まあどうにかなるさ

日記やコラム、創作、写真などをほぼ週刊でアップしています。

1行バカ売れ

2015-11-22 23:10:53 | 書評

川上徹也著『1行バカ売れ』
その中に書かれていた『落ちないリンゴ』といくつかの話が面白かったのでまとめておく。

今から24年前。1991年9月28日朝、台風が青森県を直撃した。
観測史上最大瞬間風速53.9メートルを記録。特に津軽地方には甚大な被害をもたらした。
ちょうどまさにこれから収穫を迎えるという時期のリンゴが強風の影響で枝から落ちてしまったのだ。
落ちたリンゴはもちろん商品にはならず、被害はリンゴ畑の90パーセントにも及ぶ。
ほとんどの農家はこのままリンゴ栽培を続けられるかどうか途方に暮れていたが、ある町の生産者がひとつのアイデアを出す。
「この落下しなかったリンゴに別の名前をつけ付加価値にして売れないだろうか」
そうして残ったリンゴにつけられた名前が

『落ちなかったリンゴ』

落ちないことを喜ぶのは、そう、受験生。
化粧箱に入れ「合格」という朱印を押し、協力してくた全国の神社でご祈祷してもらい、1個1000円で販売した。通常価格の約10倍である。
このリンゴはバカ売れし、受験生やその親に大人気で用意したリンゴは完売し、結果としてその町のリンゴ出荷量は大きく減ったものの販売額ではそれほど落ちこまなかったそうである。
もちろん、これには苦境におちいったリンゴ農家への力になりたいという部分はあっただろうが、リンゴの価値を大きく変えたのは『1行の言葉』だった。

その他、この『1行バカ売れ』には面白い例が紹介されている。
博多名物のめんたいこをニューヨークの博多料理店で売り出したとき、最初メニューには「たらのたまご」として載せていた。客から気持ち悪いと言われ、全く売れなかった。困った店主が、メニューの名前を変えただけでバカ売れするようになった。

その名前は『博多スパイシーキャビア』

ネーミングひとつでアメリカ人の頭の中にあった価値観を変えたのである。

 かつて早慶戦として戦前から盛り上がりを見せていたカードも大学野球の人気低迷のより、最近は空席が目立つようになっていた。
それがわずか5万円のポスターが早慶戦を連日満員にした。
双方のチアリーダーがにらみ合うように対峙している写真に次のようなコピー

ハンカチ以来パッとしないわね、早稲田さん
ビリギャルって言葉がお似合いよ、慶應さん

「ハンカチ」はかつて早稲田大学野球部に所属し、ハンカチ王子として大人気だった斉藤祐樹を、「ビリギャル」は当時ヒットしていた映画のタイトルをそれぞれ連想させる。

たった1行が想像以上の効果を生むことがある。
本書は例を挙げながら、そのメカニズムを探っていてとても興味深い。


浮世の値段

2015-10-31 23:37:12 | 書評

司馬遼太郎の『世に棲む日日』に『浮世の値段』という章がある。
主人公の高杉晋作が、下関を開港しようとし、攘夷派から命を狙われたため、下関の芸者を連れて逃亡生活を送っていた時の話である。
晋作は芸者に訊く
「浮世の値段はいくらだと思う」
「……五両くらいかしら」
真顔で芸者は答える。自分の売られる値段と思ったのであろう。
芸者が答えた意味と晋作の質問した意味とは少し違う。
美人であれ不美人であれ、英雄であれ凡骨であれ、ひとしなみに人生とはいったいどれほどの値段かとうことであった。生きていることの楽しみはたしかに多い。しかしその裏側の苦しみもそれとほぼ同量多いであろう。その楽と苦を差引き勘定すればいくら残るか、というのが晋作のいう浮世の値段なのである。
「まあ、三銭か」
それ以上ではあるまいと晋作は思う。
何億もの人間がこの世に出てきたが、それらはことごとく死に、愚者も英雄もともに白骨になった。まったくのところ、浮世の値段はせいぜい三銭であると。

この項は司馬遼太郎の創作か実話なのかはわからないが、とても好きな話である。
そういえば世界史的にも類のない成功をおさめた秀吉も最期に意外な句を残している。
『露とおち 露と消えにし わが身かな 難波のことも 夢のまた夢』
夢の中で夢を見ているような、はかない一生だった、と告白しているのだ。

世の中の仕事にも割にいい仕事というのはないのかもしれない。
高収入であっても、それに見合った責任なりプレッシャーなりがある。
きついノルマがある代わりに収入のいい仕事、きついノルマはないが収入はそれなりの仕事。医者やパイロットは収入はいいが命の責任がある。

浮世の値段は晋作が死んだあとのこの世も「まあ、三銭」なのかもしれない。
そんな世に棲む日日をみんな過ごしているのだ。


考証要集

2015-02-01 11:26:26 | 書評

NHKで時代考証を担当した大森洋平が著したとても興味深い本である。

大抵の人は時代考証とは時代劇のみを扱うもの、と考えているが、これは間違いで、今や戦中劇はおろか、東京五輪まで考証の対象となっているそうだ。

本書はアイウエオ順に辞書形式でまとめられてある。

いくつかご紹介する。

 

あかんべえ【あかんべえ】

平安時代にはすでに「あかんべえ」があった。11世紀後半に成立した『大鏡』にその記載がある。

 

アザラシ【あざらし】

10世紀中期に成立した『和名類聚抄』に載っているので、古くからそう呼ばれていたのは確かである。

 

あります【あります】

陸海空軍を問わず軍人が「~であります」と言うのは間違いで、これは正しくは旧日本陸軍の語法である。元は長州弁で、明治初期の陸軍が長州出身者中心だったことの名残と言われる。海軍では原則として使わない。

『宇宙戦艦ヤマト』で古代進が艦長にこの言葉を使っていたが、未来では海軍もこの語法を使うようである。

あ、『宇宙戦艦ヤマト』は海軍ではなく空軍…いや宇宙軍か。

 

生き様【いきざま】

これは「死に様」という古来ある言葉から生まれた戦後の造語なので、戦前劇や時代劇では一切使ってはいけない。

 

一巻の終わり【いっかんのおわり】

これは無声映画の弁士が使った言葉で「○巻」はフィルムの巻数を指す。時代劇での使用は不可。

 

刺青【いれずみ】

江戸時代、「入れ墨」と言ったら刑罰で前科犯数などを縞や記号で腕や額に彫り付けるものだった。一方、ファッションとして華やかな図版を彫るのは「彫り物」と言った。台詞で混同してはいけない。また、昔の博打うちは、現在のやくざほど刺青をしなかった。刺青を自慢するのは火消しや駕籠かきで、むしろ博打うちは真っ白な無垢の肌を誇ったという。

 

インチキ【いんちき】

これは上方語で江戸語では「いかさま」である。

 

右舷・左舷【うげん・さげん】

日本海軍・海上自衛隊では「みぎげん・ひだりげん」と読む。

 

内海【うちうみ】

江戸時代、東京湾のことをこう呼んだ。江戸湾ではない。ちなみに、大阪湾は「摂海」と呼ばれていた。

 

馬に乗る【うまにのる】

日本古来の馬術では右側から乗るのが正しい。老若男女一律右側、例外はない。

 

縁切寺【えんきりでら】

これは明治以降の言葉で、江戸時代には「駆け込み寺」「駆け入り寺」と言った。駆け込んだ女は離縁が認められる三年間、俗人のまま寺内で役務をした。その間尼にさせられるというのは誤伝。なお、駆け込みは一度きりで二度目は認められなかった。

 

大阪と大坂【おおさかとおおざか】

大坂が大阪になるのは明治以降。『土に返る』という意味を嫌ったから。

 

おかみさんとあねさん【おかみさんとあねさん】

「親分」の妻は「おかみさん」であり、兄貴分の妻は「あねさん」である。但し、甲州のやくざだけは親分の連れ合いを「あねさん」と呼んだという。何故なら、甲州やくざは正妻を持たず、みな妾だったから。

 

奥様【おくさま】

江戸時代には「旗本以上の大身の武士の妻女」の意味である。下級武士や町人の妻女に使うのは間違い。御家人や町方同心、下級武士の妻女なら「御新造様」、町家なら「おかみさん」である。

 

花街【かがい】

これは漢語だから「かがい」と漢読みするのが正しく、「はなまち」は誤りである。

 

風車【かざぐるま】

かなり昔からあり、戦国時代にはすでにあった。

 

川崎【かわさき】

川崎、横浜は相模ではなく武蔵にある。今は神奈川県だが。

 

感動をありがとう・感動をもらった【かんどうをありがとう・かんどうをもらった】

これは90年以降に出てきた言葉で、それ以前の時代に使うのは不適切。

林真理子はこれらを「広告代理店やマネージメント会社がマニュアル化した好感度アップのための心が通っていない空疎な言葉」と批評している。

 

キス【きす】

意外にも平安時代にはすでにあったそうである。舌まで入れていたかどうかは記載がない。

 

きつねうどん【きつねうどん】

実は江戸時代にはまだない。大阪市の「うさみ亭マツバヤ」の初代主人が明治26年の創業時に考案したものという。

 

ぎょっとする【ぎょっとする】

延宝八(1680)年、すでに口語表現としてあった。

 

切り札【きりふだ】

これはトランプ用語だから時代劇台詞では使ってはいけない。

 

空気【くうき】

これは幕末明治以降の科学用語である。それ以前にはそもそも「air」という概念自体が日本にはなかった。

 

好物【こうぶつ】

歴史上の人物の好物には次のようなものがある。

①    篤姫:あんかけ豆腐

②    伊藤博文:ふぐ

③    東条英機:シュークリーム

④    徳川家斉:しょうが

⑤    徳川慶喜:豚肉

⑥    ナポレオン:目玉焼き

⑦    ベートーベン:コーヒー 

 

黒人兵【こくじんへい】

アメリカ軍では、人種差別により基本的に朝鮮戦争まで黒人と白人は別々の部隊編成だった。同じ部隊になるのはベトナム戦争から。

 

桜田門外の変【さくらだもんがいのへん】

井伊大老襲撃の際に水戸浪士が使用したのは米国コルト社製のリボルバーである。これは幕末ドラマの必須知識である。しかるに依然として和式の短筒や西洋単発銃が間違って登場しがちであるので厳重注意を要する。

 

座布団【ざぶとん】

幕末近くに京阪以西の商家、料亭等で使われるようになったが、江戸では使われなかった。全国に普及するのは明治以降である。

 

駿河茶【するがちゃ】

お茶が静岡名産として名高くなるのは明治以降。

清水の次郎長の歌で「清水港の名物はお茶の香りと 男伊達」との歌詞があるが考証的には誤り。

 

清酒【せいしゅ】

従来、慶長年間に上方で生まれたとされてきたが、奈良など畿内で中世末期から作られていた。

 

セイタカアワダチソウ【せいたかあわだちそう】

これは明治末期の渡来植物で、盛んにみられるようになったのは戦後である。時代劇のロケでは見つけ次第引っこ抜くこと。

 

第一次世界大戦【だいいちじせかいたいせん】

この名称は、当然ながら第二次世界大戦が始まるまでない。当時日本では「欧州大戦」又は「日独戦争」と言った。

 

大都会【だいとかい】

何とすでに江戸時代に用例がある。

 

竹とんぼ【たけとんぼ】

弥生時代の遺跡からそれらしきものが出土している。そうとう古くからあるものらしい。

 

立ち上げる【たちあげる】

これはパソコン用語で90年代前半から次第に使われ始め、「ウインドウズ95」発売によって一気に広まった言葉で、それ以前には一切ない。

 

どまんなか【どまんなか】

これは本来関西弁で、標準語化するのは戦後テレビの普及以後である。江戸東京言葉なら「まんまんなか」が正しい。

 

鳥肌が立つ【とりはだがたつ】

この言葉を「感動した」意味に誤用するのは最近の日本語の悪例である。とりわけ時代劇の台詞では誤用に注意すべし。

 

トレンチコート【とれんちこーと】

終戦直後を描いた某ドラマでマッカーサー元帥がトレンチコートのベルトを前で結んでいたが、軍服である以上ベルトはきちんとバックルに通して締めるのが正しい。結ぶのはあくまで民間人の着方で映画『カサブランカ』のハンフリー・ボガードらの影響によるもの。

 

殴る【なぐる】

軍隊に関する映画やドラマではとかく下士官が兵隊をなぐるシーンが常識になっているようである。しかし、戦場であれば少なくとも下士官ともなれば、そうむやみに兵隊をなぐるものではなかったそうである。

 

鍋料理【なべりょうり】

江戸の料理屋に鍋料理はなかった。皆で鍋を囲んでつつきあう食べ方は、江戸では下衆の極みとされていた。当時は一人前ずつの小鍋が基本である。

 

虹【にじ】

「虹は希望の架け橋」という意識は、西洋起源のもので、古代中国とその影響をうけた日本では、虹は凶兆とされていた。

 

バイバイ【ばいばい】

バイバイと手を横に振るしぐさは西洋から入ったもので、明治時代以前の日本にはない。それまでの日本では手を前後に振っていた。

 

拍手【はくしゅ】

賛成や賞賛の意味でパチパチパチと手を叩くが、これはもともと西洋の習慣が明治時代になって広まったもので、それ以前に日本にはない。

 

ひげ【ひげ】

江戸時代の武士ならひげはきちんと剃るのが常識。戦国時代の武者とは違う。ひげを伸ばしていいのは隠居をしてから。

 

左前【ひだりまえ】

古代日本人の衣服は左前だった。それが養老年間(717年~)の法令により右前が正式と改められ今日に至っている。

 

雛人形【ひなにんぎょう】

今では女雛を上手、男雛を下手に並べるが、これは昭和3年の昭和天皇の御即位の写真に倣って東京の雛卸商の組合が流行させたためで、それ以前の伝統的な雛人形の並べ方は、男雛が上手、女雛が下手である。

 

 

武家の妻の名前【ぶけのつまのなまえ】

細川忠興の妻の名を「細川たま」とするのは間違いで、「細川忠興の妻 たま」とするのが適切。明治になるまでは一種の夫婦別姓で、婚家の姓を妻が名乗ることはなかった。尚、「ガラシャ」は洗礼名だから信者でない他人には易々とは使わなかった。「細川ガラシャ」は後世の通称である。

 

ブス【ぶす】

盛んに使われだすのは戦後60年代からのようである。終戦後でもまったく使われなかった。使うとすれば『おへちゃ』『不器量』だが、それも稀だった。

 

マジ【まじ】

「え、マジか?」といった言い方はなんと江戸時代からある。近代の俗語ではない。

 

三行半【みくだりはん】

江戸時代の「離縁状兼再婚認可状」たる三行半は夫から妻に与えるもので、その逆は絶対ない。

 

メンマ【めんま】

昭和40年代後半までは「シナチク」と言っていた。尚、「メンマ」は中国語ではなく日本企業のネーミングであるが、商標登録をしなかったため一般的に使われるようになった。

 

喪服【もふく】

現代では女性は黒喪服を着用するが、昭和初期までは婦人は白喪服を着用した。

 

ラーメン【らーめん】

日清戦争までは「南京ソバ」といい、その後「支那ソバ」になった。「中華ソバ」という名称は昭和13年以降といわれ、太平洋戦争後に「ラーメン」が一般化した。


紙の砦

2014-02-01 20:41:09 | 書評

先日、新聞にセンター試験の問題が掲載されていた。その中の日本史に、手塚治虫の漫画の一部が引用されていた。
試験に漫画が取り上げられる時代なのだなと思う。
僕が子供の頃、漫画は文化としてはまだまだ認められない低俗なものという扱いだったと思う。
今では、立派な文化として認められるようになった漫画。だがそれは日本だけの話で、まだまだ文化として認められていない国が多い。その理由の一つはそれらの国に手塚治虫がいなかったからである
センター試験に取り上げられていた作品は『紙の砦』
手塚治虫の自伝的漫画だ。

戦時中、軍需工場に学徒動員された学生の話である。
仕事をサボってはこっそり漫画を描いていた主人公大寒鉄郎は宝塚歌劇団の岡本京子と知り合う。漫画家志望の鉄郎とオペラ歌手になるのが夢だという京子。だが、戦時中なので、漫画が世に出ることもないし、宝塚の舞台も閉鎖されたままである。
京子に淡い恋心を寄せる鉄郎。
だが、やがて空襲が二人を襲い、京子の顔は大やけどを負い、二度と舞台に立てない顔になってしまう。
紙の砦
弱々しく、すぐに壊れてしまう砦である。
しかし、紙に書いた言論の砦という意味なら誰にも壊すことはできない。
主人公は、最後まで創作意欲を失わず、紙の砦を守りきる。
やがて京子は行方が判らなくなってしまう。
だが、彼の漫画に登場するヒロインは京子の面影がずっと消えないまま残り続けているのだ。



清須会議

2013-11-24 22:25:17 | 書評

戦の多くは始まる前に勝敗が決している。
予定戦場に敵より多くの兵力を如何に移動させるか?
勝負はその時点でたいがいはついている。
少数の兵力で多数の敵を破ったという例は極めて稀である。日本史では義経の一ノ谷の戦い、そして信長の桶狭間の戦いの2例ほどである。
極めて珍しいことなので、逆に歴史上有名になった。
どちらの戦いも少数の側が奇襲作戦を行っている。騎馬による高速移動性を利用し、敵の思いがけない所から攻撃を行い、勝利している。
だが、多くは戦う前にすでに勝敗は決している。敵と味方の兵力が互角の場合、例えば武田と上杉が相まみえた川中島の戦いは事実上勝負がつかないまま終わっている。


三谷幸喜の小説『清須会議』を読んだ。
日本史上初めて会議により後継ぎを決めたと言われる清須会議。
よく、天下分け目の戦いは秀吉が明智光秀を破った山崎の合戦だと言われるが、本当の天下分け目の戦いは清須会議である。この会議で秀吉は天下取りの距離をぐっと縮めるのである。
清須会議は、ずっと清洲会議と書くものだと思っていたが、清洲と表記されたのはずっと後のことで、この頃の表記は清須が正しいようである。
これは会議という戦である。
そして、弓刀の戦と同様に戦う前に勝敗は決していた。
秀吉の巧妙な根回しにより、会議の前に柴田勝家はすでに敗北していたのである。


生死をかけた戦いは今の日本ではないけれど、真剣勝負はビジネスの世界にも存在する。
そして現在の戦も昔と同じように戦う前に勝敗が決まっていることが多いのである。