まあどうにかなるさ

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吉良上野介の命日

2014-12-14 20:38:49 | コラム

12月14日は選挙の日だが、約300年前に赤穂浪士が吉良屋敷へ討ち入りをした日でもある。つまり吉良上野介義央の命日である。

有名な忠臣蔵は大概が吉良上野介が悪者に描かれている。

だが、考えてみれば刃傷沙汰を起こしたのは浅野内匠頭の方であり吉良上野介はいわば被害者である。
浅野内匠頭はその日のうちに切腹となる。
でも、これは当時の国内法で江戸城内で刃傷沙汰に及んだものは切腹と定められていたので仕方がないことである。
何故浅野内匠頭が切りつけたのかは定かではないが、朝廷接待の儀礼を教えてもらうべき吉良上野介に充分なお礼をしなかったために意地悪をされたと言われている。
接待のスペシャリストである吉良上野介にコンサルタント料を支払うのは当然であり、それを怠り、そのことで意地悪をされた事に逆ギレして切りつけるなど言語道断である。
赤穂藩はお取り潰しとなるが、それは朝廷接待を血で穢されたために当時の将軍綱吉が決定した事であり、そのことで吉良上野介を恨むのはお門違いと言えよう。
平和を享受していた江戸の街で47人のテロリストが吉良邸を襲う。
しかしこの四十七士は世論の強力な支持を得ることとなる。
明らかに非は赤穂浪士にあるにも関わらず、幕府も世論には勝てず、切腹という名誉な結末で幕を閉じることになる。
吉良家の領地だった愛知県の「吉良町」では、吉良上野介義央は善政を布く殿様として人気があったそうだ。
それほど悪い男ではなさそうである。
成仏してくれただろうか?