ここ数日ニュースでドクターイエローの引退を伝えている。
私は昭和40年代に初代のドクターイエローに乗った事が有る。
それは仕事で当時の国鉄から線路の振幅測定データー収集専用の小型コンピュータ開発と、データの分析・軌道の整備地点を指示する仕事を担当した時だった。
ドクターイエローを走らせ線路の縦揺れ横揺れの振幅データを専用の小型のコンピューターで処理して磁気テープに記録する方法だった。
私はデーター分析のプログラム開発を担当したのだが、テストデータを収集する時ドクターイエローに同乗した。
数十年も前の事で、当時はドクターイエローを見ると幸せになると言う話も無く、仕事の一つに過ぎなかったので特別な感情を持った記憶はない。
収集したデーターを分析し規定値を越えた所のキロポイント(キロポスト?)を用紙にプリントアウトするのだが、一覧表だけでなく振幅の幅を図示したように覚えている。
このプログラム開発で苦労した覚えは無いが、これを書いていて同じ国鉄から依頼を受けて苦労した仕事を思い出した。
それは国立市の鉄道技術研究所から依頼された仕事だった。
列車のダイヤが変わる度に運転手の乗務表を作るのだが、当時は手作業で行っていた。
国鉄労組との取り決めが細かく規定され、連続しての運転時間、休憩時間、添乗して移動の場合は、一日の拘束時間、夜勤明けの場合は・・・etc 数えきれないほど細かかった。
それを順守して運転手の乗務表(勤務表)作るのは至難んで、ベテランの職員でも大変苦労していた。
ダイヤを入力すれば運転手の負担を最小限に抑えた乗務表を自動的に作れないかとの相談だった。
労務規定等のロジックは鉄道技術研究所の方が仕様書に落とすのだが、労務規定が複雑・難解で何回も試行しては仕様変更を繰り返した事を覚えている。
相互乗り入れが無くて比較的易しい四国管内をモデルとしてプログラムを開発し、高松にてデモストレーションを行った事が思い出として残っている。
色々と思い出がある国鉄(JR)だが、イエロードクターが見られなくなるのはやはり淋しい!!