写真1 蔦絡まる白漆喰土蔵、落ちかけたテレビアンテナ、何を語る?
写真2 白漆喰の蔦、傾いたコンクリート壁が語るのは、何?
←ブログランキングに登録しています。よろしければ、左の緑色部をクリックして私に元気をください。
1.突如、白漆喰土蔵
三重県志摩市、英虞湾に浮かぶ間崎島(まさきじま)。
比較的平坦な島の尾根(丘)を車離合可能な舗装道路が走る。
東端へ歩いていると、右手に立派な白漆喰土蔵、広大な屋敷(写真1・写真2)。
“なんだ、こりゃ”の感。
“あれ、なんだろー”の想い、調べ心が湧く。
2.かつて、間崎島は「宝石の島」
調べると次のようである。
1907年(明治40)に出願され、紛争を経て
1908年(明治41)に特許権登録された養殖貝による真円真珠生産方法(Mise-Nishikawa Method)。
この方法の進展は、1950年代・1960年代、折りしも我が国の経済高度成長期、
間崎島に真珠産業全盛、繁栄をもたらした。
当時、電話、ラジオ、テレビの普及率が日本一になったこともあり、
「宝石の島」とも呼ばれた(伊勢志摩経済新聞2009年04月06日)。
すなわち、昔日の繁栄を白漆喰土蔵と広大屋敷が語る、教える。
今日の衰退を白漆喰の蔦、傾いたコンクリート壁、落ちかけたテレビアンテナが語る、教える。
引用・参考文献等:当ブログ2013年02月18日
執筆・撮影者:有馬洋太郎 撮影年月日:2013年02月02日 撮影地:三重県志摩市志摩町和具・間崎島