昨日、紹介した、
「魔性の女展」の、「弥生美術館」は
東京は、文京区の
やよい(弥生)町に あります。
向かいは、東京大学です
が、
その、目とはなの先に
かつて、吉原に次ぐ「花街」、
そこには
明治のはじめ、
まさに、夜な夜な
ましょう(魔性)をもって、男を狂わせた
「伝説の遊女」が いたそうです
その名は、
<屏風絵:橘小夢、昭和30年頃>
幻太夫は、
この、ねづの地で
当時
かなり有名でした
ビボウも・さることながら
「地獄と極楽」を イメージした部屋で客をむかえ、
セルフ・プロデュースが
当たったのです
くがい(苦界)にても・なお、
あだ花を 咲かせようとする
この太夫は
人気でした
当時、売れっ子の「浮世絵師」だった
「月岡芳年」も
入れあげて、
かの女を かきました
うちのチットは
この太夫が おもしろいらしく、
太夫の絵を見たいから
「弥生美術館」に たまに行きます。
何が・おもしろいかって、
太夫には
こんな、いつわ(逸話)が あるのです
太夫は、
『これはイイ金づる 何が何でもダンナにするわ』
と 手練手管で がんばったけど
大尽は そのうち・通わなくなりました。
プライドを傷つけられた太夫は、
『あちきの真心・お受けくんなまし』
と
自分の小指を切って、送りつけたが
返却されました
起死回生の狙いも外れた・太夫
でもめげずに
「小指の葬式」を挙げ、
坊さんを引き連れて
大々的に、大尽邸へ 葬列を組みました・・。」
(※大尽は三菱の岩崎弥之介という)
・・・・・
明治のやみの中、
太夫の
高らかな・わらい声が ひびきわたります