写真1 腰を曲げて鍬を使うおばーちゃん。かつての我が国の農業を想う。
写真2 くわさき(鍬先)の減り具合に、おばーちゃんの来しかたを想う。
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2012年4月21日、鹿児島県の農村を歩いていると、腰を曲げて鍬で耕す高齢のおばーちゃん。次のように声をかける。
<今、どういう作業を、なさってんですか> あのね、キョーイモを植えてんのよ
<キョーイモ> うん、イモよっか先に草が出て、
<いつ植えたんですか> えーとね、はつか(20日)ぐらいたつかねー。
<草をとってんだ> あたしね、少しでもと思って(草を取っている)。棒が立ってるでしょ。
<あー、棒が立ってるのがキョウイモを植えてある列なんだ> うん。
<これ、年期がいった鍬ですね、ここが欠けて> でしょー。え(柄)がとれて短くなった。
<これは、なんという鍬ですか、名前がついてんですか> なんという鍬ですかねー。ハガネがねー、
<あー、鍬の先が、何回もハガネ屋さんに出したんですか> いや、買ったまま。
<何年ぐらい、つこーてんでうか、40年ぐらい> ですよね
<わたしゃ、昭和23年生まれだけど、おばーちゃんは何年うまれ> よねん(昭和4年、83歳)。
以上の話を聞きながら、日本農業の機械化前の多労、手作業、鍬耕を思う。さらに、現状の女性化、高齢化を想う。
撮影・執筆者:有馬洋太郎 撮影年月日:2012年04月21日 撮影場所:鹿児島県湧水町