地下街への階段をでたらめにおりたら、
フィレンツェの猪に会った。
地下街はとても広くて複雑なので、ここに来ようとしても
なかなかたどり着くことができない。
いつも偶然に通りかかっては「ああここだっけ」と思い、
すぐまた忘れる。そういう場所だ。
夜のまだ早い時間帯で、地上も地下もにぎわっているが、
この区画だけ奇妙にがらんとして、さびれた場末の雰囲気さえ漂う。
猪は待ち合わせ場所の目印なのかもしれないが、
待ち合わせをする人の姿は見あたらない。
鼻面は人の手に撫でられてぴかぴかに光っているものの、
全体的に猛々しすぎ、日本人好みでない気がする。
日比谷のゴジラのほうがまだ可愛らしい。
(あれだって、ゴジラじゃなくギーガーのエイリアン像だったら、
あんまり近寄りたくないんじゃないかと思う)
猪の背後には、ヤン・ヨーステン氏の首がある。
胸像と呼べればいいのだが、残念ながら頭部だけである。
自販機の隣に並べられ、うらめしげにむっつりしている。
この一帯の地名の元になった人物だというのに、ずいぶんな扱いだ。
猪にしろ首にしろ、銅像というものは地下には似合わない。
この巨大な多脚生物に似た地下街は、
空間デザインという意識が脚の末端のほうまで行き届かず、
お掃除だけで精一杯、という感じになっていくのである。
かつてはもっと怪しい薄暗い場所がいっぱいあった。
観葉植物のジャングルを抜けると熱帯魚がいて、
その先に映画のセットみたいな赤提灯があらわれたり。
ホームレスもおおぜいいたが、いつから見かけなくなったんだろう。
30分後にまた同じ場所を通りかかる。
リュックをしょった初老の女性がひとり、
足を止めて何かつぶやきながら猪の鼻をなでていた。
可愛がってくれる人が、いるのかもしれない。
フィレンツェの猪に会った。
地下街はとても広くて複雑なので、ここに来ようとしても
なかなかたどり着くことができない。
いつも偶然に通りかかっては「ああここだっけ」と思い、
すぐまた忘れる。そういう場所だ。
夜のまだ早い時間帯で、地上も地下もにぎわっているが、
この区画だけ奇妙にがらんとして、さびれた場末の雰囲気さえ漂う。
猪は待ち合わせ場所の目印なのかもしれないが、
待ち合わせをする人の姿は見あたらない。
鼻面は人の手に撫でられてぴかぴかに光っているものの、
全体的に猛々しすぎ、日本人好みでない気がする。
日比谷のゴジラのほうがまだ可愛らしい。
(あれだって、ゴジラじゃなくギーガーのエイリアン像だったら、
あんまり近寄りたくないんじゃないかと思う)
猪の背後には、ヤン・ヨーステン氏の首がある。
胸像と呼べればいいのだが、残念ながら頭部だけである。
自販機の隣に並べられ、うらめしげにむっつりしている。
この一帯の地名の元になった人物だというのに、ずいぶんな扱いだ。
猪にしろ首にしろ、銅像というものは地下には似合わない。
この巨大な多脚生物に似た地下街は、
空間デザインという意識が脚の末端のほうまで行き届かず、
お掃除だけで精一杯、という感じになっていくのである。
かつてはもっと怪しい薄暗い場所がいっぱいあった。
観葉植物のジャングルを抜けると熱帯魚がいて、
その先に映画のセットみたいな赤提灯があらわれたり。
ホームレスもおおぜいいたが、いつから見かけなくなったんだろう。
30分後にまた同じ場所を通りかかる。
リュックをしょった初老の女性がひとり、
足を止めて何かつぶやきながら猪の鼻をなでていた。
可愛がってくれる人が、いるのかもしれない。