前期の放送大学取得単位10単位と、今期の放送大学学部5単位、及び、大学院8単位を合計すると、累計取得単位数が746単位となりました。
はるか昔に目標として設定した1,000単位に対し、74.6%の達成率となります。
途中で、達成率をカウントするむなしさ、はかなさ、愚かしさを認識し、前期の放送大学の単位は計上することすらしていなかったようなのですが、まあ、途中経過を報告するくらいはいいだろうと思い直したわけでございます。
自分の性格なのか、それとも、それが悟りの境地なのかわからないのですが、資格にしろ、学位にしろ、単位にしろ、最初は数や達成率を病的に追ってしまっていたのですが、途中で、そんなことどうでもいいと思えるようになってしまうのです。というか、むしろ、その表面的に見える「数」の呪縛から、解き放たれる感じでしょうか。
そういえば、昔、「年間100万円分の本を読む」という「行」をおこなっていたときがありました。都度都度、本をエクセルシートに記録して、金額の累計を算出する。5年間ぐらい続けていましたが、途中でアホらしくなってやめてしまいました。そんな記録をとらなくても、年間100万円以上の本を読んでいるし、記録をとったからといって、それが何の役に立つわけでもない。
ただ、同じ本を読んでしまった際、最初の数文字入れただけで、本の名前が自動的に出てくるので、そういう意味では、「同じ本を読んじまったよ!」って確認にはなるのですが・・・
そう、同じ本って読んでしまうんです。うすうす、途中で、「読んだような気がするな・・・」と思うのですが、同じネタで、複数本を書く作家さんもいるので、絶対同じ本とは限らない。加えて、「本を開いたら、かならずすべてのページをめくり、完全読破をするべし」という戒律もあるので、途中でやめることができない。それは、手に取った、運命の本に対する冒涜につながり、読書の神様の手痛いしっぺ返しにつながる悪行と、私は定めています。
借りた以上、買った以上、その本は完読しないと、本の巡り会わせが悪くなることを、私は経験上悟りました。そして、本を愛し、読み続けることで、思わぬ名著、良書に巡り会う確率が高くなることも経験的に悟りました。
時々、文庫などで、どうしても「過去に読んだはずだ」という気持ちが沸き起こることがあります。そういう場合は、最後まで読み進むと「この本は○○とうい本を文庫版にしたものです」と最終ページに書かれていることもあったりします。そんなときは、「名前を変えただけかよ!!」って思うこともあるのですが、まあ、再び、その本にめぐり合えたことを感謝することとしています。
とはいえ、資格、学位、単位は、読書等とは違い、自分の学びを客観的に証明する機能があります。故に、積み上げることは、無駄ではないですし、将来、思わぬところで、自分自身を助けてくれるかもしれません。なんせ、資格、学位、単位は一朝一夕で取得できないという性格も持ち合わせているのです。特に、必置資格(事務所を開設する場合、絶対必要とされる法的資格)の場合は、その資格次第で転勤したり、逆に転勤が阻まれたりすることもあります。他者が資格を持っていなければ、どうしようもないからです。あるいは業務独占資格の場合は、資格≒仕事といった間柄となります。
悪癖で無い限り、何かにつけ、続けることは良いことです。無論、ムリして続けるのは毒ですが、適度に継続するために、目標をもち、それを時々、公表することも、学ぶ上では効果的と思います。ですので、時々、この取得単位の記事を書き続けることといたします。