写楽湯遊

キャンピングカーで名所旧跡を訪ね、温泉に浸り、たまに山歩き、写真撮影、釣りなどを楽しんでいる夫婦です。

ラッキョウの漬け込み

2024年06月28日 | 食べ物
私はラッキョウが大好きである。
体にも良く、これが有ると食が進む!
少し前の話になるが、今年も近くの知り合いから泥付きラッキョウを入手した。
毎年この季節になると泥付きラッキョウを買って漬け込むのが恒例になっている。

スーパーで売っている泥付きラッキョウは大きいが、知り合いのラッキョウは小粒だ!

仕込み作業は大変だが、小さい方が美味しい!!

泥を水で何度も洗い流し綺麗にする事から始まる。

洗い終わると塩水に漬け込み、4日間寝かせる。

それを再度よく洗ってから、包丁で根元と細くなっている上側をカットする。

カットした後、薄皮を一枚剥ぐ。

これを行わないと食べる時の食感が悪く、美味しい物が不味く感じるから重要な工程である。

この作業は根気がいる。

妻と二人で一日では終わらず、翌日も行った。

カットが終ると鍋で沸かした熱湯にラッキョウを潜らせて消毒する。

次はラッキョウ酢作りである。

市販のラッキョウ酢をベースに妻が自分好みのラッキョウ酢を作る。

これをホーロー引きの容器に入れ、味を調えたラッキョウ酢を注ぎ込み落し蓋をして保管する。

20日ほど経ったので蓋を外し覗くと良い色具合になっていた。




試食すると、まだ十分に漬かっていないが良い味だった。
2ヶ月もすると美味しいラッキョウが出来上がる。
楽しみである。
作業は大変だが元気で動ける間は続けたいと思っている。

 

 

 

 


ドクターイエローに乗った思い出

2024年06月24日 | 思い出

ここ数日ニュースでドクターイエローの引退を伝えている。

私は昭和40年代に初代のドクターイエローに乗った事が有る。

それは仕事で当時の国鉄から線路の振幅測定データー収集専用の小型コンピュータ開発と、データの分析・軌道の整備地点を指示する仕事を担当した時だった。

ドクターイエローを走らせ線路の縦揺れ横揺れの振幅データを専用の小型のコンピューターで処理して磁気テープに記録する方法だった。

私はデーター分析のプログラム開発を担当したのだが、テストデータを収集する時ドクターイエローに同乗した。

数十年も前の事で、当時はドクターイエローを見ると幸せになると言う話も無く、仕事の一つに過ぎなかったので特別な感情を持った記憶はない。

収集したデーターを分析し規定値を越えた所のキロポイント(キロポスト?)を用紙にプリントアウトするのだが、一覧表だけでなく振幅の幅を図示したように覚えている。

このプログラム開発で苦労した覚えは無いが、これを書いていて同じ国鉄から依頼を受けて苦労した仕事を思い出した。

それは国立市の鉄道技術研究所から依頼された仕事だった。

列車のダイヤが変わる度に運転手の乗務表を作るのだが、当時は手作業で行っていた。

国鉄労組との取り決めが細かく規定され、連続しての運転時間、休憩時間、添乗して移動の場合は、一日の拘束時間、夜勤明けの場合は・・・etc 数えきれないほど細かかった。

それを順守して運転手の乗務表(勤務表)作るのは至難んで、ベテランの職員でも大変苦労していた。

ダイヤを入力すれば運転手の負担を最小限に抑えた乗務表を自動的に作れないかとの相談だった。

労務規定等のロジックは鉄道技術研究所の方が仕様書に落とすのだが、労務規定が複雑・難解で何回も試行しては仕様変更を繰り返した事を覚えている。

相互乗り入れが無くて比較的易しい四国管内をモデルとしてプログラムを開発し、高松にてデモストレーションを行った事が思い出として残っている。

色々と思い出がある国鉄(JR)だが、イエロードクターが見られなくなるのはやはり淋しい!!

 

 


「道の駅・よつくら港」のねぶた!

2024年06月21日 | 車旅紀行
仙台からの帰り道、一昨日P泊した「道の駅・よつくら港」で面白い物を見た。
色どり鮮やかな手書きの絵が、夜空に浮かび上がった大きなテントが気になった。
覗くと大勢の人が作業をしていて、見て行くようにと歓迎された。
そこは異次元の世界だった!
十人ほどの大人が熱心に作っていたのは「ねぶた」だった。

ねぶたは青森の物と思っていたが、ここはよつくら港である。
製作途中のねぶたは見る機会めったに無い!
組み上げた枠組みに、上向いて和紙を張り付ける作業は観るからに辛そうだ!!

青森のねぶたと比較すると大きさは1/3ほどと言われたが、目の前で見ると結構大きい!
この後色彩を施して仕上げ、この台車に乗せるそうだ。

台車の下はこの様になっている。

ねぶたの中は複雑な木組みと沢山の電球が取り付けられている。

その他にこの様な作品も!



これは下絵のようだ?


運営費用は住民一軒当たり200円の寄付で行っており、企業からの協賛金は貰っていないと言う。
その為、作っている人達は皆ボランティアだそうです。
昼間は働いているので毎夜2~3時間活動し、約2ヵ月かけて作っていると言う。
完成させて台車に乗せ、7月27日の夜に街中を2時間ほど練り歩くそうだ。
翌朝のテント全景である。
ねぶた工房と書かれた横にねぶた製作中の張り紙が有った。
ねぶた専用のテントのようだ。

傍の施設の柱の両側には、子供たちが作ったと思われる小さなタイルがびっしりと張り付けられていた。

コンクリート製の滑り台の両脇にも手作りタイルが張り付けられていた。


この道の駅が完成した時に作られた様だった。

手作り感いっぱいの「道の駅・よつくら港」は面白かった。


一般道を走ると色々な出会いがあり楽しい。




帰路に着く

2024年06月19日 | その他

義兄の一周忌の法事も終わり、今日は仙台を離れ帰路に着いた。

行くときは高速道路を走ったが、帰りは急ぐ必要もない。

何時もは国道4号線か山の中を走る事が多いが、今回は海に近い6号線を走る事にした。

震災後数年経った6号線を走ったが記憶が有るが、今回はそれ以来である。

折角だからと途中の波止場を除きながら走る事にした。

立ち寄った港で釣り人を発見!

何を釣っているか直ぐに分かった。

糸を垂らすと直ぐに釣り上げたからである。

それは小さな豆アジだった。

釣り始めたばかりなので数は少なかったが、大漁が望めそうだった!

唐揚げにして南蛮漬けにするにはこれ位が美味しい!

道中の道の駅などを覘きながら走行。

福島県に入り立ち寄ったのは浜の駅・松川浦

店の中を覗くと、浜の駅と名前が付いている通り水産物が一杯だった。

以前6号線を走った時は原発の除染廃棄物が詰まった黒くて大きな袋が随所に山済みされていたが、今回見たのは一ヶ所だけだった。

しかし、汚染された地域の道路は変わらず封鎖されていた。

放射線汚染の影響は計り知れないほど大きい!

二度と起こしてなならない!!

こんな事を思いながら、今日は一般道をのんびりと走った。


義兄の法事

2024年06月18日 | その他

妻の兄の一周忌の法事で東北道を北上、昨夜はSAでP泊した。

そこは大型トラックの駐車場になっていた。

隙間なく並んだトラックが、ライトで浮かび上がる風景は壮観だった!

朝になるとそのトラックも殆ど居なくなり、景色は一変していた。

今年度中に深夜割引料金体系が変わるそうだが、トラックの動きがどの様に変わるか興味がある。

今日の天気は曇り空で涼しくて助かった。

法事は何事も無く進んだが、直前にアクシデントがあり大慌てしたそうだ!

法事の日程を決めお坊さんの手配や参列者への連絡、会食の予約など全て終えていたが当日の2日前の夜、お坊さんがコロナ感染で高熱でダウンし、代わりのお坊さんも居ないと連絡が有り、大慌てで関係者に連絡を入れるなど大変だったそうだ。

関係者に一旦中止する旨の連絡などに追われていた時に、若いお坊さんで対応できるとの連絡が有り今日の一周忌となったそうだ。

そして今日、現れたのは一目で若いと分かる風防のお坊さんだった。

頭はツーブロック・カットのヘアスタイルで今風の若者だった。

でも、声は渋くて流暢な読経で、素直に受け入れる事が出来た。

お墓にお花・供物をあげてお参りしたが、墓石も昔の四角い形の物は殆ど無い!!

写真は撮らなかったが墓石に大型バイクを刻み込んだ物もあるなど、時代と共に変わってきている。

その後は会食で義兄の話など、皆で故人を偲びしばし時間を過ごした。

私達も後期高齢者となり終末をどの様に過ごし、没後をどうするかを考える機会にもなった。

 


.風景写真

四季の風景写真