「東京の電車は混んでますね」 大阪から転勤してきた同僚がぼやきます。 私は大阪に暮らしたことがないのですが、大阪と東京では交通事情がずいぶん違うらしい。まず通勤時間。ほとんどの人が1時間以内。私のように片道1時間45分かけるような人は滅多にいない。 そして電車の混み方。東京で日常的な、すし詰め状態ということは少ないらしい。うらやましいことです。「でも、北京の地下鉄はもっとすごいですよ」 ときどき北 . . . 本文を読む
大阪出張時、夜、別の歓送迎会がセットされていました。 一次会は鍋のお店で飲み放題。飲み放題セットとしてビール、焼酎、ワイン、ウイスキーが用意されていました。勢い、「飲まなきゃ損」という計算が働いて、飲みすぎることになってしまう。 時間制だったので、8時半ごろにお開きになると、二次会には5人が残りました。梅田の地下街にある、カウンターだけの居酒屋で、今度は日本酒。10時を回ったところで、二人が帰り . . . 本文を読む
10月は、人事異動があって、歓送迎会が続きました。 これが、だいたい一次会で終わらない。だんだん人数は減るものの、二次会、三次会へと続きます。 最後はいつも決まったメンバーが残り、いつもの路地裏に入っていきます。 ある三次会で行ったのが、カウンターだけの割烹の店。かなり年配のおばあさんが一人でやっていて、渋谷の飲んべえ横丁を思わせる、いい感じの店。 こちらはすっかり出来上がっているので、つまみは . . . 本文を読む
私が行ったサヤームパラゴンのサヤームはバンコクの地名。この語源はタイの旧称、シャムらしいです。 シャムという国名がいつごろまで使われていたのかは定かではありません。タイという国家名が最初に使われたのが、1939年だそうですから、それ以前はシャムだったのかもしれません。そういえば大正15年生まれの父が、ときどきシャムと言っていたような気がします。 私にとって、シャムといえば猫の品種。調べると原種が . . . 本文を読む
今回の出張で中華街を歩いてみて、あらためてバンコクにおける華僑の力を感じました。 統計によれば、タイ国民のうちの華人の割合は14%。しかし、知り合いのタイ人(自身も華僑)に聞けば、混血が進んでいるので先祖に中華系がいる人の割合は40%ぐらいではないか、とのことでした。 別の華僑は、祖父母の時代にタイに渡ってきたということで、祖父母の話す客家語が少しわかるが、自分はしゃべれない。言語的にはタイ人に . . . 本文を読む
サヤームパラゴンを出て、さてどこに行こうか。いわゆる観光地は、私が初めてタイを訪れた2002年以来行っていなかったので、王宮とその周辺にあるお寺に行ってみることにしました。 地下鉄で終点のフワランポーン駅まで行き、そこから歩くことに。王宮までは3キロぐらいです。マドリードやニューヨークでは、ほとんど徒歩で観光していましたから、バンコクでも、というつもりでしたが、これが失敗でした。 「地球の歩き方 . . . 本文を読む
土曜日は午前中にちょっとした仕事があっただけ。深夜便まで、珍しく自由時間です。連れは前日の深夜便で帰国したので、単独行動。 地下鉄に乗り、サヤームに行きました。ここにはサヤームパラゴンという大きなショッピングセンターがあります。 ちょうどこの日が兄の誕生日だったので、ボクシンググローブを買うことにしていたのです。56歳の兄は、二年ほど前からボクシングジムに通っています。かつての世界チャンピオン、 . . . 本文を読む
スクンウィットで仕事が終わったのが8時。夕食は一人でとることになりました。 考えてみれば、タイで一人の夕食というのは初めてです。 タイ料理の店に一人では入りにくい。スクンウィットのソイ(路地)をぶらついて、日本語の看板のある店に入りました。万歳という名前の居酒屋風の店です。 急な階段をのぼっていくと、カウンターにテーブル席三つほどの小さな店でした。先客は、日本人男性の二人組と、日本人とタイ人女性 . . . 本文を読む
三日目の夕方、スクンウィットにある事務所に所用がありました。 金曜日の夕方とて、道路はすでに渋滞が始まっていました。それで、渋滞を避け、会社のそばにある駅から地下鉄に乗りました。久しぶりの地下鉄です。 かなり深いエスカレーターを降りていくと、係員に呼び止められ、ボディチェックと荷物検査があります。空港のようなゲートをくぐって、かばんを開けますが、非常に形式的なチェックです。 私の事務所の入口にも . . . 本文を読む
タイの10月は雨季です。私たちが出張に行く前の週、大雨が降って東部で水害があったというニュースが伝わっていました。幸い私が着いた日は雨は降っていませんでした。 夕方にホテルに入り、同僚と早めの夕食をとりました。ホテルの向かいにあるソンブーンというシーフードのお店です。 いつも空港、ホテル、事務所の三カ所を車で移動するだけで、自由時間もないのでガイドブック的なものを買ったことがないのですが、今回は . . . 本文を読む
4か月ぶりのタイ出張。今回のフライトはANAです。 往路の機内で、「奇跡のりんご」という映画を見ました。りんごの無農薬栽培に成功した青森の農家の実話をもとにした作品ということです。 つい一カ月ほど前に、青森ではなく長野のりんご農家を訪ねていたため(→リンク)、目をひかれました。 農家の婿養子になった主人公が、農薬のせいで体調不良になった妻を見て、無農薬栽培を志し、見事に成功させるという . . . 本文を読む
私が使っているミャンマー語の学習書の例文です。A:きのうはどうして来なかったのですか?B:用事ができたからです。A:私はずっと待ってたんですよ。B:許してください。A:許せません。夕食をごちそうしてくれたら許してあげます。「Aさんはどのぐらい待ってたんですかね」「2時間ぐらいでしょう」「2時間!」「ミャンマーの人は、30分ぐらいまでは気にしません」「そうですか」 でも、日本も携帯が普及してから、 . . . 本文を読む
最近よく行く品川の路地の奥に、いい店を見つけました。 立ち飲みの韓国居酒屋です。 私が行ったときは、駅前でお祭り(?)をやっていて、ここのお店も屋台(テント)で出店していたため、女主人はそちらで営業。店番は、二人の女性がやっていました。 一人は大邱出身の李さん。もう一人は、お祭りの期間だけのアルバイト日本人女性。ここを紹介してくれた同僚によると、女主人も韓国人だそうです。「ここ、お店の名前はなん . . . 本文を読む
ミャンマー語で、習うはティンデーと言います。 じゃその反対、教えるはなんと言うかというと、これまたティンデー。 習うと教えるが同じというのは驚きでした。犬鍋さんはミャンマー語をティンデー 私がミャンマー語を習っているのか教えているのかは、前後の文脈またはその場の状況からしかわからない。「不便じゃないんですか」「いや、不便と感じたことはないですけどね」と、ミャンマー語の先生。 ただ、教え . . . 本文を読む
韓国語で死ぬはチュクタ、殺すはチュギダです。 チュギダはチュクタの派生語で、~イダは元の動詞を他動詞化(使役)したり、逆に自動詞化したりします。 日本語にも似たようなのがありますね。開く(自動詞)開ける(他動詞)破る(他動詞)破れる(自動詞) 死ぬ(自動詞)の場合、その意味上の他動詞は、殺すという別の動詞になります。それで殺すを受動態にすると、受け身の助動詞を使って殺されるになる。 ところが、韓 . . . 本文を読む