フランス旅行から帰ったあとの土曜日、知り合いと高田馬場のミャンマー料理店に行きました。どこに行くかは決めていませんでしたが、知り合いが「ルビーという店に行ってみたい」と言うので、そこに行くことに。 最近、ある「国際理解教育」の集まりで、ルビーのご主人の日本での活動が映画化されたという話を聞いたそうです。「私も一度、お昼ごはんを食べたことがありますよ。たしか、奥さんが日本人にミャンマー語を教えてい . . . 本文を読む
私たちは、ちょうどリオ五輪の後半がフランス旅行の日程と重なったこともあって、リアルタイムでのTV観戦はほとんどできませんでした。ホテルで見たテレビ番組も、オリンピックの中継は少なかったし、たまにビストロのようなところでオリンピックの中継があっても、たいていはフランス人選手の試合で、日本人を映してくれてはいませんでした。観光地ということもあるのでしょうか、お客さんも、熱心に競技に見入っている人は多 . . . 本文を読む
今回の旅では、電車によく乗りました。フランスの鉄道について、いくつか気がついた点を書くと…【切符の購入】 切符は自動販売機と窓口があり、どうもフランス人(というかヨーロッパ人)は、窓口で買うことを好むようです。自動販売機が空いているのに、わざわざ列を作って窓口に並ぶ人が多いです。そして、窓口で長々と話し込んでいる。効率よりも、そうした会話を楽しむ人が多いようです。 なお、自動販売機 . . . 本文を読む
朝7時すぎにカンヌを出発し、TGVでデイジョンに向かいます。ディジョンはフランス中部、ブルゴーニュ地方にある地方都市。リヨンと並んで、美食の街としても知られます。 名物はエスカルゴとトリュフ。マスタードも有名で、さまざまなフレーバーを添加したものが売られています。 パリから1時間半程度ですが、南仏カンヌからだと5時間以上かかります。早朝、カンヌで電車に乗り込んだとき、すでにかなり混んでいました。 . . . 本文を読む
朝目覚めてみると、幸い、体調はほぼ復調していました。「大丈夫?」「ビアン!(大丈夫) 今日はニースに行こうか」「よかった。今日は一人で歩き回ることになるかと思ってたわ」 カンヌからニースはバスでも行けるのですが、やはり時間がかかるので電車で行きました。 ニースは、カンヌと並ぶ南仏のリゾート地。イタリア国境に近く、歴史的にはイタリアに帰属したり、フランスに帰属したり、を繰り返してきたとのこと。19 . . . 本文を読む
カンヌでの2日目。この日は、「香水の町」グラースに行きました。カンヌからバスで40分ぐらい。 グラースは、カンヌやマルセイユと比べると、とても小さな田舎町で、1時間ほどあれば街全体を回ることができます。 バス停近くにあった案内所で、係の女性が、おすすめの散策コースを親切に説明してくれました。街のところどころに香水の工場があり、中を見学できるようになっています。香水は、フランスの名産の一つですが、 . . . 本文を読む
4日目の8月15日は、日本では終戦記念日、韓国では光復節(日本の植民地支配からの解放を迎えた日)で祝日ですが、ここフランスも祝日。聖母被昇天祭というカトリックの祝日なんだそうです。それで娘の通う語学学校もお休み。この日も私たちといっしょに過ごすことができました。娘は午後3時過ぎのTGVでディジョンへ向かい、私と妻は次の目的地のカンヌへ移動します。 この日は、マルセイユでの最後の日。マルセイユを拠 . . . 本文を読む
三日目は、マルセイユ近郊の海岸の町、カシに行きました。 マルセイユからTGVではなく一般の鉄道に乗りましたが、カシの街は駅からかなり離れているので、バスに乗らなくてはいけません。ところが電車とバスの接続が悪く、次のバスが来るまで1時間近くかかる。 駅の案内所で地図をもらい、街までの距離を聞いてみると、4キロとのこと。「天気もいいし、歩いて行こうよ」 同じ電車で着いた他の観光客も、おおかたはバスを . . . 本文を読む
二日目は、プロバンス地方の代表的な観光名所、アヴィニョンに行きました。再びTGVに乗りましたが、今回は2等車にしました。前日の1等車に比べ、席が1列多く、その分、席の幅が狭いけれども、日本人の体格にはこれで十分。新型車両のようで、とても快適でした。 アヴィニョンは歴史の町。中世の一時期、ローマ教皇庁が一時的にここに置かれていた時期があります。世にいう「アヴィニョンの捕囚」です。 でも、妻はあまり . . . 本文を読む
11日の「山の日」の夕方に日本を出て、香港を経由し、20時間後にパリに降り立ったのは、現地時間で朝の7時。パリ、シャルルドゴール空港から、鉄道に乗り換えてマルセイユに向かいます。シャルルドゴール空港は、TGVの駅につながっているので便利です。成田や関空から直接新幹線に乗れるようなものですね。 TGV(フランスの高速鉄道)は、日本からの予約も可能ですが、飛行機は遅れる可能性もあるので予約はしません . . . 本文を読む
今年の夏季休暇は、南仏に行ってきました。 実は5年前にもフランスへの家族旅行の計画があったのですが、出発を2週間後に控えた3月11日、東日本大震災が発生。のんびり長期旅行をしている場合ではなくなり、私だけがキャンセルする羽目になりました。(リンク) 今回はそのリベンジ。といっても前々から計画していたわけではなく、たまたま大学3年生の4女がこの夏休みに1か月、フランスへ語学研修に行くことになり、そ . . . 本文を読む
オーマイニュース2002年3月4日(リンク)-韓国戦争当時、軍は慰安所をどのように運営したのですか。 「大きく見て、陸軍本部で管轄した固定式慰安所、移動式慰安所、非正規的な慰安婦の3つの形態だ。「後方戦史」によれば、陸軍は、ソウルに3か所、江陵に3か所、束草、原州、春川など全部で9カ所の固定式慰安所を設置し、慰安婦を釘づけにして運営した。そして、必要に応じ、たとえば前方から準後方地域に帰ってきた部 . . . 本文を読む
オーマイニュース2002年3月4日(リンク)「ベトナム戦争のときも「慰安隊」の運用を計画」韓国軍も「慰安婦」を運用した(3) キム・グィオク教授インタビュー写真(リンク)▲キム・グィオク博士は「冷戦時の親日派に起源をもつ韓国の右翼が自ら反省しない限り、日本の右翼に反省させることはできない」と主張している。 1950年6月25日に勃発した韓国戦争当時、韓国軍が軍の士気高揚のために慰安所を設置し、3~ . . . 本文を読む
オーマイニュース 2002年2月26日(リンク)韓国軍慰安婦、彼女たちは何者か? ならば、いったい軍慰安婦たちは何者なのだろう。だが、既存の資料のどこにも、慰安婦の正体についての言及がない。キム・グィオク博士によれば、わずかな文献から、帰還した日本軍慰安婦たちの相当数が、韓国戦争当時、売春業に流れて行ったのだろうという経験的な陳述による推定だけがあるだけだ。1996年、束草で越南民の研究をしている . . . 本文を読む
オーマイニュース 2002年2月26日(リンク)韓国軍「特殊慰安隊」は事実上の公娼[創刊2周年記念発掘スクープ]韓国軍も「慰安婦」を運用した(2) 記者が忠南ノンサンの陸軍第2訓練所に入所した1980年当時まで、ノンサン訓練所のフェンスを越えると、いわゆる「毛布部隊」がいた。当時、訓練兵だった記者が、「毛布部隊」を直接目撃したわけではないが、訓練所の教授や期間兵たちは、自分たちが「毛布部隊」と遭遇 . . . 本文を読む