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犬鍋のヨロマル漫談

ヨロマルとは韓国語で諸言語の意。日本語、韓国語、英語、ロシア語などの言葉と酒・食・歴史にまつわるエッセー。

田中明氏の幻の原稿

2014-06-28 23:24:39 | 慰安婦問題

 最近、ある読者の方から、「田中明の名前なんか、まともに韓国に関心を持つ人間の間では、相手にならなくなって久しいと言う感じがします」というコメントをいただきました。

 何を隠そう、田中明氏は、私がコリアをウォッチし始めた1990年代初めに著書を通して深く影響を受け、その後もずっと尊敬していた人物です。

 コメントを読み、「まさかそんなことはあるまい」とは思いつつ、今、韓国に関心を持つ若い世代のみなさんに忘れられてしまうのは惜しいと思い、少し紹介する次第です。

 従軍慰安婦問題が朝日新聞の歪曲キャンペーンによって勃発した翌年、1992年の8月、韓国の朝鮮日報が光復節の特集として「韓国に対する日本人の批判」を載せたいと言って、田中氏に原稿を依頼。書き上げたにもかかわらず、何らかの事情で掲載されなかった「幻の原稿」が、『韓国政治を透視する』(田中明著、亜紀書房、1992)のあとがきに収録されています。

 一九六五年の十一月から十二月半ばにかけて、私は解放後の韓国を初めて訪れた。当時、新聞社にいた私は、日韓条約が成立するときの韓国の表情について取材するように命じられたのである。

 ソウルに着いたら、日本の植民地支配について、多くの韓国人から糾弾の言葉を投げつけられるだろう――と、私は飛行機のなかで覚悟していた。だが、四〇日間の出張期間、そうしたことは一度もなかった。むしろ、温容をもって親切に韓国の現状を説明して下さった方が、あとで大変な反日家だと聞かされて、驚いたりしたものだ。

 後で気づくのだが、あの方たちは、現在、自分たちの直面している困難が、日本の植民地支配に由来するものだ、といった類のことを絶対に口にしなかった。「それを言えば、自分たちは、いまなお日帝の影響下にあると認めることになるではないか。そんなことは絶対できぬ。われわれは昨日の韓国人ではないのだ」。それが、あの方たちの強烈な意気地であった。ある民族が独立するということは、こういう意志を確認することなのか――。私は強い衝撃を受け、植民地支配が悪であることを肝に銘じた。なぜなら、植民地支配とは、こうした高貴な意志と誇りを踏みにじるものだったからである。この体験が、私の韓国研究のバネとなった。

 あれから三十年近い歳月が流れ、事態は逆になった。いまや韓国から私の目や耳に入ってくるのは「自分たちは日本にこんなにもやられた」「韓国はこれほど日本から痛めつけられた」という話ばかりである。「残虐な日本に翻弄された韓国」というイメージを、苦渋の色もなく得々と描きまくる光景。それはかつて私を感動させた独立韓国とは、あまりにも違っており、私はただ呆然と眺めているばかりである。

 こんなことを言うと、余計なことを言わずに、謝罪と償いを考えよ、と言われるかも知れない。しかし、私には、心の問題とカネの問題とをいとも簡単に結びつけて、要求貫徹のデモ旗を打ち振る今日の風俗を悲しく思うものである。

 航空事故で子供を失った親の悲しみは、億兆のカネを積んでも癒されるものではない。しかし、遺族と航空会社間の補償交渉は、つねに金額の多寡で争われる。前者=心の次元と、後者=弁護士の領域との間には深い淵が横たわっており、後者で前者を覆うことはできない。まして、前者を後者のために利用しようとしたりすれば、前者は卑小混濁し、思わぬ頽廃を招きかねないのである。「日帝三六年」に負い目を抱いてきた日本人も、それが徐々に心を離れた「交渉」の道具に化していけば、すべてをカネで片づけようという気分になるであろう。

 八〇年代に入り、在日韓国人の処遇問題が日韓首脳会談の議題になったころから、私は日韓関係はずるずると奈落へ墜ちて行くだろう、という予感に襲われた。韓国に少し長くいた者なら、誰もが在日僑胞に対する本国人の蔑視感情に気づくであろう。その本国人が、にわかに在日同胞を憂慮するポーズを取るようになったのだ、それが対日交渉の具になったということで。

 そして、今回の従軍慰安婦問題である。「妓生観光業」が成立するくらい人肉市場が盛んな社会で、いったいどれだけの韓国人が、彼女らに対して同情の念をもってきたろうか。だが、いまの韓国のマスコミには、元慰安婦への同情者で溢れ返っている。愛や共生の意識など向けたこともない人たちを、こういうふうに利用するのは、便宜主義というものではなかろうか。(後略)

 「あとがき」はさらに続きます。

 韓国との交わりを、誇り高い人びととの触れ合いによって始めた私には、今日の風景が先に第Ⅱ章で述べた行き詰まり現象の一環に見える。日本に対する韓国の要求は、もはや「日帝三六年」という歴史をタテにするしかなくなったのだ。日本人には植民地支配に対する負い目の意識があるから、「日帝三六年」は、日本を撃つ有力な武器になる。この場合、もし日本人が、韓国人の言うように道徳的不感症で破廉恥漢であるなら、いくらそれを持ち出しても「蛙の面に小便」にしかなるまい。それが有効な武器になりうるのは、日本人が負い目を意識しているからで、韓国人は無意識のうちに、日本人の道徳性に依拠して要求をエスカレートしているのである。

 ただ、このごろの韓国のように、日本から「やられた」ことを得々と語る人が続出するのを見ていると、常識的な生活者は首をかしげるのである。本当にはらわたが捩れるような無念な思いをしている人は、みずから屈辱の歴史を並べ立てて、大声で喚き散らしたりはしないからである。加害者の方も、本当に心を痛めておれば、謝ってすむことではない魂の問題に対し、したり顔で謝罪の言葉を連発するようなことはできないはずだ。

 いま日韓でやりとりされている風景は、かつて搾取した地主の子供と、搾取された小作の子供とが、親の仮面をかぶって演じている偽善劇である。そこには父や母の胸をかきむしる痛みがないから、人はいくらでも「良心的」になれるし、いくらでも糾弾のオクターブを高めることができる。これはマスコミの好材料ではあろうが、もはや精神や道徳の問題ではない、運動家が利用する時事問題の一つにすぎないのである。(後略)

 田中氏の原稿が没になったのは、『日本軍慰安所管理人の日記』に対する朴裕河教授の書評が没になったことを連想させます。

 聞きたくない話に耳を塞ぐのは、20年前も今も変わらないということでしょう。


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11 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (kak)
2014-06-30 23:47:31
御紹介有難うございます。
その時代のその場所で生きて来た人の言葉は静聴に値しますね。
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Unknown (トムヤム)
2014-07-02 15:26:26
タイが選挙という民主的な手続きでは、国家の権力を選べない現状は、タイの歴史に由来していると思います。

タイ族は雲南あたりから南下してインドシナ半島に移住したとされていますが、当時クメール人の支配下におかれました。クメール人はヒンドゥー教由来の社会制度を取っており、それがタイ族が独立しても踏襲されカ国王を頂点とするカーストという階級制度ができました。
仏教伝来後も階級制度は維持され、現在の北部タイ、東北タイ併合すると、異民族であった両地域も階級制度の中に組み込まれました。

明治時代の初め、タイ近代化が起きて奴隷解放により階級制度は廃止されたのですが、支配階級はその後も財閥を作り公務員、軍隊で要職につくことでタイの政治、経済を支配してきました。
その構造を利用して権力についたのがタクシン元首相だったのですが、政治への参加意識が希薄だった被支配階級の目を覚ましてしまい、タイを二分する結果になっています。

タイに奴隷を含む階級制度があったことはタブーですが、私がタイに駐在していた90年代には明らかな階級制度の名残がありました。

話は飛躍してしまいましたが、韓国の反日も開放後の反日は日本に同化することで失われたアイデンテティを回復するためには必要だったのだろうと思います。
一方、民主化後の反日はその性格が変わり、民主化により多様化した利害を調整するため、韓国政府が政治利用する側面が強まったのかもしれないと思いました。

タイの場合は、民主化前は軍がクーデターを起こして権力を集約していたのですが、それも効果がなくなり、調停役を努めた国王も高齢で人前にでることがなくなりました。
後世にしこりを残すような階級制度がなかった日本は幸せです。
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文学者 (犬鍋)
2014-07-02 23:23:16
kakさん

コメントありがとうございました。

田中明は、韓国文学の翻訳も手がけていて、私が田中明の名前に最初に接したのは「広場」という小説の訳者としてでした。

韓国論は、内容もさることながら、文章が格調高いことも魅力の一つだと思います。
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階級制度 (犬鍋)
2014-07-02 23:24:47
タイの階級制度についての説明、興味深く読ませていただきました。

タイには、相当数の華僑の流入もあって、それが階級意識をさらに複雑化させたのかもしれませんね。
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Unknown (トムヤム)
2014-07-04 16:54:30
>タイには、相当数の華僑の流入もあって、

ご指摘の通りです。
近世までタイでは貿易権は国王が独占しており、華僑がこの運用をまかされました。
また、ミャンマーがイギリスからもたらされた、近代兵器で軍事力を強化すると、タイも対抗して近代兵器の知識を持つ中国人が傭兵となりました。

これらの中国人はタイ王族と血縁関係を結んでおり、王室はもちろん名家、旧家の多くは中国系の血を引いているといわれます。

機会がありましたら、ミャンマーの中世社会制度を調べられたら面白いかもしれませんね。
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あら、私のことでしたか (サトぽん)
2014-07-06 00:22:58
>ある読者の方

単に韓国でも大衆社会化が進んだだけですね。韓国でも声高に隣国を貶める人々が増えた。タガが外れた日本でも同じような人々が増えた。その状況を、高い所から憂いてみせたところで、相手にされるわけもない。

で、最後は、現代コリアの佐藤勝巳一派とナカヨシでしたが、この人は身も蓋もない格調低い文章を書く人でした。
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中公新書 (犬鍋)
2014-07-06 22:58:31
タイの華僑の説明、ありがとうございました。

>ミャンマーの中世社会制度

ミャンマーの歴史については、「物語ビルマの歴史」を買ってあるのですが、未読です。
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佐藤勝巳 (犬鍋)
2014-07-06 23:16:25
サトぽんさん
コメントありがとうございます。
結果的に日韓に相手を貶める人が増えたけれども、時系列的には韓国が先でしょう。日本の嫌韓は韓国の反日への反動だったと思います。

田中明と佐藤勝巳の共通点は、「原罪意識」だと思います。

田中は植民地朝鮮生まれという出自に、佐藤は共産党や左翼系新聞の情報を信じて北送事業を主導したことに。

格調の有無は別として、佐藤の激越なコリア批判は、自らの身を苛みながらの迫力がありました。
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そんないいもんではなかったはずですね (サトぽん)
2014-07-07 23:04:06
ものはいいようと言うか。

私の感覚では、現代コリア=挺対協ですね。両方とも、横浜スタジアムでも借りきって、観客無人のスタジアムで、好きなだけ殴り合いでもしてくれたら、日韓のためになるだろうと。
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現代コリア… (犬鍋)
2014-07-20 22:04:25
サトぽんさんのおかげで、いろいろなことを思い出すことができました。

http://blog.goo.ne.jp/bosintang/e/cb59c6f7dc62ccdd4febc142635719fc
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