韓国の京郷新聞に、朴裕河教授を批判し、公開討論を提案した「日本軍「慰安婦」被害者の痛みに深く共感し、「慰安婦」問題の正しい解決のために活動する研究者と活動家一同」による声明書と、それに対する朴裕河教授の回答が載っていましたので、訳出します。(→リンク)
『帝国の慰安婦』騒動に対する立場
日本軍「慰安婦」問題について、深く悩み、その正しい解決のために努力してきた私たちは、朴裕河教授の『帝国の慰安婦』をめぐる一連の騒動をまことに残念に思います。
2013年に出版された『帝国の慰安婦』について、2014年6月、日本軍「慰安婦」被害者9人が朴裕河教授を名誉毀損の疑いで韓国の検察に告訴し、今年11月18日に朴裕河教授が在宅起訴されました。これについて韓国の学界、言論界の一部より学問と表現の自由に対する抑圧という憂慮の声があがり、11月26日には日米の知識人54人が抗議声明を発表しました。
私たちは、基本的に研究者の著作について法廷で刑事責任を問うて断罪するのは適切でないと考えます。しかし私たちは、たんに学問と表現の自由という観点から『帝国の慰安婦』騒動を見る態度にも、深い憂慮を感じざるをえません。日本軍「慰安婦」問題が、日本国家機関の関与の下、本人の意志に反して連行された女性たちに「性的奴隷」を強要した、きわめて反人道的で醜悪な犯罪行為に関することであるという事実、その犯罪行為によってまことに深刻な人権侵害にあった被害者が、今この瞬間にも大きな苦痛に耐えながら生きているということこそ、何よりも重く認識しなければなりません。
その犯罪行為に対して日本は、今、国家的次元で謝罪と賠償をし、歴史教育をしなくてはならないということが、国際社会の法的常識です。しかし、日本政府は、1965年にはその存在自体を認めず、議論にもならなかった問題が、1965年に解決されたと強弁する不条理に固執しています。日本軍「慰安婦」被害者は、その不条理に対抗して1200回以上、毎週「水曜デモ」を開催し、疲れた老駆を引きずって全世界を回り、「正しい解決」を切実に訴えています。私たちはこの厳粛な事実を度外視した研究は、決して学問的ではありえないと信じます。
私たちは『帝国の慰安婦』が、事実関係、論点の理解、論拠の提示、叙述のバランス、論理の一貫性など、さまざまな面で多くの問題を抱えている本だと思います。これまでの研究成果と国際社会の法的常識によって確認されたように、日本軍「慰安婦」問題の核心は、日本という国家の責任です。それにもかかわらず『帝国の慰安婦』は、責任の主体が「業者」だという前提から出発しています。法的な争点に対する理解の水準が非常に低い一方で、主張の程度は過度に高いです。十分な論拠の提示なしに、日本軍「慰安婦」被害者が「自発的に行った売春婦」であり、「日本帝国に対する「愛国」」のために「軍人と「同志」的な関係」にあったと規定するのは、「被害の救済」を切実に訴えている被害者に、もう一つの大きな痛みを与えることと言わざるをえません。このように私たちは、『帝国の慰安婦』が十分な学問的裏付けのない叙述で被害者に痛みを与える本だと判断します。それで私たちは、日本の知識社会が「多様性」を前面に押し出して、『帝国の慰安婦』を積極的に評価しているという事実に接し、果たしてそのような評価が厳密に学問的な検討を経たものであるか、大きな疑問を持たざるをえません。
私たちはこの事態を、何より学問的な議論の中で解決するべきだと思います。韓国、日本、世界の研究者が、問題について共に議論し、その議論の中で問題の実体を確認し、解決法を用意するために、共に知恵を集めることが必要だと思います。それで私たちは、研究者主体の長期的かつ持続的な議論の場を持つことを提案します。そしてその一環として、まず朴裕河教授と『帝国の慰安婦』を支持する研究者に、できるだけ早く公開討論を開催することを提案します。
最後に私たちは、名誉毀損に対する損害賠償請求と告訴という法的手段にまで訴えることになった日本軍「慰安婦」被害者の痛みを深く再確認して、日本軍「慰安婦」被害者を繰り返し傷つける、このような事態に至ることになるまで、私たちの苦悩と努力が果たして充分だったのか、深く反省しています。そして外交的、政治的、社会的現実によるのではなく、正義の女神の天秤が真に水平をなすようなやり方で、日本軍「慰安婦」問題が解決されるよう、いっそう熱心に努力することを誓います。
2015.12.2
日本軍「慰安婦」被害者の痛みに深く共感し、「慰安婦」問題の正しい解決のために活動する研究者と活動家一同
続いて、上の提案に対する朴裕河教授の回答です。
「日本軍慰安婦被害者の痛みに深く共感し、慰安婦問題の正しい解決のために活動する研究者と活動家一同」の方々に申し上げます。
2015年12月2日、告発と起訴に対する私の立場を表明する記者会見に続いて出された提案書は、確かに拝見しました。
以前より、このような提案があることを、私は心より望んできました。本を出したのは、まさにそのような提案を受け入れるためだとも言えます。
運動のただ中にはいませんでしたが、私もやはり長らくこの問題に関心を持ってきた者として、皆さんと膝を突き合わせて、真剣に討論できる日を待っていました。そして私の考えに問題があるならば修正し、ほかの知恵を出せるようになることを願ってもいました。
しかし、2013年8月に本を出して以降、2年以上、この声明に参加されている挺身隊問題対策協議会前会長をはじめ、研究や運動に関与してこられた方々から連絡を受けたことは、ただの一度もありませんでした。
よくご存じのように、この1年半の間、私は世論による裁判と民事裁判、そして検察調査に苦しめられてきました。
ところが、私が刑事告訴され、この告訴に対する問題提起があちこちから出た後になって、こうした提案を出されたことを、実に遺憾に思います。
ですが、今回の提案を、私は受け入れます。それが究極的には慰安婦問題解決に役立つだろうと思うからです。
しかし、同時に、まえもって確認させていただきたいことがあります。
まず、私は皆さんに今回の討論提案の意味を尋ねたいと思います。
本の内容の一部が「犯罪リスト」に載せられ、本の一部を削除され、さらに告訴までされた私にとって、はっきりした展望が必要だからです。
今回の討論提案は、
1) 慰安婦問題全般についての朴裕河の主張に論駁するためですか?
あるいは、
2) 慰安婦問題の解決のためですか?
私は、10日後の12月14日と16日に、刑事/民事裁判が予定されており、この二つの裁判に臨まなければなりません(※)。
したがって、もし論駁が目的ならば、この訴訟と起訴が取り下げられるように努力してください。そうしてこそ、私が裁判から解放された状態で、さらに密度の濃い、充実した討論をすることができるからです。皆さんと「同じ」地平に立って討論できる環境を作ってください。罪人扱いが前提の「尋問」のような論駁は、検察と裁判所だけでもうたくさんです。
告発のあとも、皆さんは私を批判してきましたし、韓国語と日本語の両方でそれを流してきましたが、私は裁判への対応だけで手いっぱいで、すぐに反論できませんでした。
批判は、いつでも自由にできるようにすべきです。ですが、裁判中は、学者の批判さえも、検察側から、『帝国の慰安婦』の有罪証拠として活用されてしまいます。
実際、これまで裁判の文書には、声明書に署名した方々の本や論文が、私を論駁する根拠として引用されてきました。同時に、そのような批判は、私に対する告発と起訴が当然であるように世間で認識される資料としても使われました。法廷での裁判だけでなく、世論による裁判のただ中で、私は被告に立たされている状況です。
再び申し上げますが、私を批判したり論駁することがこの提案の目的ならば、私はその批判を回避したいとはまったく思いません。ただ、その批判の当事者である私を、法廷に縛っておいたまま行われる討論が、どうして公正性と真正性を保てるか、お尋ねしたいと思います。本当に討論を希望されるならば、私が法廷を出て、自由で公正な学問の場で話せるように努力することが順序だと思います。
告発以降に出てきた批判に対して、私は1年経った今年の夏に、二つの反論を書いて発表しました。まだ韓国語だけですが、新たな批判をする前に読んでください。
「日本軍慰安婦と1965年体制-チョン・ヨンファンの『帝国の慰安婦』批判に答える」「歴史批評112号」、「若い歴史学者の『帝国の慰安婦』批判に答える」(歴史問題研究34号)
もし討論提案の目的が後者ならば、私の論旨が慰安婦問題解決にどうして役立たないのか、私に教えてください。皆さんが慰安婦問題解決のために長く努力してきたこと、あるいは今後そうするだろうということはよく知っていますし、そのために傾けてきた努力と衷心に敬意を表します。
しかし、慰安婦問題解決のための論争ならば、私を批判する前に、この問題に否定的な者たちを「きちんと」批判すべきではないでしょうか。そうして日本政府を説得すべきではないでしょうか。私はそのような意味で2015年2月、対立している学者が同じ席で議論できる議論の場が必要だと述べたことがあります。そしてそこで念頭に置いたのは、皆さんと私でなく、皆さんとこの問題で対立している学者でした。合理的な解決のためには、そのような幅広い議論の場が必要だと思います。私は皆さんと対立しているわけではありません。
そして、20年以上主張してきた、しかし皆さんの主張の核心でもあって、解決を遅らせてきた「法的責任」論がどのように有効かということも、反対する学者と日韓の国民にわかりやすく説明してください。私を論駁しても、慰安婦問題の解決には何の役にも立ちません。議論が自由に広がるよう願っています。
最後に、皆さんが公表された討論提案声明書には、私が慰安婦ハルモニに向かって「自発的な売春婦」と言った、と書かれていました。しかし私は、そのように書いていません。結局そのような表現は、討論しようという提案より、私への非難を強める役割をしそうです。皆さんが送ったメールを受け取る方に。そしてほかのメディア媒体を通じて。
皆さんの本心は、世論による裁判と学術的な討論の、どちらにあるのですか?
とにかく私は、皆さんと真剣で生産的な討論ができることを期待します。署名に参加した方々は学者ですから、勉強する学者にとって、予定外の仕事のために奪われる時間がどれほど大きい負担になるか、よくご存じのことと思います。
公開の場で討論できることを望んでいます。ですが、私は、いろいろな場所で被告になっています。それで、いくつかの質問を差し上げました。これに対する皆さんの明確な意見に耳を傾けたいと思います。公正な討論と自由な議論ができるかどうかは、私ではなく、皆さんにかかっています。
2015年12月4日 朴裕河
※ その後の報道で、刑事訴訟の初公判は2016年1月14日に延期されたことがわかりました。
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