まあどうにかなるさ

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母子草

2016-01-03 23:59:27 | 芸術

母子草

余生に出来る

ことを問う

帰省したとき実家に掛けてあった色紙に書かれた母の句である。
母子草はごぎょうとも呼ばれる春の七草にのひとつであり、茎葉の若いものを食用にする。
80を越えた母が母子草を見ながらふと考えたのだろう。
草木を見ながら、そんなことが頭をよぎることに年齢ゆえの感受性があるのかもしれないなと思う。
足腰も弱り、若い頃より記憶力も衰えているだろう。
残された時間も若い頃に比べると短く、できることは限られていると考えてしまう。
そんな中でも何かをしたい、残したい。
歳を重ねてもなお前向きに生きようとする気持ちが読み取れる。

でも、それは80を越えた年齢の人だけはでなく、50を過ぎた自分自身にも問いかけなければならない課題のように思う。
体力も記憶力も若い頃には及ばないが、今だからこそできることもあるのではないだろうか。
今の母の歳まで生きるとして残りの人生およそ30年
何かを成し遂げられるか成し遂げられないか。
若い頃も今も未熟者ではある。
未熟者であるという己を知ったのはあるいは年の功かもしれない。

余生に出来ること、出来ないこと。
それを考える作業は自分自身を見つめるということになるはずである。