あも&サチアキの交換日記

どうやら交換日記が続いているようです(祝何年目?

勉強してきたことを振り返る

2020-05-25 | from:sachiaki
もう今年もあと2週間も経てば半年を過ごしてきたことになりますね。
いや、一応6月が終わるまでは半年ではないのかな?
なんにしても年の半分近くが過ぎてしまったことには変わりなく
子供時代の長い長い時間の流れにいるわけではない
中年のおばさんになってしまった私からすると
半年なんてホントあっちゅー間ってものね。
なんて思ってしまうsachiakiです。

そんな私ですが、今年に入っていろいろあったなぁと振り返りつつ、
この心理的不安が増長している今必要なことは
学んできた心理学に多少なりともヒントがあるのではないかと
久しぶりに教科書を読み返しているところです。

どれもこれも役に立つなぁと思う項目ばかりでしたが、
今読み返して刺さった部分が

「自己知覚理論」だったので、そちらをご紹介。
これは、人が自分の心の状態を知るプロセスは
他者の心の状態を推測するプロセスと本質的に同じだとするもので、
他者の感情やパーソナリティを推測する際には
外部に出ている行動をもとに推測しており、
第三者を観察するように自分の行動を観察することで
自分の感情やパーソナリティを推測している、というものです。

自分というものを認知しようとするとき、
それは知らず知らず自分に甘く評価してしまっていたりして、
他者から見えている実像と激しくずれていることがあったりしますが
改めて自分の行動のみを観測して、
どういうパーソナリティなのかを考えてみれば
自己認識している像との認知の歪みを見ることができるというものです。

客観的に見るというのは難しいと思いますが、
例えばツイッターなどで自分の発信しているテキストを
第三者の気分で読んでみると、
攻撃的なツイートであるかどうかなど、
けっこう思いもよらないものが見えてくるものです。

そしてこの自己が描いている理想像と現実の像が離れている時でも
打ちひしがれている場合ではなく、
自分を変えることができるとティモシー・ウィルソンは言います。

例えば今までうまくいかず、ドロップアウトしたような生き方をしていても、
養護施設などで自信とは無関係なボランティア活動に参加したりすると
人から頼りにされること、援助できる力を持つことに気づき、
自己像が大きく変容することがあるそうです。
疎外感や自身を無力だと感じている十代は非行に走りやすいが
行動で内面が変わっていくことにより、
結果ドロップアウトから戻ってこられたり、
ドロップアウトせずに済むという事例があるということです。

大人になってからそうそう人は変わるものではない、
というのが通説ですが、
この理論を応用すれば、感じの良い人の真似をするだけでも
内面が変わっていき、結果的に真似をせずとも感じの良い人になれる可能性があります。

これは大昔からの慣用句の通り、
朱に交われば赤く染まる。
というものと同義のことかもしれませんね。

徒然草から言葉を借りれば

 狂人の真似とて大路を走らば、即ち狂人なり。
 悪人の真似とて人を殺さば、悪人なり。
 驥を学ぶは驥の類ひ、舜を学ぶは舜の徒なり。
 偽りても賢を学ばんを、賢といふべし。

キチガイのフリをして大通りを走ったならば、その人はキチガイである。
悪人の真似をして人を殺してしまったならば、その人は悪人である。
駿馬である驥*(キ)になりたいと願って、驥の真似をし、驥を学ぶものは驥の同類である。
偽りであっても優れた人を真似ようとする人を賢*というのだ。

*驥=優れた才能を持つ者の例え。一日に千里を走る駿馬という意味から。
*賢=徳の高い人。

己を振り返り、理想の自分に近づけているか、
行動を見ながら少しでも近づけるように歩んでいけると良いですね。

私も理想に近づくべく、筋トレ等励みたいと思います。
昨日もアイス食べたりして、食っちゃ寝しているので
自分に喝ですね。喝!喝!!

あぁ、自堕落とはなんと魅力なことなのでしょう……。
身近に張本さんでもおいて、走り込みが甘い!とか言われればいいんですかね。
自分に甘いアクシズ教の経典に前のめりになりつつ、

『自分を抑えて真面目に生きても頑張らないまま生きても明日は何が起こるか分らない。
なら、分らない明日の事より、確かな今を楽に行きなさい』

とうっかりしてしまいそうなので、今日はこの辺にて!モイモイ

sachiakiは「このすば」を全力推ししています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする