写楽湯遊

キャンピングカーで名所旧跡を訪ね、温泉に浸り、たまに山歩き、写真撮影、釣りなどを楽しんでいる夫婦です。

帰路に着く

2024年06月19日 | その他

義兄の一周忌の法事も終わり、今日は仙台を離れ帰路に着いた。

行くときは高速道路を走ったが、帰りは急ぐ必要もない。

何時もは国道4号線か山の中を走る事が多いが、今回は海に近い6号線を走る事にした。

震災後数年経った6号線を走ったが記憶が有るが、今回はそれ以来である。

折角だからと途中の波止場を除きながら走る事にした。

立ち寄った港で釣り人を発見!

何を釣っているか直ぐに分かった。

糸を垂らすと直ぐに釣り上げたからである。

それは小さな豆アジだった。

釣り始めたばかりなので数は少なかったが、大漁が望めそうだった!

唐揚げにして南蛮漬けにするにはこれ位が美味しい!

道中の道の駅などを覘きながら走行。

福島県に入り立ち寄ったのは浜の駅・松川浦

店の中を覗くと、浜の駅と名前が付いている通り水産物が一杯だった。

以前6号線を走った時は原発の除染廃棄物が詰まった黒くて大きな袋が随所に山済みされていたが、今回見たのは一ヶ所だけだった。

しかし、汚染された地域の道路は変わらず封鎖されていた。

放射線汚染の影響は計り知れないほど大きい!

二度と起こしてなならない!!

こんな事を思いながら、今日は一般道をのんびりと走った。


義兄の法事

2024年06月18日 | その他

妻の兄の一周忌の法事で東北道を北上、昨夜はSAでP泊した。

そこは大型トラックの駐車場になっていた。

隙間なく並んだトラックが、ライトで浮かび上がる風景は壮観だった!

朝になるとそのトラックも殆ど居なくなり、景色は一変していた。

今年度中に深夜割引料金体系が変わるそうだが、トラックの動きがどの様に変わるか興味がある。

今日の天気は曇り空で涼しくて助かった。

法事は何事も無く進んだが、直前にアクシデントがあり大慌てしたそうだ!

法事の日程を決めお坊さんの手配や参列者への連絡、会食の予約など全て終えていたが当日の2日前の夜、お坊さんがコロナ感染で高熱でダウンし、代わりのお坊さんも居ないと連絡が有り、大慌てで関係者に連絡を入れるなど大変だったそうだ。

関係者に一旦中止する旨の連絡などに追われていた時に、若いお坊さんで対応できるとの連絡が有り今日の一周忌となったそうだ。

そして今日、現れたのは一目で若いと分かる風防のお坊さんだった。

頭はツーブロック・カットのヘアスタイルで今風の若者だった。

でも、声は渋くて流暢な読経で、素直に受け入れる事が出来た。

お墓にお花・供物をあげてお参りしたが、墓石も昔の四角い形の物は殆ど無い!!

写真は撮らなかったが墓石に大型バイクを刻み込んだ物もあるなど、時代と共に変わってきている。

その後は会食で義兄の話など、皆で故人を偲びしばし時間を過ごした。

私達も後期高齢者となり終末をどの様に過ごし、没後をどうするかを考える機会にもなった。

 


東日本大震災から10年

2021年03月13日 | その他

東日本大震災から10年の節目を迎え、当時の事を昨日のように思い出しました。

この未曾有の災害については5年前にも投稿しましたが、風化しないよう再投稿します。

当時は次の様な状況でした。

私の妻の実家は陸前高田市でしたが、津波で壊滅的な被害を受け街全体が消えてしまった悲惨な映像がニュースで次々と放映されていました。

しばらく安否確認が取れなく、心配が募るばかりでて眠れない日が続いていました。

家は津波で全て流されたが、実家の皆さんや従妹たち全員の無事が確認でき、胸を撫で下したのは地震発生から5日後でした。

直ぐに飛んで行きたかったのですが道路が寸断され、燃料の軽油も入手困難で断念せざるを得ませんでした。

災害緊急電話が被災地に設置され一人2~3分通話が出来、必要な物資を聞いてそれらを買い求め、行く準備をしました。

友人からも心配して電話を頂くとともに、沢山の救援物資や義援金を頂きました。

軽油はガソリンスタンドに長時間並んでもポリタンクに20リットルしか買えない時、息子の友人が調達し、大量に届けてくれました。

車の燃料タンクを含めて220リットルと、往復分以上の軽油が確保出来ました。

震災後8日が経ち、一関から国道343号線で陸前高田に何とか行けるらしいとの情報があり、翌日支援物資を積んで出かけました。

高速道路は宇都宮までしか使えなく、その先は地震で凸凹の一般道をひたすら走り続け、地震発生から10日目の3月21日に避難場所になっていた小学校に到着。

実家の皆さんや従妹などに再会、無事を喜び合いました。

1週間ほど滞在していましたが、毎日のように雪がちらつく寒い日が続きました。

避難者全員が教室のコンクリート床に段ボールを敷き、毛布にくるまって寝ている状態で、妻の義姉さんは体調を崩し、持病が悪化していました。

その為、義姉さんと従妹を埼玉に連れて帰り療養することになりました。

車内で生活に必要なものが揃っているキャンピングカーが、この時ほどありがたく感じたことはありませんでした。

その後、元気になった義姉さんを送りがてら支援物資を届けに、この年は7回ほど行きました。

食料や衣類、またランドセル、学用品、長靴、自転車 等・・・!

娘の友人達からは大量の学用品とランドセル40個が届けられたり、知人から30kgのお米や布団などの寝具を頂いたり、本当に感謝をするばかりでした。

妻の実家が有った周りの状況を記録に残そうと写真に収めました。

その時の一部ですが以下に写真を載せます。

キャンピングカーの手前に妻の実家が有りましたが、跡形も有りません。

その右後ろの家はここにあったわけでは無く、何処からか流されてきた家です。

 

 

三陸海岸全体がこの様に瓦礫で埋まり、街々が消えてしまっていました。

この惨状は絶対に忘れて欲しくありません。

次の写真は2014年8月に撮影した嵩上げ途上の写真で、高さは14mほどになります。

これは2019年8月の一本松周りの状態です。

完成した防潮堤の前には高田松原を再生しようと松が植林(矢印)されています。

同じ時に撮影したものですが、新しい実家がある高台からの眺めです。

嵩上げされた住宅地には、少しづつ家が建てられていますが、圧倒的に空き地が多いです。

市街地は写真の右奥で見えませんが、昔の様な賑わいは返っていません。

復興はまだまだ時間が掛かります。

これからも忘れず見守って欲しいと思います。

 

 


電池の製造国はアジアでは無かった!!

2020年03月15日 | その他
少しずつ断捨離を進めている。
先ずは古いカメラの処分から始めた。
フィルムカメラをメルカリに出品して処分する事にした。
しかし、フィルムカメラは久しく使っていない。
出品するには、正常に動くことを確認する必要が有る。
その為に必要な電池を取り寄せたが、思わぬ事にビックリした。


最近の電化製品は殆どが中国か東南アジアの国々で製造されている。
ましてや小物の電池は当然そうだろうと思い込んでいた。
しかし、裏に記載されている製造国を見ると、なんとアメリカであった。


想定していない国だった。
物作りのグローバル化は当たり前でビックリする話ではないが、この様な小物がアメリカで作られているとは思いもしなかった。
物作りに新しい流れが有るようだ!
今回の新型コロナウイルスでは、色々な問題点が浮かび上がって来た。
グローバルな分業が進んだ結果、部材供給が滞り製造がストップする事態が起こっている。
この問題を踏まえ、どの様に変わっていくのだろうか!?




黒い雨が降った

2020年03月04日 | その他
『黒い雨が降っている・・・? 』
隣町の役所に20件以上の問い合わせが有ったと、昨夜のネット配信ニュースで見た。
今朝起きて我が家のカーポートの屋根を見て、ビックリ(@_@;)
カーポートの屋根に、突如現れたバーコード汚れ!


二階の庇に樋は付いているが、雫が落ちたようだ。


原因は2日の早朝から千葉県野田市の廃プラスチック工場で火災が発生していたので、それが原因ではないか・・・と役所では推測していた。
我が家は火災現場から数十キロ離れているが、この様な状態になっている。
そう言えば、2日は終日霧雨が降っていた。
その中をキャンピングカーで買い物に出掛けていた。
キャンピングカーも同様に、黒い雨の洗礼を受けていた。
雨が滴り落ちる部分に黒いシミが付いていた。


雨樋から雨水が落ちる所は特に汚れている。


反対側も同様に汚れている。


後方もこの様に酷い状態になっている。


初めての経験である。
これが霧雨でなく本降りの雨だったら、ここまでの汚れなかったのでは・・・?。
バーコード汚れ防止対策を施してなかったら、車全体が酷い汚れで覆われていたに違いない。
それにしても洗車は早い方が良い。
汚れが定着しないうちにした方が良い。
天気が良い日に洗車する事にした。


.風景写真

四季の風景写真