クリンの広場

たまっこくりんのおもいのたけ

明治三美人(私撰)

2014-08-15 | うんちく・小ネタ

華族制度と 

 マスコミ・庶民のバランスがととのった

 大正時代に くらべ、

 明治時代は、

 『国民的美人』を しぼるのが

 むずかしい・・」

001 家のチットは 言います。

が・・・、

とりあえず、

3人 

明治の時代にからんだ女性を

えらんでみました。

<一人目、陸奥亮子>

003 「日清戦争時の外相」、むつむねみつ(陸奥宗光)の つま(妻)です。

しんばし(新橋)芸者から

「鹿鳴館の花」になって、かつやく

Satou イケメン・イギリス外交官、アーネスト=サトウも、

りょう子と 会った日は、

「たいへんな美人」と

日記に こまごま・かいてしまうほどの

ビボウでした

<二人目、お鯉>

006 (←祭りの若衆姿にふん装)

しんばし(新橋)芸者から、

「日露戦争時の首相・桂太郎」の 

あいしょう(愛妾)となり、

せいさい(正妻)より 有名になりましたが、

こうわ(講和)が 不ちょう(調)におわった・際は、

ダンナといっしょに

国民から 目のカタキにされ、

苦労しました

<三人目、江良加代>

005 明治政府の大物が、こぞって・モノにしようとした、

「祇園の芸妓」です

・後の首相・「西園寺公望」、

・維新三傑・「木戸孝允」、

・初代首相・「伊藤博文」、

が 

かよに 入れあげましたが、

さいごは

「豪商・三井」の めかけになり、

ゆうゆう・じてき

くらしたそうです。

・・・・・・

やはり、

「明治美人の有資格者」は、

近代日本を つくりあげた

大物が あいした女性が

ふさわしい

<番外編>

004 「幕末美人」ですが、さつま(薩摩)のとのさま、「島津斉彬」の三女、てるひめ(真ん中)

や、

Girl_beating_a_tsugumi_m 有名ですが、明治の写真家・「玉村康三郎」が写した、

つづみを打つ・げいこ(芸妓)

きれいだと 思います

(次回は、幕末~明治の美男子編

コメント
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