生涯学習の部屋

資格取得数241。6つの修士と18の学士と2つの短期大学士。MBAサラリーマンの生きがい発見生涯学習奮闘記。

鍛錬。

2010年04月03日 05時26分20秒 | 生涯学習
コーヒーも空になった。

朝起きて、インスタントのコーヒーを飲むのが私の日課である。今朝は4時に起床したので、冷めたコーヒーの最後の一口をあおったところだ。

やらねばならぬことが多い中、ふと思ったことがある。「生涯学習って、こんなに辛いものなのか・・・」ということである。

拙ブログの読者なら、「フラ夫さん、痛いな~」と思われたことがあるかもしれぬ。実際、見るのも痛々しい状況に追い込まれることが多々あるから。

「そんなに苦しんでまでやるのは生涯学習ではない」といわれそうだ。なんだか、日本における「生涯学習」の響きとしては、和気藹々として、楽しい「生涯楽習」な~んてものだから。

私も、生涯学習を研究する前は「お年寄り(シルバー世代)が、余生を活き活きと楽しむもの」というイメージを持っていた。そのようなイメージを持つ人が多いとすれば(いや、私の偏見かもしれぬが・・・)、このブログは「看板に偽りあり」ということとなる。

「苦痛」というか「苦行」というか・・・「鍛錬」は容赦なく続く(とはいえ、適度に手を抜いているのだが・・・自分に甘~い性格!)。

また、お叱りをうけそうだが・・・あえて言うなら、ヌルイ状況で、己の「学び」というものを昇華できるかということである。生涯学習は幅広い。その中で、楽しい学習もあれば、厳しい学習もあるのではないかと思う。そして、そのいずれを選択するかということであろう。

消費型、一般教養型の生涯学習を選択すれば、確かに楽しい。なんせ、「消費型」では、お金を払って学習する。マーケティング上も、お客さまに選択していただくためには、オモシロ・オカシイものでなければ商売にならない。また、一般教養型も雑学のレベルが高くなり、ウンチクが増えて、それなりに己の好奇心や知的欲求を充足するだろう。

一方、鍛錬型の生涯学習は辛い。マラソンやその他のスポーツの練習と同じく、己を厳しく鍛えなければならない。また、訓練や自己練成等、苦しく単調かつ地道な作業も待っている。辛いことを強制的にやらされることで、今まで自分が取得していなかった新しいスキルを取得することができる。

資格試験や、大学・大学院等で学ばれてきた人のほとんどが「逃げ出したい」あるいは「投げ出したい」一瞬があったはずである。もし、「生涯学習」が「生涯楽習」なら、このような苦行・苦痛は否定されることとなり、資格試験や、大学・大学院等で学ぶことは生涯学習ではないこととなる。

しかし・・・資格試験に合格し、あるいは大学・大学院等の教育機関を卒業された人々は、誰が見ても明らかなくらい成長している。場合によっては、新しい職場で仕事にチャレンジすることもあれば、今までの職場でも新しいスキルを武器に業務に励まれる。公的資格や教育機関の卒業証明を得ることで、社会的にもその成果が認識され、自信に繋がることもあるだろう。

資格や学位を取得すれば新たな人生が約束されるものではないが、一方で、資格や学位が人生のターニングポイントとなった人は数えればキリがない。それだけの強いインパクトを持っている。

アメリカでも、多くのホワイトカラーが、パートタイムスチューデントとして大学・大学院で学習している。もちろん、仕事で評価されるためである。楽しむためというより、自分の将来のために学習し、単位を積上げている。

生涯学習について、そういう一面があってもいいと思う。苦しみ抜いたからこそ、新しいヒラメキが思いつくこともある。あるいは、その苦しみを耐えるだけの精神力・実行力が評価されることもある。

また、きっと多くの資格取得者・学位取得者が言うに違いない言葉。「あの苦しみを耐え抜いたからこそ、一皮むけた自分がある」あるいは「今の自分の成長は、過酷な試練を潜り抜けたからこそ」という苦難を乗り越え、克服したという充実感に基づく言葉。

肉体もそうだが、精神もある程度の負荷をかけないと、強く、たくましくならないのではないか・・・



さて・・・

今までの話は、これから私が2万字のレポートを書くための「勝手な思い込み」+「納得させるための言い訳」なので、聞き流してくださいね。

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