あも&サチアキの交換日記

どうやら交換日記が続いているようです(祝何年目?

演じるということ

2020-05-21 | from:sachiaki
先日ちょっとした友人と演劇とはなにか?
的なお話をしていて、
私は演じるとは表現だと思っていたので
内なる自分の声を聞き、
それを表出させることだと思っていたんだけど、
その友人に

「演じるとは仮面をつけることです。
自分とは別のものになりきること、
無私・無我の状態になることを楽しむことです」

と言われてハッとしたのです。
そうだよな、だから演じ手にはいくつもの魂が宿るし、
だからこそ人間への理解が深くなるんだよなって。
そんなことも分からずに「演劇」を鑑賞していたのかと思うと、
恥ずかしい意識でどうにかなりそうなsachiakiです。

比較的アタリの演劇ばかりを鑑賞してきたので
エンターテイメントとして楽しんでしまっていたなぁ。

観劇する側はそれで良いのかもしれないけれど……。

私は我が強いので演劇には向いていないことが改めてわかったのと、
Vtuberとかも無理だなぁって思った感じです。
私とは別人のものを作り上げて、
そいつでコンテンツ化しようかなって思ったりもしてたんだけど
とにもかくにも我が強いので、「なりきる」というものが難しいのだな
って思ったりしていたのでした。

心に棚を作るってことがそもそも苦手だから
自分ができないことを「できる」と言ってごまかすのも苦手だし、
自分ができているかどうかは別として
何かを禁止したりするのも苦手です。
感情で受け止めて「好き」と「嫌い」をいうことはできるけれど、
それはそれ、これはこれ。
っていうことがあまり得意でない、
不器用な人間だなーって思います。
まぁ、外側から見たらそうでもないのかもしれないけれど……。

とにもかくにも、夢中とか、無我というもの、
滅私というもの、そういったものをちゃんと持たないと
ここからさらに我が強くて人の話を聞けない人間になんてしまうのはイカン、
なんてことを考えているところです。

今までの常識なら、齢40年も重ねれば
子供が生まれていたり、会社に所属したりして
滅私の境遇に会えたのかもしれませんが
わがままに、自分の心の声に従って生きてきてしまったので
このままだとロクな年寄りにならないなとヤバさを感じているところです。
もっと丸く。
もっと人に優しく生きたいものです。

とはいえ、私の本心みたいなものは
ほとんどの人に見せたことがないので
ある意味「私」という仮面をうまく身につけているのかもしれません。
そんな感じ。

本当の自分ってなんだよ、とも思いますけどね。
そんかまた。モイモイ
コメント
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