義母がまだ認知症になる前の話
義母は電車に乗るのが苦手だとよく言っていた。自動販売機で切符を買うことがよく分からないと言う。いつも自動改札でバーが閉まらないかどうかひやひやしていたそうである。昔は切符を窓口で買えたので、どこどこまで1枚と言えば切符を手に入れられた。その頃がよかったと言う。
その話を聞いたとき、正直切符を買うことのどこが難しいのか理解できなかった。
掲示板を見て料金を確認し、販売機にコインを入れてその料金のボタンを押す。それだけである。難しい要素はどこにもないように思われた。
自販機がタッチパネル式になり、パネルを押すという操作がよく分からないのだろうか?
失礼だと思いあまりつっこんでは訊かなかった。あるいは年配の人はそういうものだろうかと思い、帰省したとき母に尋ねてみた。母も「どこが分からないんだろうね」と切符を買うことがそれほど難しいことだとは思わないと話してくれた。
その時は、きっと義母は特別で中にはそういう人もいるのかなと思っていた。でも、いろんな人と話すうちにそういう人が案外多いという事がわかった。
「父がそうだよ」知人が言う。誰かが一緒じゃないと電車に乗せるのは不安だと言う。
自分が大した労力もなく理解できることは他人も理解できると思ってしまう。逆に自分が理解するのに労力をかけなければいけないことは他人がたやすく理解できるとは考えていないのかもしれない。
これからの高齢社会、認知症でなくても年配になるとたやすく理解できないことも多くなる。高齢者に優しい社会は想像力が大切である。