さそりのらびりんす~たわごと~

慢性膵炎持ちのあゆが気ままに書く、たわごと日記です。

ごあいさつ

ようこそ、いらっしゃいました。あゆと申します。
2005年に慢性膵炎を発症いたしました。
闘病記録に日々のあれこれ、趣味のこと。
たわごとに寝言、なんでもありの内容となっております。
時折現れる、さそりの毒にはご注意を。(^_-)-☆

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死生観

2008年06月22日 18時14分36秒 | 医療・健康
これから先もずっとつづくと思っていたその人生に「終わりの時」があると知ったとき、あなたは何を考えるだろうか――。



はっ

今現在の体調のことに振り回されて先のことを考えていなかったワタクシは、何度目かわからないサルの反省をした後・・・。(笑)

こんな本を読んでいたことを思い出しました。

小松秀樹著「医療の限界」

曰く
『日本人が死生観といえる考え方を失ったのかもしれません。これが医療をめぐる争いごとに影響を与えています。』
『死や障害を医療のせいにする』

人はいつか死ぬもの。
それなのに現在の日本ではいくつになっても治りたいと思い、手術を受け、管まみれになって延命治療が続けられています・・・。
そして、何かが起これば、医療ミスではないかと疑う。
人が人を診る以上100%はありません。
昔の日本人なら「それも寿命」と受け入れていたのでしょうか。

医療訴訟といえば。
福島の県立大野病院の裁判の行方がとても気になっています。
多くのお医者さまがおっしゃるように、あの先生に非があったとは到底思えません。
休みなく1人で働き続けた先生が「有罪」なのであれば、更に多くの勤務医が病院から逃げ出してしまうことでしょう。

といって、自分が遺族の立場に立たされた時や、寿命が迫った時にどう考えるのか。

「死生観」
私も今一度考え直してみようと思います。

というわけで。
本日はamylaseさんにインスプレーションされたぱくりねたでした。
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