師匠の不思議な日常

天の語らい地の学び 香る神々との対話 天界、龍神界の物忌み(巫女)師匠こと天卜占と弟子で審神者(さにわ)である臣の日々

良い気候になりました

2006年09月25日 | 花・華・お花。植物さんのお話

畑に咲いていました。

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彼岸花の白です。

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                                                                                                                 球根なので、植えた後、そのままで手入れというほどのことはしていない

のですが、時期が来ると咲きます。

植物さんは、えらいですね。

感謝 天卜占

 

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目には見えないもの

2006年09月24日 | 神さま通信

あなたは、お父さんが好きですか?

お母さんが好きですか?

兄弟や姉妹が好きですか?

まわりにいるひとたちが好きですか?

何より、自分のこと、好きですか?

感情は目には見えませんが、感じることはできます。

わたしたちはおよそ数え切れないほどたくさんのもの

のなかで生きています。そのたくさんのものはたくさん

のことを教えてくれます。

まわりのすべてがあなたをつくり育み、愛しみ、

あなたというひとができあがっています。

すべては、あなたが選択をした結果ではあるけれど、

あなた自身もまた、目には見えない現象の積み重ねで、

できていることを忘れてはいけません。

すべてのつながりによりあなたができあがっていることに

感謝をすればするほど、謙虚になります。

目にみえない ものを、教えることは一見難しく思えますが、

自分に照らし合わせて、自分が楽しみ、喜んだことを

誰かにしてあげることが、一番の早道です。

そのためには、自分が自分を喜ばせ、楽しませることを

知る必要があります。

そして、その基準はあなたのまわりなのです。

今、まわりを見渡し、それが違うと感じるなら、

あなたはそこから立ち去らなければなりません。

それは、あなたが、新しいあなたに目覚め、

新しいあなたを創造し始めているからです。

目には見えないものを認め、感じ、

それらと共に歩くことが、本来、ひとのあるべき姿なのです。

あなたの日々は今も昔も光に満ちあふれています。

感謝 天卜占

加筆、修正しました。

コメント欄に、裏話を追加しました。

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思いやるこころ

2006年09月22日 | 神さま通信

怒りや、否定は、全体的にものを見ていない。

部分を見て、行われた結果だ。

そして、一部の意見であり、真実ではない。

それは、真理にはあまりに遠い。

否定するものは、やがては、否定するものにより、滅ぶ。

あたえるもの、思いやるものは、すべて、繁栄する。

全体を見ていれば、どれもが必要を見出し、

どれをとっても、いらないものなどはない。

この世界の完璧さを見出していれば、おのが身も、

完璧の中に身をおくことができる。

否定とは、不完全を受け入れることだ。

不完全の中に、おのが身をおくことだ。

自己を否定することだ。

言葉の世界に存在すればするほど、

現象は制限を受ける。

言葉に頼ることなく、現象のみにこころをおけば

常に平安が訪れる。

人を否定するこころには、常に孤独がある。

愛されたい、認められたい、自分の存在を誇示し、

人に気づいて欲しい、と、叫んでいる。

相手を認めなければ、誰でも、孤独になる。

相手を受け入れられないのだ。

だから、否定をするものたちが寄り集まり集団を作ったところで、

孤独は癒されはしない。

相手を受け入れ、尊重するこころが愛なのだからね。

相手を思いやれば、思いやるほど、全体的に物事を

とらえられて、より良い方向をめざせる。平和を見出せる。

ありがとうございました。

天卜占

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ゆる、ゆる~り

2006年09月21日 | 天意の実践

自分を大事にする。こころも、からだも。

そのためには、良いものをよく吟味して栄養をあたえる、

そして、お手入れをする。

自分の状態をよく知っていることも、大事なことです。

前に、骨盤を矯正していただいたことがあるのですが、

私は片方の目が見えませんので、見えている方の目で

ほとんど、カバーしているわけですが、背骨を治したら、

見えない範囲が広がってしまったのです。

効率が悪くても、わたしにとっては、曲がった背骨が

より、自然であったわけです。

ですが、バランスが悪いままでいるのも、不自然。

まあ、生来の状態が不自然といえば、不自然なのですけどね。

不自然なまま、少しずつ、固まっている筋肉や関節のつき方を

意識して、ゆるめていこうと、思いまして、少しずつ、こころと、

からだをほぐしています。

考え方も、すこしずつですが、ほぐしています。

からだの関節の硬さもびっくりしました。

からだが硬いのは、大変です。

硬いのは、死の属性であり、柔らかいのは生の属性

と、禅の教えにもあります。

瞑想をするとき、胡坐が組めなかったのですが、

股関節が硬いからだ、と、勝手に思っていましたら、

ふとももを細くする運動をしていたときに、足首が

すごく硬いことが判明しました。

毎日少しずつ、ゆるめるように気をつけています。

足首をゆるめることで、胡坐がくめるようになりました。

こころもからだもやわらかでありたいですね。

ゆっくりと、からだと、こころをゆるめて、

ゆるく、ゆる~りと、生活をするのも、悪くないですね。

とっさに、言葉が出ない時も、出なくてもいい。

あとで出れば、それで良しと、自分にすることも

大切なことだと思います。

からだの声に耳をかたむけていれば、

内なる声も、聞き取れるようになります。

あせらず、あきらめず、ときに、ゆるやかに

いれば、その連続が、おだやかな日々を

もたらしていることに、きっと、気づくことでしょう。

あなたの日々が 光に満ちたおだやかなもので

ありますように

感謝  天卜占

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繋がりあう魂たち

2006年09月20日 | フィルターレベルのお話

これは、少し前の話のつづきです。

そして、一つ前の話とも関連があります。

私たちがひとりでないなら、私たちと歩む者たちが

仲間ということですか?

どういうことを、共に歩むと言うのか。

共にとは、共に在ることだ。同じ一瞬を共有する者だ。

たとえ、その後は、共になくても、ひと時を共に在った者、

すべてが、あなたと共に在る者だ。

その者との関わりがあなたの一部となっている。

その者を構成している魂の一部は、かつて、あなたの

魂の一部と同じものでもある。

だから、すべての者と、繋がっているのだ。

今はもう、会わなくなった人たちとも?

すべての者だ。

周囲のすべての者だ。

あなたと関わり、かつて、関わりあった全ての者だ。

すべての魂は、つながりあっているのだからね。

そして、あなたの世界の現象を起こし、あなたの

現象を送り続けている。

あなたを構築して、あなたの部分を奏でている。

だから、出会う人たちを大事にと、言われているのですね。

ありがとうございました。

あなたとの日々が光に満ちたものでありますように

天卜占

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