まあどうにかなるさ

日記やコラム、創作、写真などをほぼ週刊でアップしています。

ものづくり王国の危機

2012-09-02 00:56:25 | 時事問題
シャープと台湾の鴻海(ホンハイ)精密工業との出資交渉が難行しているという。
鴻海がシャープに対し全株式の9.9パーセント出資することでいったんは合意したが、その後シャープの株価がおよそ3分の1にまで下がったため、当初予定していた670億を鴻海が出資すると、9.9パーセントを大幅に上回る。全株式の10パーセントを越えると解散請求などが可能となるため、経営権のかなりの部分を鴻海に握られてしまう。
それを嫌がるシャープと、予定していた金額を出資したい鴻海とがせめぎ合いを展開している。
シャープの苦境は日本の家電メーカー全体の苦境を象徴していると言われている。
数年前まで、シャープの亀山ブランドの液晶テレビは世界最先端をいっていた。
なぜ、シャープは苦境に陥ったのか。
日経ヴェリタスが提供するポッドキャストで詳しく説明していたので要約する。
それは、垂直統合モデルが行き詰った結果である。
シャープの亀山工場は日本初の垂直統合モデルであった。
部品生産から組み立てまでを一箇所の工場で生産する方法は、安定調達が可能だけでなく、高い品質管理が可能で、高性能な製品を大量に生産できる。
その反面、垂直統合モデルは、運営が難しいとも言われている。
最先端の技術を維持するためには巨額の設備投資を続けなければならない。稼働率が低下すると、投資した金額が回収できなくなり、破綻してしまう。
2009年にシャープが技術の粋を結集させて建設した堺工場の稼働率は今や3割ほどだそうである。
稼働率を上げるためには、どこかと提携して、OEMなどで製品を消化させなければならなくなる。
この自前の技術の自負とこだわりが裏目に出てしまったのが今回の苦境の原因のひとつでもある。
シャープは情報流出を極端に恐れたため、自らの技術をブラックボックス化してしまった。
画質のよさはサムスンなどと比べれば明らかに上だった。
もし、この技術を中国に持ち込み、安く量産化していれば、サムスンは太刀打ちできなかっただろうと言われている。
ブラックボックス化したことで、逆にサムスンは胸をなで下ろしたそうである。
サムスンは1997年の通貨危機のときに事実上倒産し、IMF基金を受け入れることになった。
そのとき、生存対策会議というぎりぎりの再建計画を練ることになる。
そこで、それまで120あった事業を34にまで絞り込むというドラスティックなリストラを行い、背水の陣で再建を行った。
その後の成功はすさまじく、家電メーカーとしてはいまや世界一である。
日本のものづくりは匠の技が根底にある。
高い技術をもった職人が、恐ろしく精密で高度な製品を作り上げる。
かつてゼロ戦の性能は世界一であったが、日本は生産技術の面でアメリカに劣っていた。
量産技術がなかったため、物量で負けてしまった。
戦後、エドワード・デミングという学者を招き、生産技術を徹底的に学び、今日のものづくり立国の基礎を築く。
フォードが日本車に押されていたとき、日本メーカーを研究した際に、このエドワード・デミングの存在に気づき、80歳のデミング氏を招き入れ、巻き返しを図ったという話しもある。
サムスンも再建に乗り出したときは日本メーカーをとことん研究したと言われている。
サムスンが成功した理由はいろいろあるが、マーケティングの成功が大きかった。
もともと韓国は小さなマーケットしかないため、国外に販路を求めるしかなく、徹底的に売り先の国情を調べた。
高品質に過信してしまった日本メーカーとは対照的である。
サムスンが特に重視したのはデザイン。
皮肉にも、サムスン製品のデザイン向上に大きな役割を果たしたのは日本人だった。
福田民生という工業デザイナーである。
彼は、報告書をまとめ、サムスンのデザインは日本メーカーのデザインに10年遅れていると説き、デザインの重要性を強調した。
現会長のイ・ゴンヒは、その報告書を読み、サムスンの役員全員を集め、
「今から女房と子供以外は全て変えろ」言ったそうである。
経営者の的確な判断とスピードが今日のサムスンを築き上げたと言える。
垂直統合モデルは一度つまずくと再生させるのは困難だそうである。
その対極のモデルがアップル社である。
アップルは、スティーブ・ジョブズが経営に帰り咲いたとき、工場を全て売り払い、生産は全て他社に任せる水平分業モデルに切り替え、成功を収めた。
シャープの垂直統合モデルとは正反対の判断を下したわけである。
アップルの生産を支えているのが鴻海精密である。
しかし、鴻海の製造を支えている工作機械などはファナックなどの日本製。
日本はまだまだ生産の裾野の広さは世界有数である。
ハイテクの世界はiPhoneなど、たった一つのイノベーションが一発逆転になる。
オセロゲームのように、日本メーカーがひっくり返す可能性はある。
日本メーカーに憂いながら、その可能性に期待するしかない。
日本にはものづくり以外、生きていく道があるだろうかと考える。
資源はないし、農業を産業の柱にすることも難しい。
アニメなどのコンテンツビジネスも産業としての規模は小さく、一国の屋台骨を支えるのは無理であろう。
状況は厳しさを増すが、結局日本はまだまだものづくりを柱としていくしかないように思う。


メゾン・ド・イスラエル

2011-10-08 23:38:35 | 時事問題
2000年前にこの土地に住んでいたという理由で湯田さんは新部さんたちを強引に追い出し、『メゾン・ド・イスラエル』というマンションを建ててしまった。
湯田さんたちはずっと自分たちの家がなく、方々で居候生活をしていた。
新部さんたちは回りに住む仲間といっしょに湯田さんたちを追い出そうとしたが、何度も失敗してしまった。
というのも、世界一の大金持ちの亜米利さんが湯田さんたちに協力したから。
亜米利さんが住む巨大マンションには湯田さんの親戚もたくさん住んでいる。
『メゾン・ド・イスラエル』は、これも強引にマンションを増設した。
その増設したマンションの中の何部屋かが集まって、『メゾン・ド・パレスチナ』という別のマンションにしたいと言い出した。
これを認めるかどうか、亜米利さんは非常に困っているという。


「死の町」発言は本当に不適切だったのか?

2011-09-21 19:44:24 | 時事問題
今週の『週刊朝日』に主題の意味の記事が掲載されていた。
鉢呂前経産相が語った失言の一部始終と題し、独自の視点で書かれているところが面白い。
鉢呂前経産相は福島第一原発周辺を9月9日の記者会見で「死の町」と表現したことに端を発し「放射能つけちゃうぞ」などの失言騒動で、僅か9日で辞任に追い込まれた。
同誌の記者が鉢呂前経産相にインタビューをして、記事にまとめている。
現在も警戒区域となっている双葉町や大熊町をバスで回ったとき鉢呂氏の目にはそのように映ったのだという。
「ついさっきまでここでふつうの生活が行われていたようだった。にもかかわらず、人間がいない。ぼくの乏しいボキャブラリーでは『死の町』という表現しか思い浮かびませんでした」
この会見での『死の町』という言葉が独り歩きしていく。実際はどのような文脈で語られたのかを報じるメディアは少ないが、鉢呂氏は「福島の再生なくして日本の再生はない。除染対策など今の困難な事態を改善に結びつけていくことができる」という話しも会見では述べているのだ。
同誌では「死の町」という表現の何が不適切なのかと書いている。
人の姿が全くない市街地を見て、そう感じるのは自然であり、被災者への配慮を錦の御旗に、発言が誰にとってどう不適切なのかを説明せず、決めつけて揺るぎないメディアにこそ疑問をもつと続く。
さらに不可解なのがその後に報じられた「放射能つけちゃうぞ」発言。
これは鉢呂氏が「死の町」発言をする前日の8日夜、議員宿舎で囲み取材に応じた際に「放射能をつけちゃうぞ」と発言、近くにいた毎日新聞の記者に防災服の袖をこすりつけるような仕草をしていたというものだ。
「死の町」発言のあと、テレビや新聞で報じられた。
ただ、この報道にも同誌は疑問を呈している。
当事者である毎日新聞は1面で「『放射能をつけたぞ』という趣旨の発言をした」と書いているが、記者が直接聞きながら「趣旨」と書くのは不自然。読売は「ほら、放射能」朝日は「放射能をつけちゃうぞ」など、表現も社によって異なり、事実関係がはっきりしない。鉢呂氏に真意を確認した形跡もない。
インタビューで、鉢呂氏は、そんな発言をした憶えはないと述べている。
「福島のみなさんに不信感をもたれてしまった以上、続けることはできません」
鉢呂氏は辞任を決意する。
「放射能つけちゃうぞ」発言の真偽は僕にはわからない。だが、もし鉢呂氏の言うことが正しいとするのなら、メディアは誤報道をもって一人の閣僚を辞任に追いやったことになる。
鉢呂氏の手腕がどの程度かは、結局解らないままだったが、最後に彼はこんなことを話している。
原子力政策をめぐり、経産省に煙たく思われたのかもしれませんと…


今そこにある危機、電力不足

2011-06-24 17:49:52 | 時事問題
海江田大臣が、18日に原発の安全宣言を出し、停止中の原発の稼動を知事に要請した。
法的には知事の了解がなくても稼動させることは可能だそうだか、協定違反になるそうだ。
原発は13ヶ月運転させると、一旦停止させて点検することが法律で決められている。
もし、このまま停止中の原発が再稼動できず、運転中の原発がドミノ式に停止してしまうと、深刻な電力不足になるという。日本の電力の約3割は原発に頼っている。
長期的にみた場合は再生可能エネルギーに置き換えるべきだと思う。
だが、電力不足は、今そこにある危機なのだ。
原発が止まれば、火力をフル稼働させなければならず、燃料代がかさみ、電気代を押し上げる。それでも電力は足りない。
家庭で考えた場合、節電は大切な事だ。
だけど、問題は産業分野。特に製造業への打撃は大きい。生産性の低下は勿論、ただでさえ、円高や高い法人税に苦しむメーカーは空洞化を加速させる。
原発の即刻停止は失業といったリスクを高める結果になる。
当然原発の再稼動にもリスクはある。電源確保などの安全対策は必要である。
それでも、現時点でどちらのリスクが高いか、しっかり見極めてほしい。


生肉が嫌い

2011-06-20 18:40:18 | 時事問題
『焼肉酒家えびす』の集団食中毒事件を受けて厚生労働省が実施した全国の調査では、生肉を扱う店のなんと半数が基準を守っていなかったことが判明した。
氷山の一角だったということになる。
ユッケなどの生肉は現在メニューから無くなっているケースが多いという。生肉ファンにはショックかもしれない。
ユッケはどの焼肉店でも人気メニューだったらしいが、僕は生肉が大嫌い。
特にレバ刺しは、嫌いというより食べられない。口に入れても、オエ~と吐き出してしまう。ちなみに火を通してあっても内臓系はダメです。モツ鍋も苦手。
ステーキも、こんがり焼いたのが好きです。どうも赤身が残っていると気持ちが悪い。
以前、みんなでステーキを食べたとき、ウエイターに肉の焼き方を訊かれた。
みんなは、レアやミディアム、或いはミディアムレアを頼む中、一人だけウェルダンを頼んだ。
「当店のお肉はレアかミディアムが美味しくいただけますが…」
ウエイターはそう言うが、それでも僕はウェルダン。
いい肉はこんがり焼いても十分美味しいと思う。
別の店で、ステーキを食べたとき、ヒレ肉をウェルダンで頼んだことがある。
ウエイターが引き返してきて、当店のヒレ肉は肉厚があり、中までこんがり焼くことが出来ないと言う。
その店のヒレ肉はほぼ立方体に近い形をしていた。
仕方がないので、肉を二つに切って焼いてもらった。
焼肉屋へ行くと、少しあぶる程度でパクパク食べる人がいる。僕はこんがり焼かないと食べないので、「ここは僕の分」と子供のように陣地を作って食べることになります。
どうも、こんがり焼く派は少数派なのかなと思う。
今後、こんがり焼く派が増えてくれるといいなと思います。