こんなニュースがありました。
「男性は09年に東京都渋谷区のIT企業に入社し、ウェブ開発業務を担当。
10年9月に納期が厳しい仕事に従事するようになってから、睡眠障害などの症状が出始め、同年11月に自殺した。」
10年10月は137時間だったそうです。IT関連ってどこもこんなかと思っていましたが、
20年働いた後に転職した会社は、残業が少なくて愕きました。しかもちゃんと残業代が出ました。
私が20年勤めた会社は、そもそも残業予算が@15時間ほどでしたので主任にはゼロで担当に分けていました。
全く足りませんけどね。その会社は昨年に無くなりました(苦笑)
技術力・約束を守る事は、先の会社が圧倒的に強く、競合でも負け知らずに近かったですね。
転職後の会社は、逆です。会議もダラダラ意味なく続きました(笑)
前の会社では、「寝る暇が無くなる」だけですから、「1分1秒でも早く」と皆が考えています。「要点を話せ!」と云われてしまいます
私が新入社員のときは、教育が終わって配属されたのが7月、徹夜3日、休み2日、毎晩のように午前様でした。150時間くらいでしょうか。
それが延々続きましたが120-130時間程に減ってはいきました。
-----------------------------------------------------------
2年目くらいでしょうか。終電で自宅へトボトボ歩いていたら、急に泣きたくなってボロボロ泣きました。
今から思えば限界だったのでしょうね。しかし何故か転職は思いつきませんでした。
この頃から、仕事では非常に攻撃的になってきました。泣いていてはやっていけない伏魔殿です。
「駄目な奴は辞めて貰う」風潮でしたし社内に「友達」など一人も居ません。甘い奴は昇格などできません。
-----------------------------------------------------------
恐ろしいことに慣れてくるんですよね。違うのは「外注ソフトハウス」ではなかったので、
プロジェクトが終了(本稼動し安定)すると長期に休みやすいことでしたね。
休み中に電話があると出社しなければならないので、海外へ逃げました。今は携帯が繋がりますから大変です。
私の持病も当時の無茶が影響しているかも知れません。それでも当時は良い事もありました。
◆ 大変だが「終わり」があって夢が見れる。「今度はパリに行こうetc」
◆ 金を使う暇がないから溜まる。バブル期は経費使い放題。最高で一晩10万円。研修はハワイ。
◆ 35才あたりから給料が一気に上がる。今の時代は先が見えませんよね。
やはり「逃げ道」が無いと自殺か退社を考えるでしょうね。先が見えないと駄目なんです。
海外に生産拠点が移転し続ければ好転するとは考えられません。貧富の差が大きくなりワーキングプアは増えるばかりです。
教育・法人への税制・年金問題の放置、これでは倫理観・生産性・少子化も改善する訳がありません。
「男性は09年に東京都渋谷区のIT企業に入社し、ウェブ開発業務を担当。
10年9月に納期が厳しい仕事に従事するようになってから、睡眠障害などの症状が出始め、同年11月に自殺した。」
10年10月は137時間だったそうです。IT関連ってどこもこんなかと思っていましたが、
20年働いた後に転職した会社は、残業が少なくて愕きました。しかもちゃんと残業代が出ました。
私が20年勤めた会社は、そもそも残業予算が@15時間ほどでしたので主任にはゼロで担当に分けていました。
全く足りませんけどね。その会社は昨年に無くなりました(苦笑)
技術力・約束を守る事は、先の会社が圧倒的に強く、競合でも負け知らずに近かったですね。
転職後の会社は、逆です。会議もダラダラ意味なく続きました(笑)
前の会社では、「寝る暇が無くなる」だけですから、「1分1秒でも早く」と皆が考えています。「要点を話せ!」と云われてしまいます
私が新入社員のときは、教育が終わって配属されたのが7月、徹夜3日、休み2日、毎晩のように午前様でした。150時間くらいでしょうか。
それが延々続きましたが120-130時間程に減ってはいきました。
-----------------------------------------------------------
2年目くらいでしょうか。終電で自宅へトボトボ歩いていたら、急に泣きたくなってボロボロ泣きました。
今から思えば限界だったのでしょうね。しかし何故か転職は思いつきませんでした。
この頃から、仕事では非常に攻撃的になってきました。泣いていてはやっていけない伏魔殿です。
「駄目な奴は辞めて貰う」風潮でしたし社内に「友達」など一人も居ません。甘い奴は昇格などできません。
-----------------------------------------------------------
恐ろしいことに慣れてくるんですよね。違うのは「外注ソフトハウス」ではなかったので、
プロジェクトが終了(本稼動し安定)すると長期に休みやすいことでしたね。
休み中に電話があると出社しなければならないので、海外へ逃げました。今は携帯が繋がりますから大変です。
私の持病も当時の無茶が影響しているかも知れません。それでも当時は良い事もありました。
◆ 大変だが「終わり」があって夢が見れる。「今度はパリに行こうetc」
◆ 金を使う暇がないから溜まる。バブル期は経費使い放題。最高で一晩10万円。研修はハワイ。
◆ 35才あたりから給料が一気に上がる。今の時代は先が見えませんよね。
やはり「逃げ道」が無いと自殺か退社を考えるでしょうね。先が見えないと駄目なんです。
海外に生産拠点が移転し続ければ好転するとは考えられません。貧富の差が大きくなりワーキングプアは増えるばかりです。
教育・法人への税制・年金問題の放置、これでは倫理観・生産性・少子化も改善する訳がありません。