さよなら三角 また来て四角...日本編☆第二章☆

オーストラリアから10年ぶりに帰国。特別支援教育に携わりながら
市民農園・家庭菜園に励んでいます。

どこかへ行きたい

2012年12月05日 09時00分00秒 | Web log
先週の水曜、木曜日の二日間は、雨、風の強い寒い日でした。
そして、何故かその二日間、レジデントの皆さんは何故か落ち着きがなく
そわそわしていました。

朝のミーティングで

Jさんは昨晩一睡もしなかった。
Sさんは吐いたんだって。
Mさんは夜の徘徊がひどかった。

などなどの話を耳にしました。

みんなに、ババと言われているJさん。
英語はある程度理解できるようですが、母国語のクロアチア語で話します。
とても可愛らしいおばあちゃんで、ご主人は別の棟にいらっしゃいまして
娘さんがいらっしゃるときは、ご主人のところでひと時を過ごします。
愛情の深い人だったんだろうなぁというのが手に取るようにわかります。

そのJさん、いつもはにこやかなのですが、その日は目をうつろにしながら
閉鎖棟をひたすら歩き回っておりました。

どこかへ行こうとしているというのがわかりました。

でも、どこへも連れて行ってあげることができません。

ご主人のところへ....とも思いましたが、私が連れて行く=つきっきりになる&他の
人のお手伝いができなくなる。帰りたがらず、興奮したら手がつけられなくなる可能性
もある=私の力量では無理 と思いまして。

とりあえず一緒に閉鎖棟をグルグル回り、お人形で気を逸らそうとしたり、
アクティビティに参加させようとしたり、あれこれ頑張りましたが
ふとしたときに何かを思い出したかのように再び歩き出し、窓の近くに行き、
開けようとしたり、外に出たいという態度を示しました。

できることなら、一時だけでもいいからどこかへ連れて行ってあげたい、
心からそう思いました。

話し変わって。

徘徊をするもう1人の男性がおります。

彼はポルトガル人ですが、英語でもかなりコミュニケーションを取ることができます。
ポルトガル語がメインですが、私たちが話す英語は大体理解できているようです。

さて、そのポルトガルおじいさん。

先日、突然「家へ帰る」と言い出して、施設の玄関口で看護師さんに喧嘩をうってました。

看護師さんが「 奥様に電話かけてみる?奥様こっちに向かっているはずだけど。
奥さんが来たら、一緒に帰れるから 」と言ってなだめすかし、奥様に電話を
かけたりしましたが、繋がらず。

おじいさんが帰ると言い張るので、みんな手を焼いておりました。

わたしが「まずソファーに座って落ち着きましょうね。私が傍に一緒に居てあげますから」
と言ってソファーに誘導。

悲しそうな顔で「You must be a good girl」と言ってくれました。

結局、奥様とは連絡も取れず、その日を境に日中は閉鎖棟で過ごすことに。

でも、閉鎖棟に来てもどこかへ行こうとして、暗証コードを聞き出そうとしたり
歩き回りたい彼にケアラーが1人つきっきりになるので、閉鎖棟でも「こっちは人手不足
なんだから通常棟に戻してもらわないと困る」とやんや、やんや。

そういう職員の態度を感じてか、わたしが閉鎖棟の中を一緒に歩いてあげたときに

「 Please do not get angry with me, please (僕のこと怒らないでね。お願いだから) 」
と訴えてきました。

わたしが「 Nooooooooooooooooo, Never 」というと安心しておりました。

大きなお庭でもあれば、一緒に歩いてあげるのに.....

認知症とは言え、毎日、毎日どこへも行けず同じところで過ごすって
どんな気分だろう とふと思いました。

さて、Jさんの話に戻りましょう。

なんとかなだめすかしながら、午後を一緒に過ごした後、帰宅時間となったので
わたしが帰る準備をしていたら、またJさんがどこかへ連れて行って欲しそうに
私に近づいてきました。

" I gotta go home now (お家に帰らなくちゃ)" と言うと、Jさんの目がキラキラ
し始めました。

Jさん、私の手をぎゅっとにぎって、一緒に行こうとしているのが分かりました。

私は回廊をぐるっと回って、もとのとこに戻ってきまして、他のケアラーさんに
バトンタッチ。

ちょっと悲しくなりました。

署名

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