クリンの広場

たまっこくりんのおもいのたけ

両国観光・5~回向院とねずみ小僧

2014-11-28 | クリン江戸散歩

 「京葉道路」を、えこういん(回向院)へ向かって

歩きます

 「横綱横丁」あたりで、モンゴル料理店を見かけると

(まるで、今の角界を しょうちょうしているようだな~)

なんて

思ったりします

 げんざい(現在)、大ずもう・本場所のブタイは、

両国駅前の

「国技館」に

うつっていますが、

 江戸時代は、ここ・回向院で、春と秋の年2回、

開さい(催)されていました

 明治末まで つづいた、「回向院相撲」は、

けいだい(境内)に

よしずばりの

巨大な小屋をつくり、

その中で

「女人禁制」で

もり上がっていたそうです

 (←こんな。)

かんせん(観戦)におとずれた男たちは

ゴウゴウ・ねっきょう(熱狂)

したでしょうし、

女たちも、

実物の力士を

見られない分、

モウソウを ふくらました

ことでしょう・・

 そんな すもうのせい(聖)地・回向院には、

今も、

すもう部屋の「新弟子」たちが

力を さずかるよう、

祈がん(願)に 

おとづれつづけて いるらしい

 

しかし

土ひょう(俵)なき・今、

回向院の

「真のヒーロー」は

もはや

力士では ありません

 じゃあ、一体・だれなのか と言えば、

それは、

けいだい(境内)・奥にねむる、

 「ねずみ小僧・次郎吉ってことになります 

 ねずみこぞう・じろきち とは、

江戸時代・後期に

かつやくした、

「大名屋敷専門」の

大どろぼうです

 9年間で、およそ100のやしき(屋敷)をあらした・ねずみこぞうは、

その後

おなわ(縄)になり、

処刑されてしまいます

が、

 ここにほうむられて、死後・ずっと、

江戸の庶民に 

いた(悼)まれつづけてきました

いつしか、

「スルリと志望校に入れる

として

受けん(験)の神さまになり、

さらに、

 ぼせき(墓石)をけずると 「ギャンブルに勝てる

という

かって(勝手)な しんこう(信仰)の

対しょうとなった

次郎吉

 (カリッ、カリッ・・) ※現在は削っていいのは、「お前立て」(白い石)

 そんな・ねずみこぞうを、ねんごろに供よう(養)している

「回向院」は、

もとはと言えば、

江戸前期の

「明暦の大火の死者を 

とむらうために たてられた、

お寺だそうです。

でも、

その・ぼち(墓地)には、

 ゆうえん(有縁)、

 むえん(無縁)、

 人間・どうぶつ・・

すべての者が

くよう(供養)されてる、

かん(感)あり・・。

じっさい、

めいれきの大火後も、

 「安政の大地震」、「関東大震災」、

「戦死」、「空襲」、「海難事故」、 

 「遊女」、「水子」、「刑死者」、「行き倒れ

などなど・・

ありと

あらゆる・生命を

とむらいつづけてきた、

 ジヒぶかい、お寺なのでした

(つづく)




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