あも&サチアキの交換日記

どうやら交換日記が続いているようです(祝何年目?

さまざまな差別やハラスメントについて考えてた(寝言)

2020-05-09 | from:sachiaki
どうも、おこんばんは。
昨日の寒暖差にがっつりやられて、お熱が出てしまったために
今日はずっとお眠りマシーンと化していたsachiakiです。

眠りながら考えることなんてできないけれど、
眠っていた時に見たものを振り返り上映しながら
自分の中でものごとを見てみると
意外な発見があったりするので、
夢ってすごいなぁって思うこともあります。

今回は夢に特別なものを見たわけじゃないけれど
ここ一年でさまざまな差別やハラスメントを訴えるものを見かけるようになり、
自分がいかに人に対して鈍感できたかを痛感することが増えました。
自分の鈍感さや加害者感を感じるのが嫌な人たちが怒り、
傷ついた人たちをさらに傷つける行為が氾濫するのを見て、
人は他人に対して「変われ」と言うわりには
自分に対して「変われ」と言われることが苦痛に満ちたものであることを
まざまざと見せつけられている形になっています。

と、ここまで書いてきて「さまざまな差別」とか「ハラスメント」とはなんぞや?
ということが抜け落ちていることに気づいたので書き足すと、
具体的には
・見た目(身体的特徴)についての差別→ルッキズム
・女性や女性らしさを嫌悪するもの→ミソジニー
・父性的なものを押し付ける、母性的なものを押し付ける→ジェンダーハラスメント

今とくに炎上しやすいものとして上のようなものが挙げられます。

そのほかにも、痴漢されたり、窮地に陥っている女性に対して
「お前が自分の身を守らないのが悪い」だったり
「そんな誘うような服装や態度をしていたのが悪い」
だったりするセカンドレイプも横行しているのは
(無駄に)一般的な話かと思います。

私たちは個のヒューマンである時と、
社会的生き物である人間の時と受け止め方や行動が変わる不思議な生き物だと
私は思っています。
曰く、公私を分ける生き物だということです。

生まれて育って今なる年齢になるまでに経験した
どうでも良い習慣や考え方はアインシュタインのいう
「常識とは18歳までに身につけた偏見のコレクションのことをいう」
もので、時代によって、また環境によって変化していくものだということです。

そしてそうした当たり前を疑問視する訓練というものを
大学の人文学や社会学部を履修した人はしてきているけれど、
ほとんどの人は知らないままで過ごしてしまっているので
本来気づくべき「人の痛み」に鈍感な人が多く、
そして傷つく人が悪いと言い放つ常識が漫然と通ってしまっていたこと
だからこそ、疑問を呈された瞬間よく燃えるようなことになっているのだと感じています。

な〜んて、くっそ真面目なことを書くと
知恵熱出ちゃうから今日はこの辺にておしま〜い。

(本当はもうちょっとちゃんと書こうとしたけれど、
「波よ聞いてくれ」を見始めてしまったので頭の中のものが飛んでしまったのですよ)

そんじゃまた。モイモイ
コメント
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