生涯学習の部屋

資格取得数241。6つの修士と18の学士と2つの短期大学士。MBAサラリーマンの生きがい発見生涯学習奮闘記。

成績表は着ていないものの・・

2009年03月07日 10時16分46秒 | 今年の達成率
今回の放送大学での13単位取得により、累計526単位となり、1000単位の目標に対して、達成率は52.6%となった。

13単位とっても1.3%しか増えない。とはいえ、1%以上増えると言うのは、まあ、それなりに動きがあったって感じでいいか!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

システムWAKABA 恐るべし!

2009年03月07日 09時52分25秒 | 放送大学
大学時代の同期のtoukokoさんのブログで、放送大学の成績はシスムWAKABAでで照会できることを教えていただいた!

早速、確認してみると・・・

人体の構造と機能(’05) 2 B
初歩からの生物学(’08) 2 C
初歩の中国語 1 合
20世紀の中国文学(’05) 2 Ⓐ
宇宙からの情報(’05) 2 Ⓐ
分子生物学(’05) 2 Ⓐ
数学とコンピュータ(’06) 2 A

と、13単位確定していた。でも、案の定、「中国社会の歴史的展開」を落としていた!放送大学で単位を落とすのは112単位修得してきた歴史において、2回目の「珍事」である。

まあ、ダメなものはダメ。一から勉強し直します。

でも、「20世紀の中国文学」「宇宙からの情報」「分子生物学」のⒶが圧巻!「数学とコンピュータ」のAも凄い!今まで未到達の分野だった「自然の理解」で6単位も取得できた。

いや~システムWAKABA、凄いぜ!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

燃えつき症候群。

2009年03月07日 09時03分00秒 | 心理学
諸事情によりメンタルヘルス関連の書籍を読み直している。

その中で「社員を大事にする会社のメンタルヘルス」という1冊を読んだのだが、その62ページに「燃えつき症候群」の事象が書いてあった。

この事例として、仕事と大学院を両立していたEさんのケースが書かれていた。完璧主義のEさんは睡眠時間を削ったりして介護職員と学生の二束のわらじを履いていたのだが、修士論文を完成させた段階で、無気力、疲労感、いらいら、といった精神的不安定に陥ってしまった。

典型的なバーンアウトとして紹介されていたのだが、対応としては、休養をとって、心身の回復をはかることだとされている。

このブログにも多くの院生の方が来られるので参考にして欲しい。


ただ、私なりの「燃えつき症候群」防止策を紹介させていただくと・・・燃えつきる前に、次の一手を考えることである。燃えつきたと思わせる暇を与えないことである。

そのためには、あまりダッシュをかけるような勉強をしないこと。最終成果物ということで、気合を入れて取り組むことは大切だが、それって締め切り間際の漫画家みたいなもので、そういうことばかりしていると、アイデアも浮かばないし、面白い成果物が創作できない。

生涯学習は死ぬまで続く、永遠の課題であり、短距離走ではない。日頃からムリしないのと同時に、10年後くらいまでは、やりたいこと、調べたいこと、取り組みたいことを書いておく。

そうすれば、自分を見失うことは、そうそうないであろう。

人間はそうそう潰れない。しかし、潰れてしまうとリカバリィがかなりやっかいな動物なのだ。


この年齢になると、私もズルくなってしまい、限界の7割以上の体力を使うことは滅多にないようになってしまう。

ムリすると潰れやすいから。昔はやった「北斗の拳」で言えば、若いときは「ラオウ」の「剛の拳」で案件を薙ぎ払っていたが、40歳を越えるとトキの「柔の拳」で案件をかわす(丸め込む?)ことが多くなる。

闘うことって、本当にエネルギーがかかりますから。アウトプットが対してかわらないのであれば、机を叩いて、唾を飛ばして、激論することを避けるようになる。

でも、そうしないと、案件が結実するごとに「燃えつき症候群」になってしまいますから・・・

ズルいと思っているのは自分だけ。なんせ、結果は同じなのですから。プライドを前面にだすか、ださないかの違い。周りはそれほど気にしてはいないのだから。

自己満足を捨て切り、「木鶏」になりえたときには、燃えつき症候群になることは、まず、あるまい。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今日の富士山!

2009年03月07日 09時00分47秒 | 富士の高嶺
雨があがって、なお白く、美しく・・・
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

仕事論。

2009年03月07日 06時43分41秒 | その他
仕事において、私はいい経験をさせてもらってきた。

そう、それは、「極限まで仕事をした」ということである。中途半端に忙しい仕事とは違う、「自分の限界」という意味だ。

これを経験するのと、しないのとでは大きな違いがでる。

それは、自分のキャパシティ(キャパ)を把握できるか、できないかという違いである。自分のキャパが把握できていると、納期が定まった仕事等で「できる」「できない」の判断が可能となる。

この判断ができない状態で、自分のキャパを超える仕事を引き受けてしまうことが、メンタル面を大きく傷つけてしまう。「ムリ」「焦り」「責任」等々が、それでなくても疲労困憊した自分自身に降りかかってくる。

納期があって、どうしてもやらねばならぬ仕事もあるが、それでも「自分のキャパからして徹夜してもムリです」と最初に宣言しておくことと、「なんとかできそうです」というのでは大きな差がある。

前者の場合、「なら、完全じゃなくてもいいから、たたき台を作ってくれ」という話になることもあれば、「仕方ないから××君もメンバーに加えるよ」とうい話にもなる。

無論、それは、「自分保証」といった、過去の実績で嘘をつかない、あるいは、あいつは、朝の3時にメールで中間報告をしてきた等々の「遊んでいない保証」があってからこそ、信じてもらえるものである。


本部にいたとき先輩方からは厳しく鍛えていただいた。

・「徹夜を経験しないやつはダメだ!」
・「できないって、お前、寝る時間はあったんだろう!」
・「××は家に帰ってないんだよ!」
・「寝袋持って来い!」

今は本部も変わったと信じているが、当時は、たたき上げの方々が、精神論的な話で「ギリギリと」絞めてくださった・・・

このときに、限界を知ること、仕事の納期を守ること、人間は簡単には潰れないこと、しかし限界ってものは存在することを認知することができた。

ひょっとしたら、自分の限界は、まだ、もう少し向こうかもしれないが、瞬間的ならともかく、継続すると「自分が崩壊する限界点」は、「ここなんだ!」と知っていれば、自ずと1日にできる仕事の限界が即答できるようになる。

今の若者の残念なところは、「己の実力を知らない」「己の限界点をしらない」「できませんと言えない」「中間報告をしない」「責任という意識がない」等々、あるのだが、それは、上に立つものが教えていない結果とも言える。


プロジェクトチーム等で、ギリギリの仕事をすると「一皮むける」ことがよくあるが、それは、限界点を超えるといった「向こう側」を見たという経験が、その人を一回り大きくしているのだと思う。

「本当にできないこと」を「できません」というのは何の恥でもない。むしろ、「できません」と言わず、途中で放棄することプロジェクト推進の弊害となるのだ。

しかし、「本当にできない」と証明することは至難の業。限界認証システムってものがない以上、自分自身がそのシステムに代わりうるだけの「信頼」と「実績」を築き上げるしかないのかもしれない。

※注意
本来の私の立場としては、「仕事は年間360時間の残業時間の範囲内で」といわなければならないのですが、ついつい、昔のことを思いだしてしまいました。
無論、仕事だけではなく、論文を書くといったことも、限界を知っていると、「2万字ぐらいなら1日でなんとかなる」等々、判断の材料となります。
健康的な生活が一番なのですが、一度、「徹夜とはどういうものなのか」「徹夜すると翌日どのような影響があるか」「納期の大切さ」と言うのを知っておけというのが先輩のアドバイスだったと前向きに考えています。
当に、徒弟制度のような感じでしたが、当時はヘトヘトでダウン寸前、いや、ダウンして点滴を打っていました。でも、作り上げた成果物は今でも稼動しているものばかりなので、達成感はありますね。今だから、いい思い出と言えるのでしょう。
あくまで仕事論。自分の過去の仕事の振り返り。それが、いいのか悪いのかは、読者の皆さまにお任せいたします。
ただ、このときの経験が自分を成長させたのと同時に、反対に、産業カウンセラーへの道を開いていったことは否めません。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

反省し、落ち込み、あがく・・・

2009年03月07日 06時24分13秒 | ちょっと立ち止まって・・・
私が落ち込んでいる理由・・・

それは、身近なところから長期休業者を出してしまったこと。全く、そんなに苦しんでいるとは気がつかなかった・・・

その前の週に、その方は海外旅行に行っており、旅行土産ももらった。私も行ったことのある国だったので、観光した場所の話で盛り上がった。

にもかかわらず、私が休んだ火曜日の午後から休みに入った・・・

本当に、ノーマークだった。予兆すら把握できなかった・・・

こんなことになるのなら、産業カウンセラーなんて名乗るな!だから、お前は資格マニアって言われるんだよ!全く資格が活かせていない!というより、適正ないんじゃないの?

色々、頭の中に否定的な思いが走馬灯のようにグルグル回る。というより、何故、一言話してくれなかったんだろう。やはり、転勤してきてまだ3ヶ月ほどだったので、信頼関係が築けていなかったのだろうか。

身近な1人すら救えなかった私。カウンセラーを名乗る資格なし。

なんだか、自分まで、ダメになってしまいそう・・・
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

校歌に思う。

2009年03月07日 05時40分14秒 | 明星大学大学院
朝はやはり一杯のコーヒーから始まる。

一杯のコーヒーが自分の一日のモードを決定する。気合を入れるときは、濃いブラックのコーヒー。くつろぎたいときは、牛乳をたっぷり入れたマイルドなコーヒー。

今朝は、明星の校歌を聴きながら、半分牛乳を入れたコーヒーをのんびりと飲んでいる。

明星の校歌、聴けば聴くほど、「いい校歌」に聴こえてくる。


恥ずかしながら、本学HPの校歌が聴けなかったので、教務課に去年の5月5日にメールで「校歌が聴けません」と指摘させていただき、「ご迷惑をおかけいたしますが、今しばらくお時間を頂戴できれば幸いです。」と返事をもらって、10ヵ月後に復旧が確認できた。

その間、100回以上、復旧確認をし、「まだダメか・・・」と失望を重ねてきたことが、この校歌を更によいものに昇華したのかもしれぬ。

4月の入学式でこの曲が歌えなかったことに対するトラウマは語りつくせない。

そう、私にとって「校歌」は、まさに、「ウエイ」に近いものがあるのだ。「トヨタウエイ」「パナソニックウエイ」「ノードストロームウエイ」「HPウエイ」等々、企業のよりどころとなる「ウエイ」。「校歌」には、その学校の「思い」が詰まっており、それ自身が、ひとつの「ウエイ」と考える。

「校歌」を意識したのは高校のとき。高1年の1学期の「音楽」の試験。1学期の試験は「校歌を歌うこと」の1発勝負であった。評価は「85点」・・・100点ではない。しかし、それは、音楽学年1位の評価であった。

>飯盛の山を仰げと
>耳にすがし松のしらべよ
>われらこころおほらかに
>叡智の門ここにきわめ
>理想の高嶺さらにめざさん
>四條畷 四條畷
>われら仰ぐ自主の校風

ただ、これだけの歌を歌うために、飯盛山に何度も登り、「叡智の門」「理想の高嶺」を哲学し、「自主の校風」を体感する。その結果が「校歌」を「歌」ではなく、「思い」にまで昇華させたといえる。

それだけ「校歌」とはすばらしいものなのだ。そして、明星のすばらしさは、入学式の校歌斉唱の際に、先生方が校歌を歌っていたことである!ややもすると、校歌斉唱の際、先生方は聞き手にまわりがちであるが、少なくとも、「この難解な校歌が歌えるのか?」と、先生方の様子をチラ見したのだが、歌っておられた!

ということで、朝から、1時間以上校歌を聴き続けている。そして、私の夢は、この校歌を大学院修了の際に、大きな声で、堂々と、気持ちを込めて、歌うことである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

校歌復活!

2009年03月07日 00時44分58秒 | 明星大学大学院
作詞:草野新平、作曲:池内友次郎。

明星大学の校歌だ。我が母校の校歌。入学式の際、歌えなくて参った校歌でもある。

この校歌のメロディーは難解極まる。

放送大学の面接授業で「イスラム音楽」を聴いたのと同じくらい、メロディをとるのに苦労した。

まあ、一度、時間があったら聴いて欲しい。

私の独自の論理であるが、音階をとることのできる者は、最初のメロディでなんとなく、おぼろげに曲を作りあげている。それは、将棋において、棋士が先の先まで読みつくすのとよく似ている。

その流れに乗れば、大体、間違いはないのだが、この明星の校歌はそれができない。自分のつくりあげたメロディをことごとく裏切る。

でも、これを毎日、通勤の際に聴き続けて」、修了の際には歌えるようにしておきたい!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする