放送大学で取得した5単位を加えると取得した単位数が892単位となりました。
2018年第1学期は「自然と環境コース」の単位を7単位履修して、卒業に必要な単位を一気に仕上げてしまう予定。その他の単位を含め、うまくいけば、900単位の大台に乗せれるかも。
単位数にはこだわらないつもりですが・・・やはり凡夫。900っていうだけで、なんだか、うれしくなってしまいます。
放送大学で取得した5単位を加えると取得した単位数が892単位となりました。
2018年第1学期は「自然と環境コース」の単位を7単位履修して、卒業に必要な単位を一気に仕上げてしまう予定。その他の単位を含め、うまくいけば、900単位の大台に乗せれるかも。
単位数にはこだわらないつもりですが・・・やはり凡夫。900っていうだけで、なんだか、うれしくなってしまいます。
日本福祉大学で取得した18単位を加えると取得した単位数が885単位となりました。
日本福祉大学を卒業した後の進路が決まっていないので、これ以上単位が増えるかどうか微妙なのですが・・・あっ、でも、日本福祉大学の演習科目2単位分を追加で履修していますので、出来上がり、887単位になる予定です。
卒業後、機構の学位を目指すなら、放送大学の全科履修生として入学することはできません。選科履修生をやるか、本当に、大学から一切手を引くか・・・それとも、大学院生となるか(笑)。とはいえ、放送大学大学院の募集は終わってしまったし、それ以前に学費がないし。宝くじで一発勝負をかけてみようか?
せっかく名古屋にいるのだから、愛知や関西の大学院も視野に入っているのですが、如何せん、大学生と、来年大学生になる子どもを抱えていると、学費で破産してしまいそうです。長男・次男ともに、国公立を目指してくれるのはありがたいのですが、国立に行った長男の例からもわかるように、入学時に100万円超の一時金が必要となり、半年ごとに30万弱の学費がかかります。
本当、私の場合、この半年の学費で放送大学の2年の修士課程が学べるのだから、今の、通学制の学費は本当高いと言わざるを得ません。次男はこれから受験ですが、目指している国公立の大学に合格しなかった場合、私立に行ったとすると、理系なので更に高い学費となります。指定校で絶対大丈夫と言われている私立の大学の場合、一旦、北海道のキャンパスに行かざるを得ず、更に下宿のコスト等も必要となります。
「名古屋」「東京」「北海道」と、家族がバラバラになるので、さすがに、その大学はご遠慮させていただきましたが、指定校という制度自体、教育学修士として非常に興味のあるものなので、行きたい大学があるなら、私立大学でも構わないから検討してみるように次男には薦めておきました。提出期限は昨日で家内が書類にサインしたとのこと。
一般入試だけでなく、AO入試、指定校推薦、公募推薦あるいは内部進学等々、入試は多種多様になっています。その制度によっては、入学が比較的簡単だったり、難しかったりするわけです。先にご紹介した北海道の大学も、一般入試で受験した場合、次男の実力では歯が立たないのでは・・・と思っています。
現役受験生の一喜一憂をよそに、私はただ生涯学習を重ね、単位を増やしていくだけなのですが・・・「一般学生」と「社会人学生」。この差はいったい何なのでしょうね。同じ「大学生」として学習しているだけなのにね。
放送大学で取得した7単位を加算すると、累計取得単位数が867単位となりました。
もう、達成率がどうこうというより、学んできた道を振り返ると、これだけの単位が積み上がっていたという感じですね。
とはいえ、まだ世俗に未練があるので、集計した単位数を掲載してしまいます。なかなか、真の悟りには届かないものですね。煩悩を捨て、ただ、ひたすら、生涯学習に向き合うことができればよいのですが・・・
そういえば、武蔵野大学大学院の特定課題研究演習の4単位を修得したことをすっかり忘れていました。
これで、大学院・大学・短期大学で修得した単位の合計が860単位となりました。その昔、目標としていた1000単位に対して86%の達成率です。
これからは、あまり単位のことは気にせず、日本福祉大学の受講科目以外は、のんびり生涯学習に取り組んでいきたいと思っております。
産能大学の学部2年間と、大学院での10年間、都合12年間、あまりに焦って学習し過ぎてしまい、大切なものを見逃していたように思います。ようやく、悟りの門の入り口に立てたのかもしれません。
資格のときも、200を越えて、ようやく悟ることができましたが、単位も800ぐらいを超えて、初めて確信を持って、数に執着することの虚しさを知るに至りました。数を取らないうちに、この言葉を吐いたなら、できないことに対する負け犬の遠吠えと言われかねません。しかし、この境地に立って、ようやく声に出しても、他者への後誘導にならないと確信を持つことができるようになりました。
我執を捨て、我欲を捨て、執着を捨てる道。そこまで至ることができれば、日常生活すべてが生涯学習の実践になるのではないかと思い始めています。