タイ語やミャンマー語、インドネシア語を勉強するときにもお世話になった、外国語の先生紹介サイト「ハロー先生ドットコム」で、大阪近辺でフィリピノ語の先生を探してみました。 フィリピン人の登録は結構ありますが、どれも英語の先生として登録されているようです。フィリピノ語を勉強しようという日本人は少ないからでしょう。 2800円払って、5人分の連絡先を入手。地理的な条件のよい2人に連絡するも、返信はなし。 . . . 本文を読む
娘の話によると、彼氏のおじいさんが日本人とのハーフ。 彼氏によれば、日本人の血が入っていれば、だれでもビザがもらえるという。 「そんなことってあるの? 彼のお母さんは、そんなの無理って言ってる」 「聞いたことないなあ」 調べてみると、なんと「4世ビザ」というのが、昨年、新設されていました。 http://www.moj.go.jp/content/001257981.pdf ただ、いろいろ条件 . . . 本文を読む
韓国人、ミャンマー人、インドネシア人の知り合いはいますが、フィリピン人の知り合いはいない。 (たしかあの店、フィリピン人いたよなあ) 池袋でときどき立ち寄るカウンターバーに、フィリピン人女性がいたことを思い出しました。 「へえ、娘さんにフィリピン人のボーイフレンド? いいねえ!」 「フィリピン人の男性ってどうよ?」 「うーん、人によるよね。日本人もそうでしょう? しっかりした人もいれば、ぐうたら . . . 本文を読む
昨年、9月19日にくも膜下出血で倒れ、長らくリハビリ病院に入院していた妻が、この日、ついに退院しました。 急性期病院(手術をした病院)と回復期病院(リハビリ病院)を合わせて、4か月と5日間の入院でした。 4人の娘たちのうち、長女は2月の出産準備のために嫁ぎ先の岩手県におり、3女はフィリピン、4女はスウェーデンに留学中なので、退院の日に病院に迎えに行くことができたのは、私と、保育園の仕事を休んで駆 . . . 本文を読む
フィリピン留学中の3女から、「フィリピン人のボーイフレンドができた、今度会ってほしい」というラインをもらってから、少し前に読んだ本を書庫から取り出し、再読しました。 中島弘象著『フィリピンパブ嬢の社会学』(2017年新潮選書)です。 著者は、大学院の卒業論文で「フィリピン人ホステス」を研究対象にし、取材のためにフィリピンパブに通ううち、一人のホステスと懇意になり、最後には結婚することになる顛末を . . . 本文を読む
昨年10月30日に、韓国大法院が、新日鉄住金に対して「賠償金」の支払いを命じる判決を下して以来、日韓関係はこれ以上ないくらいに悪化しています。 文在寅大統領は判決後、長いことだんまりを決め込んでいましたが、12月14日、日韓議連との会談で、「(請求権協定によって)個人請求権は消滅していない」と短くコメント。年明け10日の年頭記者会見でも「(韓国)政府は司法の判断を尊重しなければならない」と述べる . . . 本文を読む
私がこれまでかじったことのある外国語について、ずいぶん前に書いたことがあります。 私の語学遍歴 英語、フランス語、ロシア語、ドイツ語、韓国語、タイ語、インドネシア語… 上の文章を書いたのは2007年で、日本への帰任後、ここにミャンマー語が加わり、インドネシア語にも再チャレンジしました。 これらの中で、インドネシア語がもっとも学びやすい言語だった、というのが実感です。 そして . . . 本文を読む
ニューエクスプレス・フィリピノ語の冒頭の解説に、タガログ語がフィリピノ語と呼ばれるようになった経緯が書いてありました。 フィリピノ語は、フィリピンの国語であり、英語とともに公用語とされています。長い間、スペインやアメリカの統治下にあったフィリピンで、国語制定の動きが始まったのは1930年代に入ってからです。その際、数多くあるフィリピンの言語の中で国語の母体として選ばれた言語がタガログ語でした。タ . . . 本文を読む
思い立ったが吉日で、正月休み中、午後、病院に行ったあと、池袋の書店にタガログ語の学習書を買いに行きました。 「語学」コーナーに行くと、アジアの言語の中でも中国語、韓国語などのメジャーな言語の棚は広くとられていますが、東南アジアの言語に割り当てられている棚は少ない。 「あれ? ない…」 タガログ語をタイトルにしている本は見当たりません。そのかわり、フィリピノ語とか、フィリピン語という . . . 本文を読む
今年の元旦は、入院中に一時的に外泊を許可された妻、長女夫婦、次女夫婦が来てくれてにぎやかに過ごしました。 ただ、妻は大みそかから2泊3日の外泊でしたので2日には病院に戻らなくてはなりませんでした。それに合わせて娘たち夫婦もそれぞれ自分の家に戻っていきましたので、自宅には私だけが残ることに。 3日は、午後、病院に妻を見舞ったあと、ソウル時代に知り合った友人のKさんと池袋で食事をしました。 店は「え . . . 本文を読む