約1年ぶりのアメリカです。
飛行機は値段の安さ優先で、前回同様デルタ航空。去年乗った飛行機は旧式で、個人別のモニター画面がなく、正面のスクリーンに延々と英語版のみの映画が上映されていた。今回はちゃんと前の席の背面にモニターがついていたので、映画鑑賞ができました。
日本映画か日本語吹き替えのある映画を選んで3本見ました。そのうちの一本が、「ALWAYS 三丁目の夕日'64」。
これはシリーズ3作目。第一作は見ていませんが、第二作は少し前にテレビで見た。1960年代初めの東京を舞台にしていて、CGを駆使してその当時の街並み、風俗を再現していることが評判になりました。
私は61年生まれの東京育ちなので、看板やら、車やら、幼児の記憶がよみがえってきて、なつかしく見ることができました。
1964年と言えば、東京タワーはすでに完成していて、東京オリンピックが開かれた年。さきごろ、スカイツリーが開業し、東京タワーは東京のシンボルの座を譲りました。展望台に登ったことは数えるほどしかありませんが、下にあるボーリング場には、高校生のとき、授業をさぼってよく通ったものです(実力は上がりませんでした)。
東京オリンピックは、まだ3歳でしたから、競技の記憶はまったくありませんが、ブルーインパルスが東京の上空に五輪を描いた場面は、おぼろげに覚えています。映画にもちょうどその場面があって、登場人物が万歳をしていました。
「東洋の魔女」は、東京オリンピックで金メダルをとった日本のバレーボールチームの女子選手たちの異名で、映画の中でも決勝のソ連(古い!)との決勝戦のもようにやっていましたが、私は同名の子ども向けの本を読んだことで記憶に残っています。
このころはちょうど白黒テレビとカラーテレビの端境期だったんですね。
白黒は物心ついたころにすでに家にありましたが、天然色(カラーの古語)が我が家に入ったのは、私が小学校4年生のとき。そのまえに逸早くカラーを購入した友達の家で初めてカラー番組を見たときの驚きと羨ましさの記憶は今も鮮明です。
クーラーが普及したのはもう少しあと。私が住んでいた街で最初にクーラーがついたのは、駅前の銀行。真夏には、近所の住民が用もないのに銀行にいって涼みに行くので混雑していました。
とまあ、50年近く前のことを感傷的に思い出すひとときを過ごしました。
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