白木のカウンターに座ると、カラリと揚がった海老の頭が一つ。
空腹に落ちる最初の一口がいつも楽しみだったのに。
渋谷の天ぷら屋さん、『天松』が扉を閉ざしていました。
今晩、会社帰りに東急プラザ裏を歩いていると、シャッターが降り、張り紙が見えました。
「定休日だっけ」
「遅い夏休みかな」
彼女と話すのは、のんびりとした会話です。事実を知る前の平和な気持ちはすぐに吹き飛びます。
嘆きの声とともに、後悔が溢れます。8月18日に閉店と言うのなら、穂高岳から下りたらすぐに食べに行くんだった。
季節の野菜が盛られた篭から、好みの3つを揚げてくれるサービスをもう一度味わいたかった。
夫婦で通い、彼女が旅に出てしまったときには一人で暖簾をくぐり、悩む後輩を連れ、
大切な人をもてなし、父や母に江戸の味わいを披露しました。
これほど色々な人と食を共にして、誰からも喜んでもらえる店を知りません。
魚介と野菜の旨味を凝縮した天ぶらならではの味を引き出してくれた技はもちろん、
揚げ方の真摯だけれど圧迫感のない自然な立ち居振舞いが居心地よく、
コースを食べ終える二時間がとても楽しみでした。
一つの店の終わりが、これほど無念なのは初めてのことです。
渋谷暮らし12年、食べる記憶とすむ記憶が、これ程密接に絡み合っていたとは。
自分でも驚いてしまう、十六夜の帰り道でした。