明日の夜、東京に帰ります。
で、その前に、借りていた本の貸出期限を確認するために、名古屋市立図書館のHPにログインしてみたところ、「新着図書一覧」のトップに『一流の人は、本のどこに線を引いているのか』という本が出ていました。
このタイトルに、私は非常に違和感を覚えます。まず、「一流の人」というキーワード。それって誰よ?日本国憲法第14条で、法の下に平等な我々日本国民。誰が「一流」で、誰が「二流」なのでしょうか?あるいは「三流」っていうのも、あれば、とどのつまりは、「百流」や「千流」となったりするのでしょうか。「川柳」じゃないんだから。「一流を 二流のお前が 語るのか」って川柳を即興で作ってしまいました。お粗末。
そもそも、「一流」の人は、本に線を引くのでしょうか?ちなみに、私は引きません。故に、著者からすれば、私は「二流以下」の部類の人間ということになるのでしょう。自分で購入した本なのだから、ボロボロになるまで線を引くのは結構なことです。しかし、私のように、本を愛する人間なら、概ね、本に線を引くような暴挙をしないはず。そんなことをしなくても、本を読めば著者の世界に触れることができ、自ずと、大切なところでピタリと止まることができるからです。
本に線を引いたことのある人ならわかるはず。そう、線を引いた部分以外は、見えづらくなり、挙句、見えなくなるのです。引き間違えたら最後、著者の心はイビツな形でしか伝わってきません。
で、ここで思うのが、自身「日本一の書評家」と仰せの著者ですから、私が思うような意味で、「一流」という言葉を使ったのではないのではないか?とう仮説です。「goo辞書」で「一流」を引いてみました。
1. その分野での第一等の地位。第一級。「一流の評論家」「一流ホテル」
2. 他とは違う独特の流儀。「彼一流の論法」
3. 芸道などの一つの流派。
4.(「一旒」とも書く)旗やのぼりの1本。ひとながれ。
「―の信号旗を掲ぐ」〈竜渓・浮城物語〉
5. 同族。血統を同じくするもの。
「この―のみ絶えずして十余代に及べり」〈神皇正統記・村上〉
なるほど、項番2の事例からすれば、著者が独特の流儀で本に勝手な線を引いていることだな~とわかります。それなら安心です。私は、単にこの著者と本に接する流儀が違うだけだったのですね!
あるいは項番3の事例から考えると、著者である土井さんの流派=土井流は本に線を引きまくるってことらしいので、私の流派とは一線を隔しているのは十分理解できます。
もしくは・・・考えにくいですけれども、本に何度も線を描き続けると、破けるので、項番4のように、切れ端を旗や幟に使うのでしょうか?
あぁ!項番5のように、著者の一族がこのような「線引き読み」をするのですね!納得がいきます。
とはいえ、本の内容には次のようなことが書かれています。
>「速く」読むな、「遅く」読め! 「結果」を見るな、「原因」を見よ! 読書とは、数千行の中から
>自分の未来を拓く「1行」を見つける行為。日本一の書評家が、その技術を明かす。
>巻末付録「私の引いた44本の線」も収録。
結局、巻末付録に「私の引いた44本の線」とあるからには、著者は自分を「一流」と認定しているのでしょうね。しかも、誰が決めたのか、日本一の書評家だそうです・・・どうすれば、日本一の書評家になれるのやら。読んだ本の冊数を自慢されているように見えるけれども、そもそも、年間、私と同じくらいしか読んでいないのだから、上には上がいると控えるのが筋だと思うのですが・・・
まあ、そもそも、「読書で本当に人生を変えたいのであれば、「面白いか、面白くないか」で本を選ぶのをやめるべきです。土井さんは読書を「投資」と「消費」に分類し、ビジネス書を前車に小説などを後者に位置付けています。」というような方と、私のような「本とは、先達が長い人生と言う命を削って作り上げた叡智を短時間で吸収できるもの」と、感謝しながら読む人間とは相いれません。
ですので、私は二流、いや三流で結構ですから、自分のスタイルで読書を積みあげていきたいと思っています。