写真:パリの老舗カフェ(るるぶ&more) 私は大学時代、フランス語を専攻していました。 そして、語学学習のために、2か月ほどフランスに行ったことがあります。フランスでは、1か月ずつ別の語学学校に通いました。 最初に行ったのはヴィシーという温泉町、二番目に行ったのは映画祭で有名なカンヌでした。 ヴィシーでは、昼休みに同じクラスの生徒たちといっしょによくカフェに行きました。 そのとき、リビア人がみな . . . 本文を読む
今年も庭のエビネが可憐な花を咲かせました。 この花をみるたびに、私が社会人になったそうそう、お世話になったTさんを思い出します。 Tさんは、科学雑誌『Newton』の校正の責任者をしていました。私は20代前半、Tさんはそのとき定年(60歳)間近でした。 私は駆け出しの編集者として、校正のイロハを教えていただくとともに、夜、酒を飲みながら、人生についてもたくさんのことを学びました(大袈裟ですが)。 . . . 本文を読む
写真:橋弁慶の一場面 私の祖母が謡曲を教えていた関係で、私も大学生の時、祖母に謡曲の手ほどきをしてもらっていました。 月一回は、渋谷の観世能楽堂の定期能を観に行っていたことも。 大学を卒業してからは、自分でやることも、観に行くこともなくなりました。 私がソウルに駐在していたとき、日本から能楽師、狂言師が来て、能狂言の公演が行われたことがありました。 子どもたちに能狂言がどんなもの見せてやろうと思っ . . . 本文を読む
写真:「お元気ですか」の鈴木健二アナウンサー(NHKより) 先月末(3月29日)、元NHKの名物アナウンサー、鈴木健二さんが亡くなったそうです。享年95歳。ご冥福をお祈りします。 鈴木健二さんは、1980年代、『歴史への招待』『クイズ面白ゼミナール』などの司会者として活躍していました。 私は、最初に就職した出版社で、『Newton』という科学雑誌の編集部にいたのですが、Newtonの竹内均編集長が . . . 本文を読む
写真:1974年の天皇賞を制したカミノテシオ 大谷選手の元通訳、水原一平が訴追され、水原氏が、2021年9月から24年1月までの2年間で、約1万9000回賭博を行い、約218億円勝って約280億円負け、約62億円の損失を出し、大谷選手の口座から約24億円盗んでいたことが伝えられました。 途方もない金額とともに、「2年間で約1万9000回(1日平均25回)」という回数に驚きました。これがギャンブル依 . . . 本文を読む
写真:日経平均株価、史上最高値更新(NHKニュース) 2月22日、東京株式市場で日経平均株価終値は3万9098円をつけました。バブル経済に沸いた1989年12月29日の最高値(3万8915円)を、約34年ぶりに上回ったということです。 日本がバブル経済を謳歌していた80年代後半、私は社会人になったばかり。 中学生のときに銀行員だった父が亡くなり、専業主婦だった母は、父の勤務先の銀行の紹介で、系列の . . . 本文を読む
脚本家の山田太一さんが亡くなりました。享年89歳。ご冥福をお祈りします。 さまざまな作品の中で、私にとっては『男たちの旅路』が印象に残っています。 私が高校生、大学生のときに放映されていました。当時、私はビデオデッキをもっていなかったので、毎回、見のがさないように注意していました。 大学でフランス語を専攻し、フランスへの短期の語学留学の資金を貯めるため、ガードマンのアルバイトをしたことも、このド . . . 本文を読む
写真:かつての大石寺正本堂。創価学会破門後、取り壊された。(Wikipedia) 創価学会の池田大作名誉会長が亡くなったそうです。ご冥福をお祈りします。 ついひと月ほど前、新宿で飲みながら、統一教会の解散命令などのつながりで「池田大作って、まだ生きてるんだっけ」「さあ、死んだっていう話は聞かないよね」などと話していたところでした。思い出① 私が生まれ育った東京都大田区は、池田大作の生家があったこと . . . 本文を読む
写真:チキチキマシン猛レースのケンケン 歌手の谷村新司さんが10月8日 に亡くなっていたことが、16日に公表されました。 ポップスにあまり興味のない私にとって、谷村新司といえば、中学時代に聞いていた深夜放送の印象が強い。 谷村さんは、文化放送が火曜日の深夜に放送していた「セイ! ヤング」の司会を務めていたんですね。ただ、私が聞くのはその中の「天才・秀才・バカ」というコーナーだけ。 最初は、級友がカ . . . 本文を読む
写真:関東大震災前の歌舞伎座 100年前の出来事について、62歳の私に直接的な思い出があるはずがありません。 実際に震災で被災した私の祖母の「思い出話」です。 私の祖母は1901年(明治34年)、東京生まれ。 両国の料亭の娘として生まれ、20歳のとき、銀行員だった私の祖父と結婚しました。祖父は人形町生まれで、銀座歌舞伎座の隣で歌舞伎茶屋をしていた親戚筋の養子になっていました。 第一子がまもなく生ま . . . 本文を読む
写真:1969年発売のベーブ・ルースの伝記 最近、大谷翔平のニュースの中で、「二刀流」の選手としてよく引き合いに出されるのが、「野球の神様」、ベーブ・ルース。 小学生の頃、家にベーブ・ルースの伝記があり、くり返し読んだものでした。 ただ、ベーブ・ルースに「二刀流」のイメージはなく、なんといってもホームラン王でした。 生涯通算ホームラン714本は、富士山の高さ、東京タワーの高さのように、野球少年なら . . . 本文を読む
写真:「おくさまは18歳」の一場面。石立鉄男、岡崎友紀、松坂慶子 NHKの朝ドラ、「らんまん」の中で、主人公の槙野万太郎の祖母タキを演じていた松坂慶子が、ドラマの中で亡くなりました。 松坂慶子は1952年生まれ。 実は、私の実家に松坂慶子の生写真がありました。 兄が松坂慶子とツーショットで撮った写真が、パネルにされて、長らく兄の部屋に飾ってあったのです。 1956年生まれの兄は、中学生の時に、当時 . . . 本文を読む
写真:2002年ワールドカップ、韓国-スペイン戦。ゴール取消に抗議するスペイン選手 ワールドカップがあるたびに、過去の大会での出来事を思い出します。 なんといっても、私たち家族が韓国に滞在していた時にあった2002年日韓共催大会が最も思い出深い大会です。 開会式での悔しい思い出は以前書いたことがあります。ワールドカップ開会式の思い出 このとき、韓国は今回のモロッコ同様の快進撃を続け、グループリーグ . . . 本文を読む
写真:硫黄島摺鉢山に米軍が星条旗を立てる瞬間(ウィキペディア)戦争と父①戦争と父②戦争と父③ 父はあの戦争(大東亜戦争、太平洋戦争)について、どう思っていたのでしょうか。 敗戦後に入学した大学の授業で、あるいは戦後、終戦記念日のたびに放映されるドキュメンタリー番組を見て、戦時中に聞いていた「大本営発表」の嘘が暴かれ、日本軍部と戦争の「真実」が明らかになったとき、素直に受け入れることができたのでしょ . . . 本文を読む
写真:終戦の玉音放送を聞く若者猫を棄てる―父親について語るとき戦争と父①戦争と父② 父は1950年に東大経済学部を卒業し、三井銀行に入行しました。 同期には、海兵(海軍兵学校)を経て東大法学部を卒業した人がいて、馬が合ったらしく、49歳で亡くなるまで家族ぐるみの付き合いをしていました。 母によれば、最初の配属は新橋支店。幹部候補生が最初に配属される支店だということです。東大卒の父はエリート行員だっ . . . 本文を読む