喫茶店でアイスコーヒーを飲みながら、ぱらぱらと雑誌を眺めていた。
ふと、隣のテーブルをちらりと見ると、若い女性が、懸命に文章を書いている。携帯メールではなく、手書きで便箋に万年筆を滑らせている。
もちろん、内容は判らないけど、テーブルには便箋の横に封筒が置かれてあったので、仕事の書類や学校のレポートなどではなさそうである。
いまどき、手書きの手紙を書く若者がいるのだなあと感心した。
メールを打つより、手紙を書く方がはるかに手間がかかる。場合によっては封筒と便箋を買って来る必要もある。
日常生活で長文の手紙を書くことはめっきり減ってしまった。
年賀状でさえ、パソコンでプリントした葉書に二、三行コメントを書くだけである。
少し前、絵手紙が流行っていると、何かで読んだけど、こういう時代だからこそ、手書きは嬉しい。
僕自身、滅多に手紙を書かなくなった。
それでも、少し前、伯母に長文の手紙を出した。そんな手紙を書くのは何年ぶりだっただろう。
しばらくして伯母から返事が来た。
達筆で、文章もまとまっているし、何より便箋と文章の調和がとれていて美しい。何度も読み返したくなるような手紙である。
完成度の高い手書きの手紙には、メールにはない「伝える力」のようなものがあるように思う。
ふと、隣のテーブルをちらりと見ると、若い女性が、懸命に文章を書いている。携帯メールではなく、手書きで便箋に万年筆を滑らせている。
もちろん、内容は判らないけど、テーブルには便箋の横に封筒が置かれてあったので、仕事の書類や学校のレポートなどではなさそうである。
いまどき、手書きの手紙を書く若者がいるのだなあと感心した。
メールを打つより、手紙を書く方がはるかに手間がかかる。場合によっては封筒と便箋を買って来る必要もある。
日常生活で長文の手紙を書くことはめっきり減ってしまった。
年賀状でさえ、パソコンでプリントした葉書に二、三行コメントを書くだけである。
少し前、絵手紙が流行っていると、何かで読んだけど、こういう時代だからこそ、手書きは嬉しい。
僕自身、滅多に手紙を書かなくなった。
それでも、少し前、伯母に長文の手紙を出した。そんな手紙を書くのは何年ぶりだっただろう。
しばらくして伯母から返事が来た。
達筆で、文章もまとまっているし、何より便箋と文章の調和がとれていて美しい。何度も読み返したくなるような手紙である。
完成度の高い手書きの手紙には、メールにはない「伝える力」のようなものがあるように思う。