12月2日、朴裕河教授はソウルで記者会見をしました。その内容は産経新聞(→リンク)またはハフィントンポスト(→リンク)で読むことができます。同じ物ですが、後者のほうの翻訳が正確ですので、お勧めします。
韓国版ハフィントンポストは、12月16日の朴裕河教授の民事裁判第1審最終弁論も載せています。今のところ日本語訳が出ていないので、訳出しました。(→リンク)
これは慰安婦ハルモニとの争いではありません
『帝国の慰安婦』の中の34か所を削除しろという仮処分判決が出たあと、民事裁判が始まって、もう半年以上が過ぎました。その間、私は判決が実に不当であると申し上げてきました。仮処分判決に対しても、異議申し立てを行っています。
ところが、2015年11月18日には、これまでこの事件を調べてきた検察が、私を起訴しました。1月に初公判が始まる予定です。したがって、この民事裁判の判決がいかに重要か、裁判長もご承知のことと思います。
原告側は、2014年6月、私の本の内容が「虚偽」であり、慰安婦ハルモニを非難した本だとして告発しました。そして「売春」、「同志的関係」という二つの言葉を強調し、私が慰安婦ハルモニに向かって「被害者としてのイメージを伝えるのをやめろ」と書いた、と主張しました。ナムヌの家の顧問弁護士は、私の本がただ「韓日間の和解」のための本であり、「日本極右の主張と異なるところがなく」、日本の責任を否定する本だと述べました。
それ以後、私は全国民の非難の対象になりました。そして1年半が過ぎました。しかしこれらの主張はすべて、誤読あるいは曲解に基づいた虚偽です。そのことを、私はこれまで数多くの資料と反論を通じて抗弁してきました。
1.
私の本は、慰安婦ハルモニの名誉を傷つける本どころか、韓国と日本の識者が「むしろハルモニの痛みがよくわかった」と評した本です。そしてそれがまさに私が本を出した目的です。言い換えれば、私は今まで、いわゆる良心的日本人はもちろん、この問題を否定したり、無関心だった人々に、この問題に対する関心をもってもらい、日本の政府関係者たちに、解決のためにより積極的に動くことを期待して、この本を書いたのです。
対立している問題を解決するには、相手側の主張もよく聞かなければなりません。しかし、この20余年の間、支援団体は、この問題に否定的な人々の話をまったく聞こうとしませんでした。私の本が支援団体の主張と異なるのは、否定論者たちの話にも耳を傾けたということと、それに基づいて彼らの考え方にどんな問題があるかを批判しようとしたことです。
しかし支援団体をはじめ、私を批判する人々は、それを黙殺し、朝鮮人慰安婦に関する叙述と運動のやり方に対する批判だけを問題にしました。そして裁判所と検察もまた、彼らの意見を受け入れました。
しかし、私の本が本当にそうした本であるなら、韓国で刊行した時、すぐに問題視されたでしょう。しかし本の刊行後10か月間は、そうした非難はありませんでした。むしろ、いくつかのメディアは、好意的な書評を載せました。いまや、事態の深刻さを感じた日本の知識人たち、さらに韓国の知識人まで、声を上げるようになりました。
日本側の抗議声明に、日本の良心を代表する河野前官房長官、村山前首相、そしてノーベル賞受賞作家の大江健三郎が名を連ねたことは、私の本が原告側の考えるような本ではないということを物語っています。また、声明に参加した人々の中に、私の知人も少なくありません。私の認識が慰安婦ハルモニたちを貶めるものだったなら、彼らと私が知人であるはずもなく、彼らが起訴に対する抗議声明を出すこともなかったでしょう。
2.
告発は、まだ学生の若者たちの、粗雑な読解によるものでした。彼らは、解放後70年なる韓国の問題について語った部分を、ハルモニを非難したもとだと読み取って、私がハルモニを非難したと述べました。原告側のそのような非難が広がり、私は「慰安婦ハルモニの痛み」のわからない人になってしまいました。
それで、私はこれまで、本を正しく理解してもらうことに注力しました。したがって、いわゆる「表現の自由」について語ったことはありません。
私はこの1年半の間、裁判所と世論に向かって、ただひたすら、告発されることになったのは「誤読」によるものだということとだけを語ってきました。しかし原告側は、当初は「虚偽」に重点を置いていた告発の趣旨を、途中で変えて、私の本が戦争犯罪を称賛したとして、歴史認識に問題があると言うようになりました。
裁判長、誤読であれ、曲解であれ、嘘をついたのは原告側の代弁人です。結果的に名誉を毀損されたのは私です。ですが、私はこれまで、告発の背景に何があったのかについては述べませんでした。それを言うと、事態がさらに複雑になるかもしれないと思ったからです。
3.
しかし、仮処分の判決と刑事起訴は、私のやり方が、全く効果がなかったことを示してくれました。ですので、今は、これまで言わなかった話を少ししようと思います。もちろん証拠資料も提出します。
原告側が問題視した私の認識は、実は生存していた慰安婦ハルモニの認識でした。 同時に、慰安婦問題発生直後の韓国政府の認識でした。こういう話をする理由は、私の本が偽りでないと主張するためではありません。慰安婦ハルモニの中にも、私のような認識を持つ方がいらっしゃったということ、しかし韓国社会はそうした方々の声を聞こうとしなかったということを、知ってほしいからです。
ある慰安婦ハルモニは私に、「慰安婦は軍人の世話をする人」だったとおっしゃいました。また、「強制連行はなかったと思う」とおっしゃいました。繰り返し申し上げますが、こういう話をする理由は、こういう話だけが真実だと言うためではありません。そういう思いを言えなかったハルモニがいらっしゃったということを言うためです。そして、このような「言えない」構造が、韓国に出来あがって20年以上の時が過ぎたということを言うためです。慰安婦問題が起こり、韓国の社会は、慰安婦ハルモニを50年間も沈黙させたという反省をするようになり、今はもうハルモニたちも堂々と自分の考えをおっしゃいます。しかし、ある種の話は、相変らず沈黙を強要されています。
4.
私は慰安婦を、徴兵と同じ枠組みで考えてこそ、慰安婦問題が解決されると考えています。朝鮮人慰安婦とは、帝国が勢力拡張のために植民地治下の個人を動員して、肉体と性を傷つけた存在です。しかし朝鮮出身の軍人と異なり、女性たちを保護する法は存在しませんでした。私の本は、その点を近代国家システムの問題として、また男性中心主義的な帝国の支配と女性差別の問題として、日本に対して責任を問うている本です。
私は強制動員かどうか、少女かどうかを強調していません。ただ、そうした点にばかり注目し、20年以上対立を続け、次の世代にまで影響を及ぼしている慰安婦問題の運動のやり方に疑問を呈しただけです。
私が提示した概念が、慰安婦ハルモニを非難していると感じさせるのは、そのような人々の中にある差別意識その他の要素です。1992年に韓国政府が作った資料さえも、慰安婦に関する認識は、私と似ています。
5.
裁判長、ですので、私はされまでに提出した死んだ資料の代わりに、今はもう亡くなったハルモニの声を提出します。この社会が聞こうとしなかった声を提出します。私は死んだ声を復元しようとして本を書きました。ところが、本を書きあげたあと、生きている声に出会いました。しかしその声は聞いてもらえず、結局、誰も聞いてくれる人がいないまま亡くなったという点で、死んだ声でした。そして、私には、私に向かって話をしたその声を、世の中が聞けるようにする義務があると思います。それが、歴史と向き合う私のやり方です。
裁判長、この裁判は私と慰安婦ハルモニの争いではありません。慰安婦問題の解決方法をめぐる、これまでの関係者たちと私の、「考え方の争い」です。朝鮮人慰安婦とはどんな存在だったのかに対する、「異なる考え方の争い」です。そして私の考え方はすべて、慰安婦ハルモニのためのものでした。
ですので、もうこの訴訟を棄却してください。
そして、正義感に立って私を非難した人々と、何かを守るために私を告発した人々を、世間の人々が、あるいは彼ら自身が区別できるようにしてください。
そうしてから、正義をもった人々と、植民地時代、冷戦時代を経験してきた韓国の不幸について、もう一度考え、それによって慰安婦問題の解決にも役立つようにしてくださることを願っています。
以上、なにとぞお願いいたします。
2015年12月16日
朴裕河
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戦後、情報統制が解除され日本兵が復員してくればそれが風評であることはすぐ日本人は理解したでしょう。
一方、戦後混乱した朝鮮半島では多くの朝鮮・韓国人はそれが風評であることはわかったとは思いますが、朝鮮戦争で慰安婦の新たな風評が生まれたがため、戦前の風評が打ち消されることがなかったのかもしれないなあと思いました。
あと、戦後の日本では戦前の皇国史観への反省からイデオロギー的なマルクス主義的な歴史観」が主流となり、実証的な学問としての歴史はなかなか認められなかったと聞きます。
朴裕河氏の意見も同意できる部分が多いですが、帝国主義史観に偏重しすぎのように思えます。
戦後の日教組は強大な権力を持ちましたが、韓国では未だに教員組合組織が権力を持ち、歴史教科書の選択も自由にできないので、それが歴史教科書の国定化の原因にもなったと聞きます。
ほとんどの日本人はマルクス共産主義に失望したわけですが、韓国人にはいまだに共産主義への幻想を持ち続けている人が少なくないのだなあと思わされるのですが、犬鍋さんのご意見ではどうでしょう?
解放後、工場労働に行った挺身隊の女性たちは、みな無事に帰還し、慰安婦にさせられたわけではなかったことが確認できたのですが、「挺身隊に行った」経験を話すと、慰安婦をしていたと誤解されるので、そういう話をしなかった人が多かったということですから、挺身隊に行くと慰安婦にさせられるという風評はあったのでしょう。
朴裕河氏が著書で述べている朝鮮人慰安婦論は、朝鮮人慰安婦が家父長制と植民地支配の犠牲者だったことなど、大筋で李栄薫ソウル大教授が『大韓民国の物語』で展開した論理をなぞったものです。独特なのは、朝鮮人(および日本人)慰安婦が、中国人、オランダ人などの敵国(あまり書かれていませんが、ミャンマー人などの占領地の女性)などとは違い、日本人兵士にとって、故国への郷愁を呼び起こし、もじ通り「慰安」の感情を得ることのできる存在だった、とする見方です。この見方は新しく、「帝国の慰安婦」の中で最も評価すべき部分と思います。
「帝国主義史観」に偏重してみえるのは、上の主張を強調したところから来たものでしょう。
韓国の歴史教科書については、もともと検定教科書だったものを朴正煕大統領が国定化し、民主化後、かなりたってから最近検定教科書になり、その弊害が顕在化したために、朴槿恵大統領がまた国定に戻そうとしているもの。朴正煕大統領が国定化したときの理由が教職員組合のためだったかどうかは、よく知りません。
80年代の若者に主体思想(金日成の思想)を心酔する者が多かったのは、80年代末に東欧の共産政権が次々と倒れていく中で、北だけが体制を維持したことに対する賞讃、羨望があったのじゃないかと思います。
そしてその世代が、政府、司法、学界などで枢要な地位についている(もちろん挺隊協も)ことが、歴史教科書の左傾化につながっていると思います。
日本のマルクス主義を信奉していた人々は、イデオロギー的に反政府の立場をとり、ソ連崩壊後は路頭に迷いましたが、一部の人々は何か反政府の種はないかと探しているときに、「慰安婦問題」に出会った、というところでしょう。
完全に上野千鶴子の影響ですね。朴さんの本は、上野、つかこうへい、秦郁彦、黒田勝弘を混ぜたようなもので、左翼であるがゆえに、実証的でない上野と、右翼であるがゆえに実証的でない秦郁彦の親和性を示すような話ですね。
と、出てきたのは、私のサイトの宣伝です。一度、犬鍋さんには、「自分でブログやったら」と言ったことを言われてますが、一応、立ち上げてみました。
http://www.geocities.jp/satohpone/
サイトの立ち上げのほうも、おめでとうございます。
活況を呈することをお祈りします。
だから、あんまり「活況を呈する」ことはないと思いますよ。更新もほとんど亀レベルですし。
http://www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/R26KWT0EF33AX1/ref=cm_cr_pr_rvw_ttl?