朴裕河教授が、フェイスブックに最近行った講演録を載せていますので、翻訳紹介します。(長いです)
記憶の政治学を越えて--『帝国の慰安婦』提訴1周年
(「東アジア和解と平和の声」創立シンポジウム、2015/6/20)
1. 慰安婦問題をめぐる認識変化
慰安婦問題に関する認識をめぐってこの1年間に顕著な変化がありました。
昨年8月の朝日新聞と北海道新聞の「強制連行」に関する過去記事取り消し事件は、その第一歩でした。それに続き、今年5月には、アメリカの著名な歴史学者たちがこの問題について意見と提言を発表しました。
注目すべきことは、韓日の支援団体がこれまでの立場を変化させたことです。
あまり知られてはいませんが、慰安婦問題をめぐる攻防は、「法的責任」、「国家賠償」という二つに絞られています。すなわち、支援団体は、20年以上にわたって、日本が責任を負おうとしない、謝罪も補償もしないというふうに主張してきたのですが、その意味は「法的」責任を負わなかったということです。日本は、補償はしたけれどもそれはいわゆる「道義的補償」であり、そうではなく「法的」補償をしろ、というのがこれまでの主張でした(『帝国の慰安婦』参照)。それで国会で「立法」すべきだと主張してきた支援団体が、そのような主張から一歩後退し、そうした立法はしなくてもよいと立場を変化させたのです(2015/4/23ハンギョレ動画参照)。
これは、ここ20年以上の動き、そして 2007年にアメリカが下院決議で日本に謝罪を要求して以後、世界が同調したここ8年間の動きからみて、注目に値する変化です。これまで、支援団体と研究者が「法的責任」を主張してきた根拠は、慰安婦問題発生初期に、さまざまな理由から「軍人が強制的に連れて行った」というふうに理解され、法律違反に基づいた「国家賠償」をしなければなければならないと考えたことにあります。しかし、その後、少しずつ最初の理解とは違う研究も出てきました。
ところが、こうした認識変化は「公的」には公開されませんでした。日本人慰安婦の存在、業者の存在、人身売買などが公けに議論されたことはありませんでした。
そして、最初に「強制連行」という言葉が意味していたのとは違う状況が知られるようになって以降、認識変化についての説明なしに、今度は日本軍が人身売買と知りながら受け入れたとか、わかっていたのに人身売買業者を処罰しなかったという意味で、「強制連行」という言葉が使われるようになります。そして、それに関する日本の「国家責任」を問うているのが、慰安婦問題をめぐる現在の状況です。
慰安婦関連の支援団体は、もはや韓半島における強制連行を強調しません。「植民地統治」下なので、逆に、そうした形の強制は成り立のたなかったと述べます(『帝国の慰安婦』に対する告発状)。
実は、これは、まさに私が『帝国の慰安婦』で述べた内容です。いくら植民地だといっても「法」に反することを勝手に行うことはできません。法的に認められた思想犯の取り締まりなどを除き、植民地だからこそかえって慎重に運用しなければならないこともありました。問題は、こうした認識の変化が、「公的に」発表されることがなかったという点です。
歴史学者などは、「軍隊が知っていながら受け入れた」といいますが、次の資料は、そのような認識が必ずしも正しくないことを示しています。
9月に入り、業者が慰安婦の数が減ってきたから補充したいと申し出たため、支部は許可した。10月、キョンハンソンを経由して、二人の朝鮮人に引率され、30人ほどの女性たちが朝鮮から到着した。だれがどのような方法で募集したのか、支部では分からなかったが、そのうちの1人の女性が陸軍将校の集会所である偕行社に就職するという約束できたのに、慰安婦とは思わなかったと泣きながら就職を拒否した。支部長は、業者がその女に仕事をさせないようにし、ほかの適当なところに就職させろと命じた。おそらく紹介業者のような者が、騙して募集したもののようだった。(『漢口慰安所』221ページ)
また、これら女性たちの中には日本人もいたことを考えれば、軍人が暴力的だったとしても不法行為をたやすく行うことができなかったであろうことは、容易に推察できます。もちろん例外はあるでしょうが、それが「国家の方針」だったのかどうかが、「不法」であったかどうかを判断するのに重要です。
慰安婦問題をめぐる数多くの誤解は、「日本軍と朝鮮など他国女性」という構図で見ることから始まりました。支援者は、もちろん日本人慰安婦の存在を知っていましたが、長い間、日本人慰安婦を朝鮮人女性とは違った存在として取り扱ってきました。それは、「日本人は売春婦、朝鮮人は純真無垢な少女」というものでした。
最近、日本で日本人慰安婦に関する本格的な研究書が出てきましたが、これらは慰安婦問題について、「公娼業者だけでなく民間人も多数、女性の売買と詐欺的斡旋に関与したことがわかった」、「戦争の前から、女性を人身売買や詐欺で売春に追い込む業者が実にたくさん存在した」(西野瑠美子)と述べています。
つまり、慰安婦調達の基本構造は、「強制連行」ではなく「人身売買」であり、いわゆる「売春婦」も慰安婦システムの中にあったということを、今や支援団体も語る段階にきたのです。
実は、日帝強占期の韓半島には、日本人が数十万人住んでいました。当然、彼らの中には慰安婦になった人もいました。カワダ・フミコ著『赤い瓦の家』には、釜山で募集された女性たちの中に「日本の女も二人混じっていた」という記述があります。さらに朝鮮のソウルや北朝鮮の慰安所の前に軍人が行列を作っている風景を描いた文も少なくありません。(梶山トシユキ、コトメイセイ等)。したがって、もはや慰安所についてのこれまでの認識だけで慰安所を語ることはできなくなりました。
慰安婦制度を支えるシステムが「人身売買」だったという事実は、これまでの認識-「強制的に連れて行かれた幼い少女」という認識-に含まれていた連行の主体と情況について見直すことを要求します。
しかし韓国では、まだ1990年代初期に定着し た「強制的に連れて行かれた慰安婦」というイメージが支配的です。そして駐韓日本大使館前の少女像は、「強制連行」の認識がまだ(公的には)支配的だった時期の像です。2011年の冬に初めて少女像が建てられて以降、ソウル以外のさまざまな場所、アメリカにまで建てられることになり、解放70周年を迎える今年には、全国で少女像建設が推進されていますが、こうした意味では、これらの少女像の意味も見直さなければならないでしょう。この少女像が、相変らずこれまでの認識である「強制連行」を象徴しているためです。ソウル市も光化門や市庁に少女像を建てると発表しましたが、本当に建てるならば、慰安婦のより根源的な本質—家父長制下における国家の勢力拡張に、個人の性を動員された女性たちという普遍的意味を込めるべきでしょう。
2. 「世界の考え」と理解の偏向
ところで今年5月初めに、アメリカの歴史学者が日本政府に送った公開書簡は、彼らの認識が韓国や支援団体の表面的な認識と多少違うということを示しました。
詳しくは、今日の資料集をご参照ください。彼らの書簡は、日本政府と国民がおおむね納得できそうな内容です。そして批判/非難ではなく、説得/勧告する論調です。十分な議論と苦労の跡が窺われる、結果的に繊細で合理的な内容でした。
注目すべきは、この声明で「人身売買」、「売春」という言葉が使われたことです。
つまり、米国学者ももはや韓国や支援団体が主張する「強制連行」とは言いません。安倍首相が人身売買という言葉を使ったことに対し韓国は非難しましたが、その認識は、すでに安倍首相だけのものではありません。重要なのは、この歴史学者の声明や日本支援団体の本を見ればわかるとおり、これらの「人身売買」という理解が、慰安婦問題を否定するために使われたわけではないという点です。
しかし韓国のマスコミは、この声明が韓国/中国を批判したということを伝えませんでしたし、あたかもこれまでの韓国の主張を支持した書簡であるかのように報道しました。これは、長らく続いてきた韓国のマスコミの偏見と怠慢-直接取材や翻訳をしない—に起因しているといえましょう。そうした偏った態度は、慰安婦問題が長く続き支援団体による認識のみがあまりにも深く定着した結果です。
反対に、日本のマスコミには非常に大きく報道されたベトナム韓国軍の慰安所は、韓国ではほとんど報道されなかったり、一歩遅れてようやく知らされたりするという現象が起きます。程度の差はありますが、そのような形の慰安婦問題をめぐる情報の遮断と歪曲が、韓国ではこの20年間、続いてきました。
米国学者に続き、5月末には日本の歴史学者の声明も発表されましたが、ここには米国学者の誠意を尽くした声明についての言及はまったくありませんでした。そして結論からいえば彼らの声明は、日本政府や、この問題に懐疑的な日本国民を説得するには力不足の内容でした。内容に誤りがあったというより、すべき話の半分しかない声明だったためです。実際に日本新聞でこの声明を報道したのが朝日新聞と東京新聞だけだったという事実からそれがわかります。
この声明について沈黙した日本のマスコミの中には、慰安婦問題そのものを否定しようとするマスコミもありますが、すべてがそうではありません。そのかわり、彼らの声明発表直後、日本のインターネットでは、彼らに対する批判と揶揄があふれました。自分たちがもっている認識が、この声明が反映されていないためです。 正しいかどうかとは別に、そうした報道機関と国民に対する理解がない限り、慰安婦問題の解決は難しいです。
それにもかかわらず 韓国のマスコミは、この声明が日本を代表しているかのように特筆大書し、参加した人の数がいかに多いかということだけを強調しようとしました。しかし、自身も会員なのに、学会からは意見を聞かれなかったし、今後も参加するつもりはないとフェイスブックに書きこんだ日本人学者の存在は、(マスコミの)そうした扱い方の問題点を示しています。
日本人学者の声明は、「本人の意志に反した」「連行」も「強制」であると言います。しかし以前は「軍人による直接的な連行」を「強制連行」と言っていたのに、それまでの認識との違いについての説明は依然としてありませんでした。公式的な説明をしないため、主要な論点を説明なしで変えているといった揶揄を受けました。
また、「本人の意志に反した連行」の主体を明示していませんでした。たとえ軍人だったとしても、そうしたケースはむしろ少数で、それを行った場合も、軍が送り返したり、別の所に就職させた場合もあるという事実、すなわち「本人の意志に反して」行くことになったことは国家や軍の公式政策や方針ではなかったということ、すなわちどちらが例外的なことであったかも説明してこそ公正というものでしょう。業者が人身売買した場合、軍がどこまで関与できたのかということも、批判であれ擁護であれ、はっきりその構造に言及してこそ、誤解を避けることができたでしょう。そうしなかったために、人身売買の主体が日本であるかのように誤解することになり、結局いつまでも不正確な批判と、日本政府の態度の硬化が続くのです。
また、声明は慰安婦を「性奴隷」と規定しました。もちろん慰安婦に「性奴隷」的な側面があることは否定できません。売春的な側面があったとしても、不公正な差別構造があったということも事実です。
ですが「性奴隷的」な構造を指摘することと、「性奴隷」ということは同じでありません。聞く人により思い浮かべることが違うので、結局一般の人たちの理解は依然として狭まりません。性奴隷だというのなら、彼女たちの直接の「主人」が業者であり、強制労働をさせたのも、利潤を得たのも業者だったということを語ってこそ、全体像が明らかになるでしょう。
下請業者より、仕事を出した者を批判するのは問題ありません。しかし「日本」という名前だけで批判すると、後で述べるさまざまな矛盾が出てきます。そのような矛盾を無視したために、これまで支援団体や支援者が反発を買ったのです。
声明は慰安婦問題が「当時の国内法および国際法に反した重大な人権侵害であった」と言っていますが、これは「強制連行」に関してではありません。たんに人身売買と移送に関してだけです。しかし、それをはっきりと言いませんでした。
「人身売買」であることを公式に語るとき 、支援団体と研究者がこれまで主張してきたのは、
1. 「人身売買であると知りながら受け入れたのは不法」
2. 「日本では、売春業に従事する女性でも21歳以下は渡航させなかったが、朝鮮では21歳以下も可能とし、幼い少女を慰安婦として動員可能にした」
3. 「日本では就職詐欺や人身売買を起こせないようにする法的規制が存在したが、植民地ではそうではなく、詐欺や人身売買が簡単にできるようにした」
ということでした。けれども、前に見たように、この主張に問題がないわけではありません。また「朝鮮半島の日本人女性」に対する認識がなかったせいで、日本-内地と朝鮮における募集方法に違いがあったことと前提にした結論といえます。
重要なのは、日本でも韓国でも、支援団体や歴史学者は、朝鮮人慰安婦に関してはもはや「強制連行」ではなく「人身売買」を基に、さまざまな主張を繰り広げているという点です。
一方、支援団体はそうした事実を長い間、公式に語ってこなかったので、国民の多くは相変らず軍人が強制連行をしたとか、騙しや人身売買は少ししかなかったというような認識の偏り、混乱を生んでしまいました。しかも外国では、意味の異なる「強制連行」説を主張し、それによって韓国と日本の国民の間の葛藤が大きくなりました。そして、たとえ慰安婦問題が解決されても、韓日間の澱はたやすくなくならない状況にまで至りました。今からでも、こうなった原因を韓日が共に考えなければならず、この状況を前提として問題を解決しなければなりません。日本の支援団体の用語の使い方の変化にも注目すべきであり、なぜ日本で反応を得られなかったかについても総合的に考え、異なる枠組みで取り組まないことには、慰安婦問題の解決への道のりは遠いです。
3. 歴史への向き合い方
1) 知的怠慢
しかし、そのような問題意識を込めた私の著書は告発にあい、結局一部を削除する事態になりました。そして『帝国の慰安婦』とほかの私の著書は「親日」という疑いをかけられたまま、この1年を過ごしました。
しかし「親日」というレッテルは、目新しい考えについて思考を停止する知的怠慢を示します。複雑で繊細な問題を、単純に、荒っぽく解いて、結果的に暴力を生む考え方につながります。何よりも、そうしたレッテル貼りを恐れて沈黙したり、レッテルを貼る側に寝返ってしまうのは、全体主義に加担することです。それに抵抗しない限り、皆が大勢に逆らうことを言えない自閉的空間が広がり、思考の自由を持つべき若い学生たちまで、自己検閲に汲々としている状況も今では珍しくない風景です。
このような知的怠慢は、支援団体中心の、日本に対する根拠ない非難を許すことになり、結果的に、韓国社会に、日本に対する否定的な認識を形作ることを助けました。特に、挺対協をはじめとする被害者関連団体、あるいは領土問題関連団体は、慰安婦問題に言及するたびに、日本を軍国主義国家として非難し、その結果、2015年において韓国人の70パーセント以上が日本を軍国主義国家と考えています。戦争が終わって70年が過ぎるようとしているのに、謝罪と反省もしないだけでなく、相変らず他国の領土を虎視耽々と狙う国家、というイメージを植えつけたのです。おそらく、このような認識が払拭されない限り、韓日間の和解は難しいでしょう。
さらに深刻な問題は、このような過程の結果であり、2015年現在のマスコミ、外交、支援運動が、極めて自閉的な状況に陥ってしまっているという点です。現在の日本では、慰安婦のための「アジア女性基金」の募金に応じる人々の存在をもはや想像しにくいほど、日本の国民感情が悪化してしまったという点です。それでもわが国のマスコミ、外交、支援運動は、そうした状況を直視することなく、日本の嫌韓派が増えてもしかたがないような考え方と主張を繰り返してばかりいます。慰安婦問題を考えることは、遅ばせながら、このような現状を把握し、日本を総体的に知ることから再出発しなければなりません。
2) 暴力の思考
重要なのは、そのような知的怠慢がどこから始まったかを見ることです。実際、現在の韓国の日本観は、純粋な日本観というより、慰安婦問題がそうであるように、日本の進歩的(いわゆる良心的)市民、知識人、活動家の戦後・現代日本観といえます。特に、戦後の日本の反省と協力を、まったく認めようとしない不信の態度が、彼らの.自国に対する反省の態度から始まったのだということに注意する必要があります。彼らの自国批判は、政権獲得-すなわち政治とつながっており、正しいかどうかは別として、日本を代表しているとは言い難いです。それでも「国家」を相手にしなければならない韓日間の問題で、90年代以降、進歩または保守の片一方の自国観に基づいて日本を理解してきたのは、その認識が正しいかどうかを別として、韓国の対日認識がいびつになった要因と いえます。
80年代後半まで、韓国は 反共国家であり、その間、徹底して弾圧された進歩左派が、韓日市民交流の主役になったことが、このような対日認識の背景にあります。彼らの中でも、特に現代日本の政治に批判的だった者たちが、日本の与野党が合作した謝罪・補償方式である「アジア女性基金」に不信感を持って排斥し、韓国の支援団体がこれに同調したため、結局90年代の日本の謝罪と補償は、完遂されませんでした。そして15年後の今、われわれは日本のマスコミが慰安婦問題を報道さえしない局面を迎えています。
したがって、いまや徹底した「正義」を振りかざして日本糾弾の先頭に立ってきた、在日コリアンを含む一部日本の進歩勢力の考え方にどんな問題があったかを、一度見てみる必要があります。
在日コリアンの一部と、一部の進歩勢力の、日本を見る視線は非常に否定的です。彼らは、戦後日本が、実際は引き続き植民地主義を受け継いでいた空間だったと語ります。そのように否定する根拠は、天皇制維持、在日コリアン差別、日本人を拉致した北朝鮮叩きなどです。確かに彼らが言うとおり、戦後日本は、戦争を起こし植民地を作った天皇制を清算しませんでした。そして現代日本において、在日コリアンへの差別は、清算されたどころか在日コリアンを含めた嫌韓スピーチが問題視されています。これだけを見れば、彼らの戦後観が正しいと言わなければなりません。
しかしこの論理ならば、天皇制が廃止されない限り、韓日間の和解は不可能だということになります。国民の間の和解-感情的な信頼回復の問題を、天皇というシステムの問題に置き換えているのです。
何より、国民の間の和解が天皇の存在いかんによって決まるという考え方は、ロミオとジュリエットを連想させる、極めて家父長的な考え方にほかなりません。たとえ現天皇が過去を反省しなかったとしても、それによって国民が不信を持たなければならないという論理が成り立つならば、少数の政治家の考えに、すべての国民が振り回されることなります。そして実際、これまでの韓日間の葛藤は、まさにこのような考え方を土台にしていたのでした。そのために、一人、二人が植民地支配に対する謝罪に否定的なことを言えば、みんなの視線が集中し、国全体が対立する消耗的情況が繰り返されてきました。何よりも天皇制維持は、実は日本の戦争禁止を定めた憲法9条の交換条件だったのです。(小関)
しかし戦後日本に対する不信を込めて一部の在日コリアン知識人は、日本社会に最も批判的な日本の進歩的知識人さえ批判して、日本を全否定します。一部の在日コリアンの認識が、ハンギョレ新聞の読者たちに共有されて伝わり、日本に対する不信を植えつけて、戦後日本の知られていなかった側面を伝えようとした『和解のために』に対する批判的見解が広がったことは、そうした日本不信の拡散と軌を一つにします。結果的に、ここ数年の韓国の日本観は、在日コリアンによって作られた面が大きいです。そして、この現象は今も進行中です。
(1) 支配-家父長的思考
詳しい話は省略しますが、『和解のために』が批判されるようになったのは、私が在日コリアンの家父長制批判をして以降のことです。そしてその後、韓国で『帝国の慰安婦』批判を本格的に行ったのが、慰安婦問題研究者を除けば、大部分が男性学者だった理由も、まさにここにあります。韓日政治の主役は、体制の中心にあり続けてきた彼ら-男性たちが演じるべきだからです。彼らにとって『帝国の慰安婦』や『和解のために』は、父や兄の許可を得ずに日本と恋愛を始めた妹あるいは娘のような存在です。彼らの怒りは、自分たちの指揮権を抜け出た女性に対する怒りです。
慰安婦の恋愛に対して不満を見せるのももちろんそのためです。『和解のために』を「和解という名の暴力」と規定して、あたかも国家野合主義や危険なスパイの企みであるかのように見ようとする視線は、他でもなく家父長的な視線です。それらの本が「民族」のものとして守られるべき少女のイメージを、あるいはオモニ(お母さん)のイメージを破ったためです。「告発には反対する」と言いつつ沈黙によって告発に同調した学者もまた同類です。「売春」、「同志」という言葉を、彼らが特に不都合に思った理由も、そこにあります。反体制を標榜する進歩勢力が、「国家の力」を借りて処罰する矛盾が起きた理由も、そうした心理機制の結果です。ある地方の市長が、私の本に「親日派」というシールを貼って、数千人の群衆に向かって魚の餌のようにばらまくということが起きたのもの、同じ構図の中でのことです。
少女に対する執着は、家父長制的な韓国社会の純潔性に対する欲望を語ってくれます。また、売春に対する差別意識も見せてくれます。
重要なのは、少女像を通じて守られるのは、慰安婦でなく「韓国人」の純潔性だという点です。言い換えれば、「韓国人」の誇りのためなのです。支配された自分自身-蹂躪された自分自身を消し去りたいという欲望の発露です。すなわち、一度も強姦に遭わなかった自分自身に対する想像が、少女像を欲望させるのです。
家父長制的の意識は、自分自身の純潔性と純血性を想定し、「韓国」という固有名を、揺るがぬアイデンティティとして叫びます。それは「日本」に対抗するアイデンティティが必要なためです。しかし、そうした考え方が主導的な状況下では、国際結婚した人たちは声をあげることができません。混血の人は声をあげることができません。そして近代国家はそのような純血主義に基づいて 家父長制を支え、少数者を疎外してきました。「日本人」、「韓国人」の純粋性からはみ出たアイデンティティを、雑種として取り扱い、辺境に追い出しました。そのようにして、中央中心主義を支え、ナショナル・アイデンティティを再生産してくることができたのです。
問題は、そうした意識は、天皇制を信奉する日本の右派と同じ意識だという点です。批判者がしばしば「嫌なら出て行け」と叫ぶ意識は、そうした意識の表れです。彼らにとっては、一つの共同体は均質な共同体でなければなりません。しかし、そのような考え方は、日本で在日コリアンを疎外する考え方と同じであり、「嫌韓スピーチ」と異なるところのない暴力的思考です。そして、その思考はすべて家父長制的支配意識に由来します。
(2) 恐怖-免罪/疑い
異なる姿を見よ うとする試みが、ただ日本の責任を薄める「水増し」として糾弾される理由も、そこにあります。慰安婦問題が「性」の問題であるかぎり、第一責任は「男性」にあります。しかし「日本」という固有名にのみ責任を押しつけるやり方は、階級とジェンダーの責任を見えなくさせます。家父長制的思考を持った人が、民衆と国家の力を借りて弾圧に立ち上がったのは、そのような構造を示します。そして、そのような行為は、民間人と国家によって自分の人生を奪われ、日本人男性の庇護があったからこそ、生き長らえることができた慰安婦に対する、男性/国家の拒否感と軌を一つにしています。
業者や男性の責任を否定して、「構造的な悪と同次元で比較できるものではない」(徐キョンシク、104ページ)と見なす 発言は、日本-巨悪、朝鮮-小悪と見なすことで「小悪」を免罪します。ほかの責任を問うことが「日本を 免罪」するという考えは、そのようにしてほかの責任-小悪の責任を隠蔽します。そうして責任の主体を固定し、「被害者」という名の「無責任体系」を作ります。
『帝国の慰安婦』を批判した男性の学者が一様に「危険」という表現を使ったことは、そのような意識の表れです。そのために、この本が純粋なものではなく、何らかの意図があって、そのための緻密な戦略に基づいて書かれたものだ、というような主張をすることになります。『帝国の慰安婦』や『和解のために』の記述が、「レトリック」、「戦略」が込められた表現だと、繰り返し強調する理由も、共同体の規範を破った者に見えるようにする、排除の戦略です。
(3) 抵抗という名前の暴力
問題はこのような思考が暴力を支える構造につながるという点です。ある在日コリアンは日本の「反省」を促すあまり、9/11に対して肯定的に見える態度まで取ります(徐キョンシク『言語の監獄から』)。つまり、自分が不当だと考える対象に対しては、抵抗という名目で暴力を容認するのです。
しかし、抵抗という名で暴力が容認される限り、世の中から暴力は消えません。日本の戦後に対する、「継続する植民地主義」という名の不信は、結局「抵抗」という名の「継続する暴力主義」を生産します。『帝国の慰安婦』に対する抵抗のように見える批判と告発が、国家を動員した暴力にとどまらず、群衆の敵愾心という暴力を呼び起こそうとしたことも、その延長線上でのことです。
その意味では、「抵抗」という機制を容認させた「サバルタン」(従属的社会集団)の意味も再考されねばなりません。被害者意識は、下層階級が固定されていないのに、固定されているように認識させ、「抵抗」という名の暴力を許容します。日本に対する無差別的・暴力的な発言が許されるのも、そのような 構造の中のことです。いまや被害者も強者になりうるという点、サバルタンの位置づけの転倒が可能だという点も認識すべきです。
一つの固有名に基づいて民族/国家対立を強調することで、女性たちに対する搾取を覆い隠し、「民族」の娘になることを要求する家父長的論理-支配と抵抗と恐怖の論理は暴力を防げません。混血と辺境の思考を抑圧し、皆が同じ「日本人」、あるいは「韓国人」になって対立することを要求するためです。そのような枠組みから抜け出す試みに対しては、魔女狩り的な排除を促すためです。
歴史にまともに向き合うためには、過去を総体的に記憶しなければなりません。
「例外/断片/破片」などの言葉として存在した記憶を、少数化し、抑圧してはなりません。差別と抑圧が中心である空間における「ほかの」記憶は、大勢に抵抗したという意味で、むしろ記憶すべき、受け継ぐべき「精神」です。
同時に、中心的な多数の体験も記憶されなければなりません。「アジア女性基金の忘却」は、記憶の消去です。韓国人に謝罪した人々を、彼らが「国家」を代弁していなかったということだけで、彼らの心を歴史から排除した暴力です。その結果として、日本人の多数の誠意は、韓国人の記憶から無視され、消去されました。それらは「まだ戦争を記憶していた人々が多かった時代の中心的記憶」でもありました。彼らこそ「戦後日本」を代表する者たちであり、それがまさに彼らが記憶されなければならない 理由です。最近の十数年の嫌韓は、さらに若い層が中心です。戦争の記憶がない彼らの記憶より、戦争と支配を記憶している者たちの記憶が、私たちにとっていっそう大切であるのはあらためて言うまでもありません。
選択的な記憶を強要したり、隠蔽したりする「記憶の政治学」を越えて、ありのままの過去と向き合う必要があります。加害であれ協力であれ、封印された記憶を見ることを恐れる必要がありません。なぜなら、そのような試みこそ、かえって過去に対する責任が誰にあるかを、より明確にするものだからです。私たちのアイデンティティは一つではなく、容赦と批判の対象を同時に、より具体化できるであろうからです。恐れと拒否は、私たちをいつまでもトラウマを抱いた虚弱な自我で生きながらえさせるのです。
今日は、韓国の問題についてのみ、お話ししました。韓日協定50年、解放70年を迎える今年、手遅れになる前に、韓日/左右が一緒になった、新しいスタートが必要です。
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