まあどうにかなるさ

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コミュ障

2017-10-28 22:13:14 | 過去の出来事

最近ネットなどで『コミュ障』という言葉をよく目にする。
僕も若い頃、障害というほどではないけど他人とのコミュニケーションは苦手な方だった。

「おいしかった?」
大学に入ったばかりのある日、お昼から教場へ戻った僕に、隣に座った女子が話しかけてきた。昼ごはんをどこで食べたのかという話になり、学校外にある喫茶店で食べたことを話したらそう訊かれた。
普通の会話である。何も難しいことを訊かれているわけではないはずである。
ところが、僕はこの返答に詰まってしまうのである。
変に正確さにこだわるところがあり、単に美味しいかまずいかという返答では正確でないと考えてしまうのである。
例えば美味しさを10段階で評価したとする。
1や2であればまずいと答えるだろうし、9や10であれば美味しいと答えられる。しかし、6や4といった評価の場合、どう答えていいかわからなくなってしまうのである。
普通に考えれば、この女子は会話をしたいために言葉のキャッチボールを投げかけたに過ぎない。
「おいしかった?」
「うん、まあまあ、コーヒーも飲めてゆっくりできてよかったよ」
「私も今度行ってみようかな?」
「狭い店だから早めにいかないと座れなくなるよ」
こんな会話を単にしたかったのだと思う。だが、当時の僕はそうは考えなかった。
あれこれと味の評価を思いつく限りの言葉で並べ立てる。それが誠意だと思った。
女子は理屈っぽい奴と思ったに違いない。
普通に会話をしていれば、「今度一緒にいこうね」という流れになったかもしれないのに…
恐らくこの頃は他人の気持ちをあまり考えないで、言葉に対して正確に回答することしか頭になかったように思う。
「地下鉄は地下を走る」そういう言葉にわざわざカッコをつけて(丸の内線の後楽園から茗荷谷間を除く)などと書かないと気が済まない。
でも、それは自分が気が済まないというだけで、他人がどういう回答を望んでいるのかということとはあまり関係がない。
年齢を重ねるにつれ、少しは修正されたかもしれないが、今でもまだまだ変な正確さにこだわるところがある。



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