋まっています。近所には旧日本軍の施設が多くあったので何度も爆撃されました。この庭に茶室を建てた時に芭蕉が気に入って詠んだそうです。『春もやや景色ととのふ月と梅』と書かれていました。末尾に『芭蕉』と記載しています。気に入った場合に書いたそうです。その他のものは雅号を書いたそうです」

 

次に紹介されたのが紅葉の古木下にある石です。盆栽はやらないけど良い雰囲気の大木です。

 

「八幡太郎源義家が奥州征伐出発前に座った石です」 「えー!」

 

質問します。「随分歴史がありますね。何代目なんですか?」 「今の臨済宗になってから26代です。寺の歴史だと千年を超えます」 だから義家が座ったり、芭蕉が詠んだり、北斎が描いたわけですが、、、

話は続きます。「寺領は表参道からこっち、一万坪在りました」から始まって、土地が減っていった話、周辺の変遷の話、庭の手入れの話、上級国民の話、オリンピックの話、コロナ禍の話、夏蜜柑の話、やって来る鳥の話、檀家が少なくなった話等々。

 

吉良上野介の右筆が12月14日にここの句会中に脳卒中で死んだ話。生きていたとしても、翌年の討ち入りで死んだであろう話。子孫がその死んだ謂われを書いた書物を持って訪ねて来て、浅野家の墓に驚いた話。

「松の廊下」で浅野内匠頭を羽交い締めにして、ニの太刀を防いだ旗本梶川与惣兵衛の子孫が檀家の話。「あの時止めなければ内匠頭が本懐を遂げていたのに」と、ずっと檀家仲間に言われ続けていた話。その子孫がキリスト教に改宗して檀家でなくなった話。

 

庭の向こうの高層マンションの住民の話等々、庭の植物や周辺の高層マンションなどを眺めながら、立春を過ぎたとはいえ冷たい風の中で、小一時間立ち話をしました。ありがとうございました。お互い体が冷えました。

 

で、裏の丘から写真を撮った後、坂道でこんな説明板に出逢いました。

こんな日でした。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「富嶽三十六景」の現場を訪ねて/青山円座松

2021年02月18日 | 散文

千住宿場町通り商店街の看板に触発されて、北斎の絵の現場を訪ねています。

 

例によって解説を転写します。青山円座松4.jpg

青山円座松(あおやまえんざのまつ)

東京都渋谷区神宮前・龍巌禅寺

--------------------------------------------

円座の松は、原宿村の龍巌寺境内にあった名木です。

江戸近郊の名所としてこの寺と松は知られており、「江戸名所図会」にも紹介されています。参詣者は寺の広い庭園を散策してこの松を鑑賞しました。

北斎は、富士を三角形に描いて、大きな笠松を小山のような半円に描き、対照させて
います。松葉の中で掃除する人の手足、父親が子どもを手ぬぐいで引っ張って坂を上る姿など、細かく描かれています。

築山の上で賑やかに酒宴が催されています。景色よりも酒のようです。

青山円座松2.jpg

青山円座松1.jpg

 

 

やって来ました。キラー通りから続く下り坂です。旧鎌倉街道です。関東は各地に「鎌倉街道」が在るので珍しくないけど、単に「鎌倉街道」と言われると、どこの鎌倉街道なのか分からなくなります。青山の鎌倉街道です。

 

勢揃坂です。この坂が歴史的な坂だと後で知ることになります。正面には新国立競技場が見える高級住宅街です。

 

ここが龍厳寺です。

 

ここに円座松があったのですね。

 

門が閉まっているので、あの辺が松が有った場所だろうと写真を撮っていました。そうしたら、庭の手入れをしている男性が現れて、その絵は後ろの丘の上から描いたものだと教えてくれました。

 

後ろの丘の公園です。背後は国学院高校です。

 

龍厳寺を見下ろします。

 

富士山はあの方向です。今も龍厳寺が存在しているのが凄いです。

実は、ここに登る前に、境内に入って色々見学させて頂きました。ホントに凄いお寺でした。時系列が逆になりますが、次回投稿します。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「隠田神社」の狛犬

2021年02月17日 | 散文

富嶽三十六景の現場を探してやって来ました。

 

表参道からも行きます。

 

境内の入り口に狛犬が有りました。だいぶん風化しています。

 

顔を良く見ようと近づいて気付きました。風化していますが、胸に居るのは子供ではないでしょうか?子供を抱いた狛犬を見るのは初めてです。ちょうど銀杏の木の影で見づらいです。

 

拝殿の手前にも普通に二頭の狛犬が居ます。

 

あ形の狛犬を見ます。やっぱり!子供を抱いています。子連れの狛犬です!母子です。

 

うん形の狛犬は鞠を持っています。このように鞠を持った狛犬も初めて見ました。子育て狛犬一家です!

 

最初に見た手水舎横の狛犬を振り返ります。

どういう謂われか分からないので調べてみました。こちらが良く書かれていましたが、子持ちの理由は分かりません。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「富嶽三十六景」の現場を訪ねて/隠田の水車

2021年02月17日 | 散文

千住宿場町通り商店街の看板がきっかけで絵の現場を訪ねています。

 

例によって説明を転写します。

穏田の水車

隠田295.jpg

 

穏田の水車 (おんでんのすいしゃ)

東京都渋谷区神宮前

---------------------------------------

この図が原宿とは、とてもではないが信じられない、とは誰もが思うところでしょう。

原宿は、かつては農村地帯で、今では暗渠になってしまった渋谷川にはたくさんの水車がありました。

水車の羽根で作られた水流は、波の変化激しく北斎らしさが見られます。

洗い物をする女たち、穀物を水車小屋に運ぶ男たち、子供は亀の散歩、ここには農村の
たくましい生活感が描かれています。

富士は、そんなたくましい庶民の暮らしを眺めています。

--------------------------------------------------

隠田の水車2.jpg

隠田の水車1.jpg

 

コロナ禍の平日なので竹下通りが疎らです。まさか再びここに来るとは思ってもいませんでした。

 

旧原宿駅舎の解体が進んでいました。もう尖塔が有りません。

 

添付の説明によるとこの絵の場所は「渋谷区神宮前」です。

 

神宮前は広いです。表参道の左右に広がっています。

 

闇雲に行っても分かりません。「原宿神宮前商店街」です。ラチが開きません。ふと思いついて、スマホの地図検索で「隠田」で検索しました。

 

すると、「隠田神社」が在りました。原宿の路地を探して捜して、迷い迷ってやって来ました。

 

こんな場所です。

 

あの正面が神社らしいです。

 

 

「隠田神社」です。

 

振り返る先は富士山の方向でもあります。ここだろうか?絵を連想させる雰囲気は全くありません。

 

拝殿の脇へ行ってみました。

 

あっ!直感的に確信しました。路地の正面が富士山の方向です。この丘の上です!見つけました!

 

丘の下を帰ります。

 

キャットストリートです。

 

出たのは表参道の「神宮前4丁目陸橋」です。毎年表参道の新緑や紅葉を観る場所です。

 

表参道も普段より人通りが少ないです。

説明にもありますが、「この絵が原宿とは、とても信じられない」です。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

フコク生命ビルの夕景

2021年02月16日 | 散文

夕方になると窓ガラスに西日が当たった街が鮮やかに映し出されます。

向こうにもう一つの街が現れます。春が近い夕方です。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

レインボーブリッジの南北連絡橋

2021年02月16日 | 散文

レインボーブリッジは南北の遊歩道に分かれています。唯一、両側に通じる場所があります。当然海の上を移動します。まあ、レインボーブリッジ自体が海の上なのですが・・・

 

階段を降りて行きます。

 

海が近くなります。

 

ゲートブリッジの下から見る晴海のオリンピック選手村です。

 

南側です。橋の下から見る第3台場つまり台場公園へ渡る松並木です。

 

海です。

 

フジテレビです。

 

南北のレインボーブリッジ遊歩道の真ん中です。

見上げれば、人工物の集合体の向こうに早春の空です。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

レインボーブリッジ遊歩道から見る早春の海ー3

2021年02月16日 | 散文

北側の遊歩道を行きます。

 

中央区方面の海です。

 

右端の三角形が「晴海旅客ターミナル」です。その後ろが来る東京オリンピック選手村です。

 

こちらは豊洲市場です。

 

春の海を眺めながら遊歩道を行きます。

 

水上バスがやって来ました。後部に展望デッキを持っています。「ホタルナ」です。

 

メイン橋脚です。右手に階段があります。あそこ歩くの、怖いだろうなあ。。。

 

東京タワーを見ます。

 

晴海のビル群です。

 

振り返る都心方面です。

 

東京タワーです。

 

早春の東京を眺めます。

 

 

晴海のオリンピック選手村です。全く話題になりませんが、1年間延長になったので、入居予定者にその間の家賃補償をしています。オリンピックやるんですかねえ?

 

豊洲市場です。卸売人達の間でクラスターが発生しました。何かと問題を抱えている早春の東京です。森会長の騒動もありました。

 

振り返りつつ歩きます。

 

 

早春の海です。なんとなく、気持ちが明るくなります。海は好いです。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする